客を集める俳優
『単騎、千里を走る。』(2006年)で204本目の映画出演となった高倉健。いくつもの忘れられない作品があるが、どれにも共通しているのが「高倉健だから客が入る」というもの。映画のなかにはスピルバーグ作品のように監督の名前で客を呼ぶものがある。また、『キングコング』のようにアクションや特撮で観客を動員するものがある。
だが、高倉健が出た映画における観客動員の理由はたったひとつ。人々は「健さんが出る」から、映画館へ行く。石原裕次郎、勝新太郎、渥美清が亡くなった今、そうした「客を集めるスター」は彼ひとりしかいない。
この章ではスクリーンのなかで高倉健が呟いた、あるいは叫んだ名セリフ、そして、インタビューでふともらした彼の言葉を拾った。
撮影現場と演技
明治大学を卒業した高倉健が映画デビューしたのは1956年、作品は『電光空手打ち』である。初めての撮影に臨んだ彼は芝居のことよりもまず、男が化粧することに対して衝撃を受ける。いくつものインタビューで彼はそのときの気持ちを語っている。
「撮影所でカメラテストっていうのをやって顔にドーランを塗られた自分を見てると、何か、身を落としたっていう、そういう感じで涙が流れた。だから、メークアップするっていうのは、今でも嫌だ」(「月刊アサヒ」わが青春と人生を語る 90年3月号)
映画俳優ならば化粧は当たり前についてくる。だが、高倉健は204本に出演した時点でさえ、メークアップという行為に抵抗を感じている。鼻唄をうたいながらメークアップするような俳優にはなりたくないのだろう。つまり、自らの仕事に「狎(な)れる」ことが嫌なのだ。ルーティンを繰り返しているうちに、いつのまにか仕事に狎れてしまうことを恐れているのだろう。映画俳優という仕事を続けながら、つねに冷めた視線を保っていることが高倉健の骨格を形づくっている。
そして、同じように「仕事に狎れない」のが撮影現場での様子だ。どれほど長時間の撮影であっても、彼は腰を下ろして休憩することはない。
「癖ですからね。何か座っちゃうと緊張が……。こう持続できないというか……、あんまり無理してるんじゃなくて、なんとなくそのほうが仕事をしてるって感じます」(『単騎、千里を走る。』のメーキングビデオのなかで)
「スタッフや共演の方たちが寒い思いをしているのに、自分だけ、のんびりと火にあたっているわけにはいかない」(「女性自身」吉永小百合との対談 79年12月27日号)
『単騎、千里を走る。』の現場で高倉健に接したチャン・イーモウ監督は決して座らない映画俳優に驚いたという。
「スタッフはみんな感動しました。そんなことを言う俳優は中国にはいません。それほど厳しく自分を律する俳優は中国にはいない。座るのは当たり前なんです。だから私はスタッフに命令しました。だったら我々も高倉さんを見習おうじゃないかと。
結局、私たちもそれが習慣となり、私たちにとっても、とても心に残る体験となりました」(チャン・イーモウ監督のメーキングビデオのなかの発言)
狎れないことと自ら律することは彼が自分に対して約束したことなのだろう。
さて、スクリーンにおいて、彼はつねに大スターとして扱われてきた。決して「名優」「演技派」と評価されたわけではない。だが、今回、主演作のDVDを丹念にチェックした結果、高倉健の演技における卓越性を見つけた。
それは「食べる」演技である。たとえば『冬の華』(78年)の冒頭、刑務所から出てきたばかりの主人公が久しぶりにおいしい食パンのトーストを食べるシーンでのこと。主人公はパンにジャムを厚く塗り、その匂いをかぐ。パンを口に運ぼうとしてためらい、さらにジャムをのせ、そしてかぶりつく。それだけの演技だが、彼が長く刑務所に入っていたこと、食べたいものを我慢して暮らしてきたことが伝わってくる。
同じようなシチュエーションが『幸福の黄色いハンカチ』(77年)にも出てくる。やはり出所したばかりの彼が小さな食堂に入り、大きな声で「ビールください」と注文し、メニューをじっと眺める。そして、しぼり出すような声で「しょうゆラーメンとカツ丼」と告げる。活字にしたら、どうということもないセリフだ。だが、万感の思いがこもった言葉なので観客は主人公の心情に共感してしまう。そしてラーメンとカツ丼が食べたくなってくるから不思議だ。
ほかの映画でも、彼の名セリフが出てくるのは食事シーンに多い。『あ・うん』(89年)には、彼が食事をしながらセリフを言うシーンがある。驚くのは食べ物を飲み込んですぐに明確な発声があることだ。共演者のなかには食べ物を無理やり飲み込み、あわててセリフをしゃべりだす人間もいる。だが、高倉健の場合、素早く咀嚼してからクリアな声でセリフを言う。食べて、そして話すこと……。簡単なように見えて、訓練しないとできない。『山口組三代目』のなかには田中邦衛扮する兄貴分が腹をへらした高倉健に山盛りのどんぶり飯をよそうシーンがある。高倉は涙を流しながらもりもり食べる。あれほど早く飯をかっくらうことができる俳優は彼と『悪名』であっという間にカレーライスをたいらげた勝新太郎ぐらいだろう。
任侠とユーモア
「死んでもらいます」(『昭和残侠伝』など)
「人を刺すのはこうやるんだ」(『網走番外地 南国の対決』 66年)
ほかにも「やくざには命より大切な仁義ってもんがある」「オレの目を見ろ、何もいうな」など、任侠映画独特のセリフがある。たいていの場合、こういったセリフの後に殴り込み、決闘シーンがあるから観客の印象に残る。だが、高倉健の出演作を見ると、それは単なる殺伐とした物語ではない。とくに『網走番外地』シリーズは網走だけでなく、日本各地でロケをした連作だ。各地の人情や風物を取り込んだロードムービーであり渥美清の「寅さん映画」のようなものだ。任侠映画の範疇に入っているが、実質は人情映画、ユーモア映画でもある。
たとえば返還前の沖縄で撮影をした『網走番外地 南国の対決』では、主人公は生き別れた母子の間を取り持つ。人情に厚いお人よしの主人公が高倉健だ。彼は子供を捨てて沖縄でクラブを経営する母親に向かって、次のように意見する。
「走っていって抱いてやるんだよ。理屈はいらねえよ」
母親「でも」
「デモもストライキもあるかよ。てめえの親が恋しくない子がどこにいるんだよ」
このセリフ、そのまま渥美清がしゃべっても違和感はない。
仁侠映画におけるセリフ回しだけでなく、ばかばかしいセリフをしゃべる彼もうまい。『幸福の黄色いハンカチ』(77年)では、高倉健が武田鉄矢を叱る場面がある。桃井かおりとなんとかセックスしようとする武田に対して「いいかげんにしろ」と怒るのだが、思わぬオヤジギャグが出てくる。
「おなごちゅうのは弱いもんなんじゃ。咲いた花のごと、弱いもんなんじゃ。男が守ってやらないけん。大事にしちゃらんといけん」
「おまえのような男のこと、何と言っとんのか知ってるか」
武田「いえ」
「草野球のキャッチャーちゅうんじゃ」
武田「?」
「ミットもない……。ちゅうことや」
『駅 STATION』(81年)では倍賞千恵子とのベッドシーンで、高度なジョークを呟く。恋人となったふたりが初めて寝たときのことだ。倍賞千恵子が「私、おっきな声を出さなかった?」と尋ねる。高倉健は「いや、出さなかったよ」と応じるが、そのすぐ後、「樺太まで聞こえるかと思ったぜ」と……。映画の舞台は北海道の港町、増毛だ。いくらおっきな声を出したとしても、さすがに樺太までは届かない。
以上に限らず、高倉健の映画は見ていて緊張感をはらむ場面と相前後して、思わず脱力してしまうシーンが出てくる。それは彼の映画が大衆向けの娯楽映画として完成されているからだろう。
挨拶と礼儀
高倉健が出演した映画は204本、すべてを見ることはできなかった。だが、180本は集めて、そしてチェックした。そのなかで彼がしゃべるセリフをカウントしたところ、「すみません」「お願いします」「ありがとう」がベスト3だった。
ただし、同じ言葉ではあっても、場面によって意味は違う。
「すみません」ひとつを取っても、他人の家を訪ねるときの挨拶であったり、他人から好意を受けたときの感謝だったりする。時には他人に何かを頼むときの呼びかけでもある。そして、彼はシチュエーションが変わるたびに、声のトーンやボリュームを変える。極端に言えば、彼はこの3つの言葉を駆使することで一本の映画に主演することも可能なのだ。演技の上手さとは決して長ゼリフや名文句をしゃべることではない。「すみません」「ありがとう」といった普通の言葉に情感をこめることだ。高倉健は自然にそれができている。
また、映画を見ていて気づいたのは彼が役柄のうえでも礼儀正しいことだ。たとえ、ヤクザの役であっても、礼儀を重んじる気配が伝わってくる。
向田邦子原作の『あ・うん』(89年)では戦前のサラリーマン家庭の生活が出てくる。昔の言葉遣いの美しさ、折り目正しい挨拶の仕方を知らず知らずのうちに学んでしまう。
主人公は栄転してきた友人宅を訪ね、出てきた夫人の富司純子に「奥さん、このたびは、ほんとうにおめでとうございました」と言う。畳の上に手をつき、膝を揃えて挨拶する様子は、昭和の美しい姿と思える。今やよほどの年配の人でもできない動作ではないか。
また、友人が芸者に熱を上げてしまったことをかばうのに、「奥さん、申し訳ありません。自分が道をつけたんです」と謝る。現代でも友人や部下と風俗店やギャンブル場へ行き、それが露見するケースはしばしばある。
そのとき、「すみません。自分が道をつけたんです」と頭を下げることのできる人間は何人いるだろう。胸に手を当ててじっくりと考えてみたい。
不器用
不器用な人、それが高倉健の代名詞だ。だが、案外、映画のなかで彼がこの言葉を乱発することはない。
『幸福の黄色いハンカチ』でスーパーのレジをやっている倍賞千恵子に初めて声をかけるシーンがある。最初に言葉をかけるのは倍賞からだ。いつもひとりで買い物に来る高倉に、「奥さん、病気なの?」と聞く。
「オレ、ひとりもんですよ」とやや頬をゆるめて答える高倉健。そして、勇気を出して倍賞に尋ねる。
「あのー、あんた、奥さんですか」
倍賞「いいえ」
「どうもすみません」
と足取り軽く店を飛び出していく。
そして、そのときの思い出を振り返りながら語る。
「オレは不器用な男だから、思ってることがうまく伝えられなくて、ただすがるような気持ちだったんだ」
もうひとつは『居酒屋兆治』(83年)で、モツ焼き屋に来た客に「なにしろ、ぶきっちょなもんですから」とひとこと。
映画のなかでは「不器用な自分」を強調しているわけではないが、なぜ、ここまで不器用な人というイメージが形成されたか。それはインタビューで語った言葉がひとり歩きしてしまったこと、テレビCMに出演したときにそうしたイメージが醸成されたことが大きいのだろう。
札幌すすきので大型キャバレーを経営する会社の取締相談役を務めているのが八柳鐵郎である。彼の著書『すすきの有影灯』(北海道新聞社)には映画興行界の義理ですすきののキャバレーに出演していたことのある高倉健についての思い出が記されている。
「ものごとに真面目で不器用な健さんは、(歌詞を)間違うたびごとに『お客さんすみません。間違ってしまいました。初めから歌わせていただきます』と頭を下げて詫び、歌いなおすのである。それがいいと女の客がしびれるのだから、徳な人である」
不器用なことでこれほど好意を集めるのだからまったく、徳のある人だ。
プライベート
彼は私生活についてほとんど語らない。ただし、噂話や憶測の類はいくつもある。彼のことが載っている資料のほとんどは他人が高倉健伝説を語っているものである。そのなかでプライベートについて自ら明確に答えていたのは次のインタビューである。77年、46歳のときのもの(「週刊現代」10月13日号)。
「ぼくには妻も子もいません。たった1人の、100パーセント外食の生活です。よく知らない人とは一緒にメシを食わない。食事をしながら仕事の話をしない。きらいなものは食べない」
私生活を露出すること、知らない人と会うことに対しては細心の注意を払っているのだ。
ある年のこと、高倉健の事務所の人から「去年は3人だった」と聞いた。「何が3人なのですか」と聞き返したら、「高倉が1年を通じて初対面の人と会った人数が3人ということ」だった。それくらい本人に直接会うことは難しいのである。
「私にとってはどっちも大事なんです」
彼が自ら語った映画の名セリフがある。『八甲田山』(77年)で、厳寒の山を案内してくれた秋吉久美子に敬礼するときの言葉、「気をつけ、案内人殿に向かって、かしらー、右」という命令がそれだ。
また、『遥かなる山の呼び声』(80年)では子役の吉岡秀隆に男の生き方について簡単な言葉で諭す場面がある。
「約束守らないやつ、男じゃないぞ」
それを聞いた10歳くらいの吉岡が映画のなかでは、諭されたとおり、「男」を意識して演技するようになるから面白い。
『あ・うん』では友人の妻役の富司純子に対して思慕の念を抱く高倉が想いを口にするセリフがふたつある。
「奥さん、自分の会社、つぶれるかもしれません。自分を2倍にも3倍にも見せてやってきた会社ですから未練はありません。でも、すかんぴんになってもつきあってもらえるでしょうか」
「みすみす実らないとわかってても、人は惚れるんだよ」
『居酒屋兆治』ではサラリーマンをやめ、モツ焼き屋になるため、東野英治郎扮する親父に弟子入りを志願するときのセリフが印象に残る。
「おやじさん、弟子にしてくれませんか。月給取りはたくさんです。屋台引いて歩いてもいいからモツ焼き屋がやりたいんです。おねがいします」
そして、最後に高倉健が好きな映画のセリフと『単騎、千里を走る。』から、とっておきの名セリフを挙げよう。
チャン・イーモウ監督の『HERO』を見ていて、高倉健は主人公のセリフのなかに監督自身の夢が表現されていることに気づいた。主人公トニー・レオンがマギー・チャンに向かってこう言う。
「いつか刺客という自分の使命を終えたら、故郷に帰ろう、剣を捨てて静かに生きよう、ただの男と女になって」
運命と闘いながら生きる主人公。高倉はチャン監督もまた「映画づくり」という闘いのなかにいると知った。それが胸に響いたのである。
次は『単騎、千里を走る。』から。病床にいる息子のために中国雲南省に単身やってきた高倉健。民俗学者である息子の代わりに雲南省の役者を撮影しようとしたのだが、目当ての役者はケンカが原因で、刑務所に入っていた。だが、高倉は奔走し、刑務所のなかで撮影する機会を得る。ところが、役者は息子思いの高倉に比べて不甲斐ない親である自分を恥じ、取り乱してしまう。ついには泣き出し、演技ができなくなってしまう。「遠いところに暮らす小さな子どもに謝りたい、会いたい」と泣くばかり……。
それを見た高倉は「私が子どもを連れにいく」と名乗り出る。対して現地ガイドは反対する。
「いったい、ビデオ撮影と他人の子どもを連れてくることのどちらが大切なのか、自分の息子と見知らぬ中国人受刑者の子どもとどちらが大切なのか」
現地ガイドは高倉に迫る。だが、彼はきっぱりと言う。
「私にとってはどっちも大事なんです」
このセリフには「自分自身も大切だが、同じように他人も尊重しなければならない」との意味が含まれている。さらに「日本も中国もどちらも大事な国なんだ」というメッセージも入っているように聞こえる。深い意味を持つセリフだ。
高倉健の映画を見ながら考えた。人生とは「大切なもの」を探す旅でもある。では大切なものとは何か。それぞれの人によって異なる価値なのか─。そして高倉健にとって大切なものとは何か……。
「人生で大事なものはたったひとつ。心です」
それが彼からの返事だった。
PRESIDENT Online 様より転載
特集ワイド:高倉健さん&近藤勝重・専門編集委員対談/上 あなたへ、想い届けたい
毎日新聞 2012年07月18日 東京夕刊 ◇諸行無常強く感じた「8.15」と「3.11」
近藤 健さんは、ポルトガルにもこだわってますね。「あなたへ」では、ポルトガルなど南蛮貿易の港だった長崎県の平戸が大切な舞台です。
高倉 因縁ですねえ。休暇をもらってヨーロッパに行って良いと言われたら、ポルトガルに行きたいですね。日本人は、フランスやイタリアには皆行きます。でも僕は若い人に必ず言うのです。ポルトガルに行きなさい、ってね。
仕事でポルトガルに行った時、食事に誘っても、運転手さんがなかなか一緒に食べようとしない。どうしてだろう、と彼が一人で食べているところを見に行ったら、それはぜいたくな食事でしてね。食前酒を飲み、お魚を注文し、白ワインを飲んで、食後酒まで。ほほ~、と思いました。この国の人たちは、自分の生き方を貫き通すんだなあ、と。
近藤 生き方の流儀、でしょうか。
高倉 東京・六本木では、若い連中がフェラーリなんかに乗ってます。一方、ポルトガルにはそんなのは一台もない。でも、何とも言えない豊かさがある。何百年も前に豊かさの極限を知ってしまった民族というんでしょうか。落ち着きます、ポルトガルって。
旅での出会いを四季に分けて語っている中で、「夏の旅」〈人間のリズムで暮らす〉の一文に心惹かれたのである。「昔男ありけり」というテレビ番組のドキュメンタリーで檀一雄といっしょになった、その出会いのことをかなり詳しく書いている。場所はポルトガルのサンタクルスである。檀さんは異国のこの小さな漁村で暮らしていた。ここで暮らす人々の生活のリズムが、旅人の高倉健にも心地よく伝わってきたという。生前の檀さんのことを皆覚えていて、愛おしむように思い出を語ってくれたという。その温もりみたいなものが、本当の「人間のリズム」ではないかと思う。「男が男らしく生きるとはこういうことなんだ」と「火宅の人」の口述テープを聴きながら思ったという。
「さまざまな欲望の中で、自分の行動を規制し、もって大事をなす」という意味の言葉を想起したりするのだった。
肺癌の末期による激痛に襲われながら畢生の労作「火宅の人」を書き残す男の最期を演じさせてもらったことを言っているのである。命を鍛冶して自分の人生に立ち向かう壮絶さに感じて演じ上げたということ。最期に最も印象的なすばらしい「檀一雄観」が次の一文に表されている。
「人生とは何か、を伝えたい父親の優しさが、無頼と呼ばれた強い男の裏にある」すなわち、男は多くを語らないのである。
ネットサーフィンをしていたら、2006年の記事に、高倉健さんが、文化功労賞に選ばれた、とい記事に出会いました。
遅ればせも、いいところですが、そうかぁ、うれしいなぁ、と感じました。
75歳。歳を降れば何人もの人が栄誉をになうのだろうと思っていたが、俳優としては初めてだといいます。(だから、今は、77歳なんですね~)
極限の地や、極限の立場に置かれた人を演じてきた高倉さんが、以前、こう述べたことがある。
「孤独な作業に命をさらし・・・揉まれに揉まれ、悶え苦しんだ者だけが、やさしくてしなやかな心を持つことができる。
僕はそういう人間に感動します。(アサヒグラフ)」
という朝日新聞の記事に惹かれて、健さんの「あなたに褒められたくて」を久しぶりに手にしました。
この本は「宛名のない絵葉書」というお話から始まります。
檀一雄という作家が、ポルトガルの西端のサンタクルスという小さな漁村に住んでいたことのドキュメンタリーを撮る、という仕事でのお話です。
檀一雄と高倉健という、どこか似た、さすらい人を感じさせる好エッセイという気がします。
ほとんどの撮影が終わって、あとはヨーロッパ最西端のロカ岬で、大西洋に沈む夕陽を撮ることになります。
落日を拾ひに行かむ海の果て
と、謳って、檀一雄はこのロカ岬に沈む夕陽をこよなく愛したと言われます。
(なんで、檀一雄はヨーロッパの果ての果てまで来て、知る人も居ない小さな漁村で、一人暮らしを始めたのでしょう。
自分自身の落日を見とどける、という意味もあったのでしょうか。2年間の滞在のあと、身体を壊して日本に帰国することになります。)
夕陽を待つ間、健さんは日本に送る手紙を書きます。
「ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬の、村はずれのカフェで、この葉書を書いています。
夕陽が大西洋に沈む、そのときを待ちながら、なぜかあなたのことをとっても思っています。
ここまででいっぱいになった葉書を手にして、健さんは、誰に書いているのか、いったい誰にだしたらいいんだろう、とわからなくなってしまいます。
誰なのでしょう。
この答えは、この本の最後のお話「あなたに褒められたくて」で明らかになるのですが、一旦わきに置いておいて、もうひとつの話題を。
むかし男ありけり 木村栄文作品 鑑賞
に出かけてきました。取り急ぎ木村ディレクターの以下5作品を鑑賞しました。
撮られる視点も、問題提起も、役者さんの配役も、見どころもすべて違っていて、
本当に同じ人が作ったのかと思えるくらい、重ねてみても飽きないどころか、
引き込まれてしまう作品の数々でした。
もちろん、どの作品も甲乙つけがたい傑作の数々です。
しかし、表題のとおり、私が想いをまず書きたいのは「むかし男ありけり」です。
この映画は、壇ふみの父としたほうが有名であろう直木賞作家「
壇一男」の
晩年の送ったポルトガルのサンタクルスを高倉健がレポーターとして、
現地にて、壇一男が接した人々にインタビューをしながら、
彼の著作を読みながら、その生活に触れていく紀行ドキュメンタリー(?)です。
壇一男は、最後の無頼派と呼ばれるくらいの、好色家であり、
生涯で沢山の土地を行き来するたびに、多数の女性を虜にした人物であったようです。
この「むかし男ありけり」の中でも、彼の話をするだけで、
弾けんばかりの笑顔を見せる女性が多数登場します。
一年半に渡って家族同様のつきあいをしたポルトガルの人々はもちろん、
博多にある呑み屋さんの女将も、ぞっこんだったことは、
ディレクターの木村さんと高倉さんが、インタビュー時に
言葉をなくして、彼女に「何か言って」とせっつかれるシーンを見れば伝わってきます。
木村栄文さんも高倉健さんも、女性にもてる心優しい男性ですが、
その二人を持ってしても、持て余してしまうほど、
女性に対して特に魅力あふれていた壇一男という
オトコの生涯を見事に表現した作品でした。
壇一男は、代表作が「火宅の人」という小説と括られるのですが、
実態は、自らの体験を描いた作品であり、彼の女性遍歴、
人生に影を落としている重たい精神の想いが赤裸々に綴られているそうです。
(私は現時点で未読なので内容は判断できません。)
高倉さんは、その壇が歩いた場所を訪ねて、彼を慕った人々と会話して、
この作品が、本当に精魂こめて文章化されたことに感銘を受け、
居住まいを正して作品を味わわなければいけないと、最後に感想を述べていました。
作品の表現としての観点からは、高倉健を使ったこと、
木村栄文ディレクターがインタビューをしていること、
当人の愛人に直接想いを訪ね歩くことなどにスポットがあたるかもしれません。
しかし、そういったものを抜きにして、木村ディレクターと、高倉健さんが
本当に、壇一男という男に対して尊敬の念を抱いているという軸が
一本に通っている作品だったように思います。
高倉健さんがポルトガルを訪れて、明日帰るという最後の夜、
サンタクルスの壇行きつけのバー主人が、壇一男を記念したパーティーを開きます。
そこには100人を超える人々が集まって、本当に楽しそうな表情をしています。
きっかけは作られたものだったかもしれない。
けれども、その作られたきっかけをもとにして、偶然の出来事をたくさん起して、
本当の人々の感情を引き出していく、
これが、木村栄文作品の真骨頂です。(少なくとも5作品はそうでした)
この素晴らしさがうまく表現されている作品だったと思います。
壇一男の作品にもきちんと目を通してみたいと思います。
読者のみなさん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年は大物俳優の方々が多く亡くなってしまった年という印象でした。1月の二谷英明さんに始まり、大滝秀治さん、森光子さん、そして12月には歌舞伎俳優の中村勘三郎さんまで……。今年は芸能界くらい明るい楽しい一年になればいいなと期待しています。ここでもハッピーな話題をなるべく多くお届けしたいと思います。
“不器用”な男の心遣い
さて、音楽界が日本レコード大賞、紅白歌合戦と、年末に盛り上がるのに対し、年明けから話題になるのが映画界です。日本アカデミー賞、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールなど各映画賞の発表が続き、各雑誌・新聞の映画記者たちは忙しい毎日を送ります。
今年の賞レース、主演男優賞の大本命が高倉健さんです。6年ぶりに主演した「あなたへ」で、すでに発表された報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞を獲得。私も作品を拝見しましたが、隙のない重厚な演技は、若手には醸し出せない貫禄があり、受賞は文句なし。ただ、演技以外にも賞を取ることに納得してしまう理由があります。それは、ズバリ「人柄」です。
前作「単騎、千里を走る。」(2006年)の公開後、沈黙していた6年の間、高倉さんには世界の映画人から出演依頼があったそうですが、いずれも首を縦にふらず、最終的に選んだのは「鉄道員」などでコンビを組んだ盟友・降旗康男監督のオファーでした。作品世界の高倉さんそのもののような義理堅さです。
また、共演キャストにお礼の手紙や贈りものをするのは有名な話。今回の撮影ではナインティナインの岡村隆史さんに「忘れ物だよ」といって、自分の帽子をさりげなくプレゼントしたそう。「健さんのためなら死ねる」と言ってはばからない俳優が後を絶ちません。“男が男にホレる”。そんな俳優です。
高倉さんの心遣いは、共演者にばかりでありません。今作では撮影地となった長崎・平戸や富山の刑務所での試写会を自ら発案し開催。舞台あいさつにも赴きました。マスコミの応対も非常に丁寧で、一度取材をすると、みんながファンになってしまうと聞きます。
各賞の審査員はさまざまですが、やはり演技を超えた人格などの評判は影響を与えるものでしょう。早くからチヤホヤされて、勘違いをしてしまう若手俳優が多いなかで、高倉さんには、いつまでも最高の見本として元気に活躍していただきたいです。
(2013年1月11日 読売新聞)
読者のみなさん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
昨年は大物俳優の方々が多く亡くなってしまった年という印象でした。1月の二谷英明さんに始まり、大滝秀治さん、森光子さん、そして12月には歌舞伎俳優の中村勘三郎さんまで……。今年は芸能界くらい明るい楽しい一年になればいいなと期待しています。ここでもハッピーな話題をなるべく多くお届けしたいと思います。
“不器用”な男の心遣い
さて、音楽界が日本レコード大賞、紅白歌合戦と、年末に盛り上がるのに対し、年明けから話題になるのが映画界です。日本アカデミー賞、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールなど各映画賞の発表が続き、各雑誌・新聞の映画記者たちは忙しい毎日を送ります。
今年の賞レース、主演男優賞の大本命が高倉健さんです。6年ぶりに主演した「あなたへ」で、すでに発表された報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞を獲得。私も作品を拝見しましたが、隙のない重厚な演技は、若手には醸し出せない貫禄があり、受賞は文句なし。ただ、演技以外にも賞を取ることに納得してしまう理由があります。それは、ズバリ「人柄」です。
前作「単騎、千里を走る。」(2006年)の公開後、沈黙していた6年の間、高倉さんには世界の映画人から出演依頼があったそうですが、いずれも首を縦にふらず、最終的に選んだのは「鉄道員」などでコンビを組んだ盟友・降旗康男監督のオファーでした。作品世界の高倉さんそのもののような義理堅さです。
また、共演キャストにお礼の手紙や贈りものをするのは有名な話。今回の撮影ではナインティナインの岡村隆史さんに「忘れ物だよ」といって、自分の帽子をさりげなくプレゼントしたそう。「健さんのためなら死ねる」と言ってはばからない俳優が後を絶ちません。“男が男にホレる”。そんな俳優です。
高倉さんの心遣いは、共演者にばかりでありません。今作では撮影地となった長崎・平戸や富山の刑務所での試写会を自ら発案し開催。舞台あいさつにも赴きました。マスコミの応対も非常に丁寧で、一度取材をすると、みんながファンになってしまうと聞きます。
各賞の審査員はさまざまですが、やはり演技を超えた人格などの評判は影響を与えるものでしょう。早くからチヤホヤされて、勘違いをしてしまう若手俳優が多いなかで、高倉さんには、いつまでも最高の見本として元気に活躍していただきたいです。
(2013年1月11日 読売新聞)
お~~~そのチューナー、今、注文していて
明日頃届く予定です♪
内緒さんがたくさんコメントしてくださって、
私も以前の日記を読み返しながら、いろいろ勉強になります。笑
自分で書いておきながら忘れちゃってるから^^;
2012/6/17(日) 午前 10:39 [ YU ]
マドモアゼル愛さんの新月のエネルギー入りローズ水とかローズティーとか、本当に波動が高くて、愛がいっぱい入ってるんですよ!
彼の主催する「妖精のお茶会」というものに行ってみたい~~♪
名前が可愛いと思いません??^^
2012/6/17(日) 午前 10:41 [ YU ]
『妖精のお茶会』もそうだけど、マドモアゼル愛さんて男ですよね・・・名前が可愛いいのは気のせいですか(笑)??
今一番必要としてるのが香りと水なんですよね。マドモアゼルさんの
ところだったら何かいいことがあるかもしれないですね。
はて、妖精がお茶する会ってどんなんだろう?^^
コメントたくさんしたかったのですが、
変な人みたいだったので遠慮しました。
子どもたちの話をしてるのが一番好きです^^
おやすみなさ~~いzzZZZ
ドルジェ拝
2012/6/17(日) 午後 9:41 [ shining-egg ]
そう、男性です。ホント、かわいい名前ですよね~~笑
>今一番必要としてるのが香りと水なんですよね
これは、人類が進化のために必要としているものという意味ですか?
いえいえ、ドルジェさんとお話しするの、すっごく楽しいので
どんどんコメント書いてくださいね!!
おやすみなさいって・・・・もうお休みになるんですか??
早寝早起きのいい子ですね^^おやすみなさい♪
2012/6/17(日) 午後 10:14 [ YU ]
こんばんは^^
日本は数少ない六月の台風が来ています。
この前お話したダイアナ・クーパーはアトランティス文明に
精通している方です。2012年以降のワールドヴィジョンもあって、かなり面白かったですよ!
戦争カルマの解消も含めて論じられてるので、リアルでした・・・
個人的な話ですが、出かける先々で第二次大戦の鎮魂碑に出会う身としては面白かったです^^
クリスタル・キーパーの話もあったかな??
こちらのブログでも特に気になってたんですよ。
そうそう、エジプト記など含めてこちらで拝読してから
クリスタルで結界作ったりエネルギー転写を試みたりして、
遊ぶようになったんです(笑)面白いですよね。
今、どうやったら‘ライトボディ’が効率的に浄化されるか
ケンキューしてるんですよ~。
2012/6/19(火) 午後 10:20 [ ドルジェ ]
ダイアナ・クーパーさんの本をアマゾンで見ていて、「アトランティスのスピリチャルヒーリング」のレビューのなかの「アトランティスは人間が肉体を持った状態で、ソースとのつながりを保ち続けることができるかを試すために、銀河宇宙評議会によって行われた実験の場だったそうです」を読んで、なるほど~~と思いました。
今の地球には、アトランティス時代を生きていた人たちが
たくさん転生してるっていいますけど、きっと、私も
そうだったんだろうな~~って思います。
アトランティスが沈むときのこと、覚えてるんですよ~~
妄想かもしれないけど。笑
そうそう、今日、ギリシャのデルフィ・アポロン神殿の写真を
たまたま見たんですけど、これが、アトランティス最後の日に
大勢の神官たちと祈りを捧げていた場所にそっくりでびっくりしました^^
2012/6/22(金) 午後 9:35 [ YU ]
マイフレンド!こんばんは^^
アトランティスが沈む時のこと覚えていますか?
デルフィ・アポロン神殿は最も好きな遺跡の一つです。
多くの人の記憶にいまだ残るくらいなのだから、
アトランティスは本当に思いの詰まった、時代、カルマなんでしょうね。
全然違う話ですが、528Hzチューナー凄いですね。
本日届いてNo.は414でした^^
2012/6/23(土) 午後 11:14 [ Dorje ]
528チューナー、凄いですよね~~全身がビリビリ来ますね♪
私のNoは257でした。
ライトボディの活性化、今は、どんなことをなさってるんですか~~?
私は、一時期は、とにかく松果体を活性化させることに力をいれていて、太陽凝視したりとかトリプトファンのサプリを飲んだりしてました。今は、特に何もやってません^^;;
2012/6/25(月) 午前 11:01 [ YU ]
愛しのマイフレンドさん♪
なるほどね~~~
>映像と言葉、呼吸で微細なエネルギーを動かすんですが・・・
言葉というのは、マントラという意味ですか?
特別なマントラがあるんですか??
私は、ライトボディーを目指しているというか、
自分の中には、「愛」しか詰まってないぞ♪という状態に
なりたいんです~~♪
愛の化身、みたいな。笑
そのために、この1年間は、自分の中の闇を見つめ(見させられ?)
自分の闇、シャドウを統合した1年でした^^
闇は光を際立たせますからね^^一層、輝きたいと思います♪
いつもありがとうございます♪
音楽療法用 Awaken -Beta Brainwave Boost - Isochronic Tones - Engage The Forces Tra