うつ解消マニュアル(脳及び心疾患・癌・認知症・更年期障害等々)

医者や薬は、むしろ症状を悪化させます!
治すのは、自分自身です! 
1回目並びにQ&A及び解説も、必ず読んで下さい!

第47回目 再録!「JR福知山脱線事故と労働組合の使命」・「ビアフラ共和国のこと」

2009年08月30日 16時44分44秒 | 「福知山脱線事故」「ビアフラ共和国」
うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)

第47回目(2009・8・30作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)

リクエストに応えて、再録します!
カテゴリー「忘れてはならない出来事」

グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104


ブログの左側のカテゴリーを手がかりに
記事を読んでくれている幾人かのブログフレンドから、
適切に仕分けされていない記事があるという話がありました。

実は、投稿記事に対して、カテゴリーはひとつしか付けられません。
だから、二つ以上のカテゴリーを含む記事の時は、
主な記事のカテゴリーにしていました。

カテゴリーで読んでいる、読みたい、再読したいの要望に応えるべく、
二つ以上のカテゴリーを含んでいる投稿記事をカテゴリー別にしてみました。

最初からお付き合い戴いている、
全部読んでいると言うブログフレンドの皆さんは、
44回目から51回目は飛ばして下さい。

以下、再録したものです。
悪しからず。




(ジョギングコースに咲いていた野草)



第2回目(2007・8・28作成)から抜粋
「JR福知山脱線事故と労働組合の使命」


毎月1回程度の更新を考えていたのですが、
この間色々な事がありまして、
あっと言う間に今日を迎えてしまいました。

色々な事の一つは、
劣悪な労働条件下で働く組合員の為に、
何もしない、しようとしない労働組合を脱退したことです。
組合は、長期疾病者や退職者・自殺者まで出ているのに何もしようとしません。

就職当時、加入者がほとんどいない職場でしたが、
自ら手を上げて組合員になっただけに、
脱退というのは止むを得ずの選択でした。
私の脱退届に詳しく書きましたので、興味のある方はコメントして下さい。

そこで思い出したのが、JR福知山線の脱線事故です。
事故は何故起こったのでしょうか。
問題点は明らかになったのでしょうか。

運転手に全ての責任を押し付けたように思えるのですが、どうでしょうか。
労働組合からの強力な抗議の声が聞こえてきませんし、
そもそも事故の一因と言われている日勤教育などの非人間的教育を
許さない取組みは出来なかったのでしょうか。

労働組合は、私達の健康を守る為にある筈です。
第二、第三の運転手は、私達自身です。

戦わない労働組合は存在価値がないのです。
少なくとも退職に追い込まれた人や特に自殺に追い込まれた人には。
分り易く言えば、死人に、詫びは届かないのです。

私達は、障害者・傷病者・年寄りや子供も含め、
皆で助け合って生きていく社会、
そういう社会を目指していたのではないのでしょうか。

「情けは人のためならず」

「謗(そし)るまじ たとえ咎(とが)ある人なりと
我が過ちは それに勝れり」




(まりー・アントワネット)



第15回目(2008・10・19作成)から抜粋
「ビアフラ共和国のこと」


最後に申し訳ありません。
もう一つの詩にお付き合い下さい。

高校生時代に書いた詩です。
戦争や内戦の哀しみを詩いました。

1967年5月30日に
ナイジェリア(北部のサウサ族、西部のヨルバ族、東部のイボ族の三大部族と、
その他多くの少数民族からなっていた)から独立

1970年1月11日に
ナイジェリアに降伏して消滅した
幻の国「ビアフラ共和国」のことです。

この内戦による饑餓・栄養不足・病気、北部州での虐殺にる死亡者は、
なんと200万人にのぼったと言われています。

『ビアフラの詩』

「20世紀―
ユダヤ民族の抹殺があってから
ここにこんな悲劇がある

1966年5月
ビアフラの悲劇は
ドラマの如く初めをなしたという

イボ族の大虐殺があってから
今にして200万人近くの餓死があり
飢えによる幼児の死は数多いという

タンパク質と含水炭素不足で
死直前の少年の髪は真っ白で
手足は黄色だといい
大人の親指くらいの太さだという

悲しみに最大のものは死であり
ここにそれがある

冷たい空気の充満しているこの地に
人影はあっても人間を感じさせないという

静けさの中に安らぎを得られぬ
生の満足に浸れぬ者と
たとえ同じであっても
それは自由な人間ではない

空の海の青さを知る者は幸いであり
自然の美しさを眼に出来る者は
なお幸いである

罪のない子供の死に
母親は泣き叫び祈ったであろう

恐らく不安と恐怖の中で
只ひたすらに現実からの脱皮を思慮したであろう

彼らに残された只ひとつの自由に
一心に神に祈ったであろう

降伏するより戦いを
降伏するより飢え死にを

彼らは信じている

哀しみの中から
ビアフラの自由の詩を
うたう日がきっと来ると・・・」

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