うつ解消マニュアル(脳及び心疾患・癌・認知症・更年期障害等々)

医者や薬は、むしろ症状を悪化させます!
治すのは、自分自身です! 
1回目並びにQ&A及び解説も、必ず読んで下さい!

第46回目 再録!小野寺園子さん「つめ切り」・私の姉「家をなくして」

2009年08月30日 16時43分43秒 | 道新「いずみ」欄からのメッセージ!
うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)

第46回目(2009・8・30作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)

リクエストに応えて、再録します!
カテゴリー「道新いずみ欄からのメッセージ」

グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104


ブログの左側のカテゴリーを手がかりに
記事を読んでくれている幾人かのブログフレンドから、
適切に仕分けされていない記事があるという話がありました。

実は、投稿記事に対して、カテゴリーはひとつしか付けられません。
だから、二つ以上のカテゴリーを含む記事の時は、
主な記事のカテゴリーにしていました。

カテゴリーで読んでいる、読みたい、再読したいの要望に応えるべく、
二つ以上のカテゴリーを含んでいる投稿記事をカテゴリー別にしてみました。

最初からお付き合い戴いている、
全部読んでいると言うブログフレンドの皆さんは、
44回目から51回目は飛ばして下さい。

以下、再録したものです。
悪しからず。




(北海道美瑛町、ホピーの丘と命名)



第10回目(2008・7・12作成)から抜粋
道新いずみ欄からのメッセージ 小野寺園子さん「つめ切り」


いつもコメントをくれる「ま」さんに、6月24日付道新のいずみ欄、
小野寺園子さん(札幌、60歳)の「つめ切り」を贈ります。

小野寺さんは父が大好きだから、
父に喜んでもらえることがしたい。
でも、しっかりした気丈な父にしてあげられることはなかなかない。

そんな時、父の足の爪が伸びていることに気が付く。
「爪を切らせて」と頼む娘に、父は「自分で切る」と言う。

しかし、91歳になる父が身体を屈めて爪を切るのは大変だ。
何度も頼む内に、やっと父の許可が下りる。

爪を切る娘の頭の上で、父は母に言う。
「こんなに幸せな親がほかにいるだろうか」

小野寺さんは、鼻の奥がつーんとするのを感じたと書いています。

こんな小さな事で、お父さんが喜んでくれた。
ここまで育ててくれた父に返すものがないと感じていた小野寺さんは、
意外にも爪を切るという小さなことを通して、
お父さんの自分への深い愛情をあらためて感じた瞬間だったのだと思います。

小野寺さんに「自分の子でいてくれて、有り難う」
とお父さんが言ったように、私には聞こえました。
言葉に魂が宿った瞬間です。

間違いなく、言葉には魂があります。
言霊が伝わらないのは、言う人の力量もありますが、
実は受け手の未熟さが一番災いしているのです。

小野寺さんは見事に、お父さんのメッセージを受け取っています。







第31回目(2009・2・2作成)から抜粋
1981年道新「いずみ」欄の「家をなくして」


私には2人の姉がいるのですが、どちらも優しい姉です。
今日は、上の姉の話をしたいと思います。
最近、ちょっと疎遠になっています。
詳しい話は他の機会に譲りますが、
文学への思いはその姉の影響を受けています。

確か中学生の時だった思うのですが、
大島みち子さん(みこ、1942.2.3~1963.8.7)と河野実さん(まこ、
1941.8.8~)との3年間にも及ぶ往復書簡・「愛と死をみつめて」を読んだのが、
文学に関心を持つきっかけになりました。

それまでの私は、
到底文学には縁のない世界(やんちゃな子供の世界)に生きていました。
読み進むうちに、言葉の持つ不思議な力を感じたのです。
文字の力、言葉の力、それはまさに感動力でした。

実はその本を勧めてくれたのが、上の姉でした。
家は貧しかったので本を読むなどという環境にはなかったと思うのですが、
何故か姉は沢山の本を読んでいました。

父は大変な酒豪でしたので、夜はいつも遅くに帰ってきました。
飲むと恐い父でしたので怒られないように早めに床に入ったものです。
なかなか寝付かれない時は、姉の語る昔話を楽しみにしていました。

姉は絵も上手で、近所の人にも良く褒められていましたが、
文才もありました。

前回、道新いづみ欄に載った話を書きましたが、
その時に姉の道新いづみ欄への投稿文も一緒に見つけました。

今、不景気による派遣労働者がクローズアップされていますが、
姉の文章を読むと、
28年前と状況は少しも変わっていないんだと思い知らされます。

短い文章なので全文を載せます。
世の中がどんなに豊かになっても、
日の当たらないところは依然として有り、
まさに政治の貧困を感じます。



(北海道美瑛町、ポピーの丘と命名)


それでは、姉の投稿文です。
1981年北海道新聞「いずみ」欄に掲載された
「家をなくして」(当時33歳)

『いらないものをゴミ捨て場に、想い出と一緒に投げ捨てて、
ガランとした十六畳の居間にさよならをする。

売るために改造した部屋の新しさに未練を、
柱の傷の思い出に複雑な思いをいだきながら、
私たちは三人の子供と残った布団を乗せて、車に乗り込む。

第二の人生を踏みだすように、遠軽の町を過ぎて行く。

思い出と悔恨で、知らずのうちに涙があふれでる。
夫は、「もう一度建てるよ」と笑う。
子供たちは、黙って離れて行く町を見ている。

家を建ててから十年余り。
楽しいことよりも、苦しいことの方が多かった、
この数年間に、私たちは家や庭や車があっても、
決して幸せではなく、心のゆとりさえなくしかけていた。

安定していない夫の仕事を、もっと自覚していれば、
また必要なものだけで生活しようという質素な心がけであれば、
と大事な家をなくして、今、初めて気づいたのである。

現在、3DKの団地に住んでいる。
初めは、私たちも子供らも、
前とは違った狭さの中で、
イライラしていたが、少しずつ慣れた。

台所に居ても子供たちの会話が聞こえ、みんながそばにいるような、
広い家に居た時とは違った、
何かしらストーブの熱が、まんべんなくゆきわたるような暖かさを感じている。

お金で味わった、人の裏切りや優しさや数々の思い出をかみしめて、
これからの人生を悔いなく暮らしたいと思っている。
そのためにも、季節労務者に安定のある仕事を、と願わずにはいられない。』

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