愛と命の尊さを見つめて.. ポルトガルから『日昇庵だより』 ”人生 邂逅し、開眼し、瞑想す” 日々是反省ブロ愚

今日出会った素敵な言葉、素敵な人たち、ここに集めてみました。
これは、自分だけのオリジナル・スクラップ・ノートです。

エール

2011-01-15 19:39:03 | 最近思う事

          嗚呼 花の応援団!!

このブログによくコメントしてくれる、三奈子さんにエールを、、。
2011-05-15 19:29:12

母親失格

テーマ:ブログ

実は
息子が
半年まえから不登校

いろんなことを
わたしなりにして
きたけれど

いまだ学校にも行けず

一週間後に
修学旅行がある

なんとか
その前に一日でも学校へと思ったけれど

お昼から
息子が 鼻水と喉の痛みを訴えてる

食欲はあるけれど

ずっと
家にこもり

わたしも
仕事の忙しさにかまけて
栄養の整った食事も
用意してやれず

自分の体が
ボロボロになりながらも
仕事には行かなくてはならず

息子のことを気にやみながらも
なにも
できないわたし

母親失格

もうどうすれば
いいのだろうか?

でも
仕事をしなければ
我が家は生活していけず

夫は
頼りにならず

どうしていけば
いいのか
わからない

  若しアドバイスできたら→コメントを。  
   

 ( ヒント )       鬱(うつ)はラッキーだ! うつの4つの真実

あなたは鬱(うつ)を抱えていますか? あなたは元気ですか?
このビデオはうつのおかげで、(1)自分のもっている期待の現実性、(2)今を生きることの大切さ、(3)宇宙の真理、(4)真の自分を学べることができることを示してい­ます。生きることに行き詰ったとき、何かのヒントになれば幸いです。

  ( ヒント )       愛と感謝:新しい次元へ LOVE & GRATITUDE

「もし明日あなたの人生が終わる」といわれたら、あなたはどうしますか? 恐怖のために身動きがとれなくなる人もいるでしょうが、多くの人々は共通してあることをしたくなるのではないでしょうか? そこにこそ人生の本質があります。その本質とは?
この動画を観ることによって、あなたの周囲の人々に対する思いが深まると思います。


三奈子さんへ  特別号

2011-01-15 02:10:21 | 最近思う事

三奈子さんへ  特別号


        

         ありがとうのうた (平成バージョン)


 死にたいくらいさびしいあなたへ:いま、ここの奇跡

http://ameblo.jp/uchuuwakuwaku/
http://blog.livedoor.jp/mrmonaka/archives/51544084.html

新作動画が完成しました。タイトルは「死にたいくらいさびしいあなたへ:いま、ここの奇跡」です。

クリスマスのこの時期、町はきらびやかなクリスマスのデコレーションでいっぱいです。大勢カップルも歩いています。また、家族で楽しいひとときをすごしている人たちもいま­す。

しかし、そんな中忘れてはいけないのは、大勢の人が孤独を感じているという事実です。そして、残念なことにそれを理由に自ら命を絶ってしまう人もいるということです。

私もクリスマスの時期に人一倍孤独を感じていた人間の一人です。

このビデオはそんな孤独の人を励まそうと思ってつくりました。

ここ数週間かなり時間とエネルギーを使って、このアニメをつくっていました。

はたしていつ完成するのか、自分に最後までできるのか、と不安にもなりましたが、目に見えない力の導きを受けながらようやく完成しました。私の感覚としては、私が個人的に­作ったというよりも、私に作られるのを待っていた作品といえるかもしれません。

今日ようやく公開できるのでとても嬉しく思っています。

ストーリーは自ら命を絶とうとする女性からはじまります。
その女性を救おうとした男性が語る宇宙の真理とは?

少しでも何か皆さんの胸に響くものがあれば幸いです。


              『 セロトニンを増やす 交換神経刺激 』

これ、かなり効果あります。 早速試してみて! 日に、何度もね。

 

「恐れ」からの脱出★アファメーション付

 さんが 2010/03/17 にアップロード

地球人のためのスピリチュアルレッスン☆
http://VastStillness.com
「恐れ」に毒されている社会や自分に気がついて、今日から「解放」です☆パワフルなBGMと映像にのったメッセージを受け取ってください。I am LOVE. I am FREE. I am ALL THAT IS. I am SAFE. I am EXIST. I am STRENGTH. I am TRUST. I am ENOUGH.☆Credits to DavidChilderley's Video

 

          

  ありがとうの歌 (昭和バージョン)

お母様も応援しているし、、、


           アタックNo.1 』

小さい頃の君も応援しているから、、、

 


 

   それでも、、、全て順調~だよ。

                       (飯田史彦)



空海の恐怖の予言

2011-01-14 03:08:36 | Para um português

【シークレット版】  (笑)

 

 

 521大震災予測発言まとめ

                 (2011年5月21日大地震)

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渡邉正次郎 NewsToday

 

     的中した空海の恐怖の予言!

     「21世紀初頭、人類は修羅地獄に落ちる!」

                 2011/05/12 00:00


的中した!「21世紀初頭、人類は修羅地獄に落ちる!」 

 

筆者の「空海に教わる親子学」(イーストプレス刊)を目にしていないブログ読者に、的中した空海の怖ろしい予言を再度紹介する。 

 

空海が突然、夢枕に立ち、呟くように語り始めたのは、平成12年(2000)、桜の花びらが舞い散り、木々の青葉が輝きだしたころでした。(略) 

「(略)今世紀初頭、地球上の人類は、血の海でのたうち回る修羅地獄となるだろう」


「神国日の本の民族は腐り果てた。いまこそ世直しのときぞ。すべての世を変えるとき来るぞ。世直しをせねば人類は滅びる」呟きが絞り出すような声に変わりました。

 

「生きとし生けるもの、すべてに生命があり、言葉(神)があり、愛がある。地・水・火・(太陽・火)風・空にも生命があり、言葉(神)があり、愛がある。


 

地球を含む広大無限な宇宙は、生物や無生物すべてに存在価値があり、生命があり言葉(神)があり愛がある。それを動かす無限エネルギーが真言(大日如来=太陽神)である。



これを認めず、軽んじ、踏みつけ、すべての生命体と、地・水・火・風・空に感謝を忘れた人間と、生かさせていただいていることに感謝を忘れた人間に、大日如来(太陽神)の怒りは下る」 

 

空海の言葉は、一段と強くなり


「二十一世紀初頭、地球上にかつてない、想像を絶することが起きる。空海自ら人類救済に立ち上がる。が、神を敬わぬもの、神を畏れぬもの、己の我欲のみ強きもの、己の生きざまを悔い改め懺悔せぬもの、邪淫の欲に溺れるものには、手を差し伸べることはない!」 

と結んだのです。 

 

私はベッドから飛び起きました。部屋は真っ暗。全身が汗でぐっしょりです。普段あまり夢を見ないだけに重い夢だったと、ベッドサイドの目覚まし時計を見ると午前二時。(以下、略) 

 

繰り返しますが、空海が夢枕にたったのが、2000年の春です。そして筆者が空海のこの予言を前書きに「空海に教わる親子学」を書き上げ、出版社に原稿を渡したのが2000年10月。発刊されたのが翌年の2001年2月です。 

 

お蔭様で大きな反響を呼びましたが、寄せられた読者の多くの手紙にも空海の予言をそれほど深刻に考えている人は少なかった。ですが、この年の9月11日、世界を震撼させたあのニューヨーク9・11テロ事件が起きたのです。 

 

これに激怒した米は、核を保有しテロ組織を匿うとして、西側諸国と共にイラクを攻撃、つづいてのアフガニスタン戦争はいまだ終わりが見えません。

 


思い起こしてください。それから今日まで、列記はしませんが世界中でどれだけ人類を犠牲にする大地震、大干ばつ、大洪水、山火事等の天変地異が続いたことか。



そしてついに2011年3月11日の東日本大地震、大津波、東京電力福島原発爆発。

 

 

 

まさに空海の予言は的中したのです。したのではなくし続けているのです。今後も世界を震撼させる天変地異(戦争も含め)が続発し、我欲にまみれ、地球を汚し、宇宙までも汚染している人類の三分の一を淘汰するのは間違いありません。



異常に霊感の強い筆者の目に浮かぶのは、今後、10年以内に日本では大地震で四国が沈没し、剣岳の頂上のみが残り、日本列島が関東で西と東に分断されるでしょう。


死者は数百万人に・・隣国中国はもっと悲惨で大地震が連続起きて、原発すべてが爆発、大洪水で人々はことごとく死に絶える・・・北アフリカ、中東では歴史上かつてないイスラム、キリスト教国家間の想像を絶する第三次世界大戦が起きます。


読者には筆者の予言を信じない人もいるかもしれません。が、これまで配信したブログで筆者の霊的直感の鋭さをご存知のはず。

 

この記事を書く方面に貼り付けてください。語学に自信のある方は各国に配信してください。少しでも助かるのです。


 

 

近々、 

告発!!筆者だけが持つ“東電政治大スキャンダル”!!

 

 

 

 

渡邉正次郎 NewsToday

 

    渡邉 正次郎(わたなべ しょうじろう)NEWS TODAYより


 


KOKIAさんのメール

2011-01-13 09:12:56 | KOKIAの歌と共に

【シークレット版】       御礼

 

5月18日で一応、100日間のKOKIAの唄の巡礼、お百度参りも満期終了しました。


皆さん、長らくお世話になりました。

   

このブロ愚が、そんなに影響力あるわけではないですが、これを通してKOKIAさんの唄をまだ知らない日本の方々にお届けしたい!!と言うのが一つの目的で始めました。 が、、、まだまだ届け切れてないと言う思いがたぶんに残っております、、。


未知なる外国を舞台に一人挑み、外国人ばかりの大観衆を相手に唄一本で勝負をかけているその姿に、何故かSAMURAI魂を感じ、、そんなKOKIAさんの唄を常に生活の励みにさせてもらっております。


去年のパリのコンサート後日、KOKIAさんから頂いた一通のメール以来、いつの日かポルトガルでもコンサートが開かれたらいいな~~と夢見るようになりました。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


佐原さんへ


こんにちはKOKIAです。

パリのコンサートにお越しいただき、とても嬉しかったです。

終演後、もちろんスタッフからメッセージつきのオリーブオイルを受け取っておりました。


お心遣い、ありがとうございます。

まだ味見していないのですが、年末年始のホームパーティの時に使わせていただきたいと思っています。

もちろん、ステージドリンクとしても。


ポルトガルにお住まいとのこと。

そうした地から私の歌を応援して下さる方がいらっしゃるのは、不思議な気持ち

と同時にとても心強いものです。


これからも人の心に響く、そんな歌を一生懸命に届けてゆきたいと思っておりますので、応援して下さい。

またいつか世界のどこかでお目にかかれるのを楽しみにしています。


ポルトガルにもいつか歌を届けにゆけたら、どんなに素敵なことか!っと夢みて

おきます。


KOKIA


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


そんなわけで、これからも何かのかたちで応援していきたいと思っております。

一緒に応援いていってくださいね。

 

 

 

 


「懐かしい未来」

2011-01-12 05:57:28 | Para um português

2007/07/10

♪ 「懐かしい未来」を生きる:ヘレナ・ノーバーグ・ホッジさん ♪ - 33分24秒 - 7.7 MB

東京平和映画祭のスタッフ西方さやかさんから、当日の写真ファイルが届きました。よかったら、ご覧ください。
http://peacefilm.spaces.live.com/

PodCast GIF

Helena JPG

第4回東京平和映画祭のゲストとしてラダック(とオーストラリア)から来日してくれたヘレナ・ノーバーグ・ホッジさんが我が家に2泊して、この小さな農場と築200年の古民家での暮らしを体験してくださいました。小さな畑と田んぼが私たちに毎日もたらしてくれる豊かな食卓に、驚いていました。その間、彼女をポッドキャストのゲストにお迎えしましたので、ぜひ聞いてください。

このブログを読んでくれているあなたに、私が心からおすすめしたいのは彼女の映画懐かしい未来』です。ヘレナさんは明日から韓国へ行き、その後ラダックへ行くそうですが、彼女の本は韓国では30万部も売れたベストセラーになっているそうです。韓国人のほうが、感度がいいですね。日本ではまだ5千人しか彼女の本を読んでいません。これから、きっとブレイクするでしょう!

グローバリゼーションのさまざまな問題を解決する鍵は、ラダックのような自給自足コミュニティーの中にもありますが、私たちがここで米や野菜を自給しながら、ご近所からときどき卵やミルクや魚をわけてもらい、24時間365日、好きなことをして暮らしている中にもあります。

食べ物をキーワードにローカリゼーション(地域化、あるいは地産地消費)を進めていくこと、具体的に言うと、あらゆる生産と消費の距離を縮めていくことが、環境問題から貧困や失業問題、そして紛争を防ぐことにまでつながっている、というのが、彼女との出会いによって以前にもましてよく見えてきました。今はローカリゼーションを進めていくことの可能性に、わくわくしています。

彼女の次なる計画は、オーストラリアにラダックのような(といっても、もちろん、彼女のライフスタイルにあった)ローカル・コミュニティーを創ることです。私たちもハーモニクスライフセンターを南半球とアメリカのどこかに創ることが次なる計画なので、もしかして「一緒にできるかもね」とすっかり意気投合しました。西洋の多消費(日本もですね)生活に対する対案を、ハーモニクスライフセンターで体験してほしいからです。今度の冬はオーストラリアの彼女を訪ねるつもりです。

Helena & Yumi JPG


日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)

2011-01-07 20:30:04 | 最近思う事

 

連載企画 加賀百万石異聞「高山右近」

 

北國新聞朝刊(2002/07/09付)
~ バテレン追放令 ~
博多・箱崎の陣で秀吉ひょう変 奴隷売買と寺院破壊を怒る
秀吉の町割りの歴史を語る博多祇園山笠の飾り山笠。博多の夏を華麗に彩る=福岡市博多区

 今、最も元気な地方都市といわれる福岡市は、7月に入ってからは祭り一色である。目の覚めるような巨大な祇園山笠がビルの谷間に立ち並び、浴衣姿の世話役衆が仕事そっちのけで街角の飾り山笠に詰めている。近代都市「福岡」はこの季節、歴史の街「博多」の素顔を色濃く見せるのである。


 山笠には「東流(ひがしながれ)」「中洲流(なかすながれ)」などの名前が付けられている。「流(ながれ)」とは、1587(天正15)年、島津制圧を終えた秀吉が、博多再興のために街を7つに区切った「太閤町割り」と呼ばれる街区組織の呼び方だ。今に続く博多の祭りは高山右近も登場する天正期の秀吉遠征と大いに関係しているのである。


 その年、5月。秀吉は京都を前田利家に5千の兵で守らせ、大坂城は秀次の1万の兵を置き、畿内を固めた上で九州に向け出陣した。利家は留守役に回ったが、すでに越中三郡を与えられ一人前の大名となっていた前田利長が秀吉軍に加わった。利長ら30カ国から集められた秀吉軍は総勢4万。先頭に右近の軍勢があった。


 2年前、明石に転封となっていた右近が秀吉軍に加わり九州に向かったのは1587年4月末だった。フロイス「日本史」によると、右近は秀吉軍の前衛総指揮官の役を命じられて明石を出陣した。

600の歩兵、百の騎兵と多数の雑役で組織された右近軍は「ある者は十字架を兜(かぶと)に、あるいは旗に付け、また他の者はそれを衣裳に描き」「鎧(よろい)の上から大きな十字架を下げて」行進。

進軍先では真っ先に敵をき、秀吉の本陣を率先して守るなど、並々ならぬ貢献ぶりだったという(別の当代紀などには総勢1300人で旧暦2月に出陣の命を受けたとある)。

日本の三大八幡宮の1つ、博多の筥崎宮。福岡市街地にあり空港が近く、旅客機が低空で宮上を横切る。秀吉の駐留は1587年7月、その当時から存在した拝殿は現在修理中だ

 肥後八代(熊本県)で島津勢を一蹴した秀吉は、軍を博多に引き返し、6月、筥崎宮(はこざきぐう)(地名は箱崎)に陣を張った。博多湾に近い千代の松原で茶席をもうけ、博多の有力商人たちを取り込んだ。堺と並び国際交易都市で知られた博多は、度重なる戦火で著しく荒廃していた。薩摩を支配下に置き、西日本を完全制圧した秀吉は次なる目標、大陸進攻の基地として博多の街を復興させる必要があったのである。 


 秀吉 の天下取りの思惑とは別に、大村、有馬の両キリシタン大名を脅かす九州の雄、島津を打ち破るのは右近の願いでもあったに違いない。

秀吉と右近の関係は九州平定でますます強固になったと思われた。だが、島津を破り、右近の役割が終わったのを見計らったように箱崎の陣にあった秀吉は突然「バテレン追放令」を出し、右近に棄教を迫ったのである。


 近年、研究者の間で内容の理解の仕方に論争までおきているが、追放令は外国人向けと見られるものと、国内向けの条例のようなものの2種類が出された。定説に従えば1つは次の五項目からなっている。

一、 日本は神々の国である。キリシタン国から邪法を授けるのはよろしくない。
一、 彼らは諸国で宗門を広め、そのために神社仏閣を破壊した。かつてないことであり、罰せられることである。
一、 バテレンは二十日以内に自国に帰るべきである。
一、 商船は商売のためであるから、別の問題である。
一、 今後、神と仏の教えに妨害を加えなければ日本に来るのは自由である。

   もう1つの国内向けとみられる法令は11カ条からなっている。一条から九条までの内容は▽キリシタン信仰は自由であるが、大名や侍が領民の意志に反して改宗させてはならない

▽一定の土地を所有する大名がキリシタンになるには届けが必要▽日本にはいろいろ宗派があるから下々の者が自分の考えでキリシタンを信仰するのはかまわない―などと規定する。
 

注目すべきは次の十条で、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止。十一条で、牛馬をし食料とするのを許さない、としていることである。


以上の内容からは▽右近が高槻や明石で行った神社仏閣の破壊や領民を改宗させたことを糾弾▽有力武将を改宗させたのはほとんど
が右近によってで、右近に棄教をさせることで歯止めがかかると見た

▽バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが分かる。秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった。


さらに重要なのは、日本の民と国土は、天下人のものであり、キリシタン大名が、勝手に教会に土地を寄付したり、人民を外国に売ることは許されないということである。天下統一とは、中央集権国家の確立にほかならない。キリシタンは、その足元を乱す、かつての一向宗と同じ存在になる危険性があると秀吉が感じていたことがわかる。


「バテレン追放令」は、キリシタンが対象であるかのように見えて、実は日本が新しい時代を迎えるため何が課題かを暗示する極めて重要な出来事だったのである。

 

●〔西欧に資料多数〕
 秀吉のバテレン追放令は、世界のキリスト教史でも重大事件で「バテレンたちの数百枚に及ぶ膨大ともいえる文書がヨーロッパに存在している」(「南蛮のバテレン」松田毅一著)という。

日本側にも資料は多く、博多で秀吉の茶会に同席していた茶人紙屋宗湛(かみや・そうたん)が残した日記によれば、天正15年6月19日(西暦では1587年7月24日)のことで、秀吉の宴席から2人の使者が出され、1人は博多湾に浮かぶバテレンの船へ、もう1人は高山右近の陣営に走ったと書かれている。



◆日本宣教論序説(16) 2005年4月 日本のためのとりなし
http://www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2005/2005.04.jpn.pdf

わたしは先に第4回「天主教の渡来」の中で、日本におけるキリシタンの目覚ましい発展と衰退の概略を述べました。しかし、ここではキリシタンがたどった土着化の過程について考察してみたいと思います。後で詳しく述ぺますが、わたしの先祖はキリシタンでありました。わたしは伊達政宗の領地であった岩手県藤沢町大籠(おおかご)地区での大迫害で生き残ったかくれキリシタンの末裔です。

今はプロテスタントの牧師ですが、わたしの中にはキリシタンの血が流れていると思います。三年前の夏、父の郷里藤沢町を初めて訪問してこの事実を知ってから、キリシタンについてのわたしの関心は以前より深くなりました。そしてキリシタンについての知識も少し増えました。四百年前のキリシタンを知ることが現代のわたしたちと深く関わってくると思いますので、先ず追害の理由から始めたいと思います。

◆1.キリシタン遣害の理由

宣教師ルイス・フロイスが暴君と呼ぶ豊臣秀吉が「伴天連(ばてれん)追放令」を発したのは、1587年7月24日(天正15年6月19目)でした。これは天正(てんしょう)の禁令として知られる第1回のキリシタン禁止令です。それ以後徳川時代にかけて、次々に発せられた禁止令の理由をまとめると、次の五つになるでしょう。

(1)植民地政策

キリシタンの宣教は西欧諸国の植民地政策と結びついていました。それは、初めに宣教師を送ってその国をキリスト教化し、次に軍隊を送って征服し植民地化するという政策です。秀吉は早くもそのことに気づいて主君信長に注意をうながしています。

ポノレトガル、スペインのようなカトリック教国は強力な王権をバックに、大航海時代の波に乗ってすばらしく機能的な帆船や、破壌力抜群の大砲を武器として、世界をぐるりと囲む世界帝国を築き上げていました。その帝国が築き上げた植民地や、その植民地をつなぐ海のルートを通って、アジアでの一獲千金を夢見る冒険家たちが、何百、何千とビジネスに飛ぴ出していきました。

そうした中にカトリックの宣教師たちも霊魂の救いを目指して、アジアに乗り出して行ったのです。彼らが求めたのは、霊魂の救いだけではなく、経済的利益でもありました。

ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てた手紙から引用すると、
「神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。もしも日本国王がわたしたちの信仰に帰依することになれぱ、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的利益をもたらすであろうと神かけて信じているからです。堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、この堺に商館を設けたらよいと思います」(書簡集第93)

「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述ぺたように、堺の港についた時、持ってきたのが少なけれぱ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けが出来るからです」(書簡集第9)。

ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人(マラーノ)だけあって、金儲けには抜け目ない様子が、手紙を通じても窺われます。ザビエル渡来の三年後、ルイス・デ・アルメイダが長崎に上陸しました。この人も改宗ユダヤ人で、ポルトガルを飛ぴ出してから世界を股にかけ、仲介貿易で巨額の富を築き上げましたが、なぜか日本に来てイエズス会の神父となりました。彼はその財産をもって宣教師たちの生活を支え、育児院を建て、キリシタン大名の大友宗瞬に医薬品を与え、大分に病院を建てました。

(2)奴隷売買

しかし、アルメイダが行ったのは、善事ばかりではなく、悪事もありました。それは奴隷売買を仲介したことです。わた〕まここで、鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」P249~257から、部分的に引用したいと思います。

「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があれぱの話だが」。
(以上で「天皇の回ザリオ」からの引用を終ります)

わたしはこれまで各種の日本キリシタン史を学んで来ましたが、この『天皇のロザリオ」を読むまでは、「奴隷」の内容について知りませんでした。しかし、こういう事実を知ったからには、同じキリスト教徒として真摯な態度で語り継いで行きたいと思います。

なお今年の1月30日に、第5版が発行された、若菜みどり著「クアトロ・ラガッツィ(四人の少年の意)」(天正少年使節と世界帝国)P.414~417」に奴隷売買のことが報告されていますが、徳當蘇峰「近世日本国民史豊臣時代乙篇P337-387」からの引用がなされているにもかかわらず、「火薬一樽につき日本娘50人」の記録は省かれています。

そして、「植民地住民の奴隷化と売買というビジネスは、白人による有色人種への差別と資本力、武カの格差という世界の格差の中で進行している非常に非人間的な『巨悪』であった。英雄的なラス・カサスならずとも、宣教師はそのことを見逃すことができず、王権に訴えてこれを阻止しようとしたがその悪は利益をともなっているかぎり、そして差別を土台としているかぎり、けっしてやむものではなかった」(p.416〉と説明して、売られた女性たちの末路の悲惨さを記しています。かなり護教的な論調が目立つ本です。

秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じています。

(3)巡回布教

更に秀吉は、「なぜ伴天連たちは地方から地方を巡回して、人々を熱心に煽動し強制し'て宗徒とするのか。今後そのような布教をすれば、全員を支那に帰還させ、京、大阪、堺の修道院や教会を接収し、あらゆる家財を没収する」と宣告しました。

(4)神杜仏閣の破壊

更に彼は、なぜ伴天連たちは神杜仏閣を破壊し神官・僧侶らを迫害し、彼らと融和しようとしないのか」と問いました。神杜仏閣の破壊、焼却は高山右近、大友宗瞬などキリシタン大名が大々的にやったことです。これは排他的唯一神教が政治権カと緒ぴつく時、必然的に起こる現象でしょうか。

(5)牛馬を食べること

更に彼は、なぜ伴天連たちは道理に反して牛馬を食ぺるのか。馬や牛は労働力だから日本人の大切な力を奪うことになる」と言いました。

以上秀吉からの五つの詰問にたいする、コエリヨの反応は極めて傲慢で、狡猪な、高をくくった返答でした。高山右近を初め多くのキリシタン大名たちはコエリヨを牽制しましたが、彼は彼らの制止を聞き入れず、反って長崎と茂木の要塞を強化し、武器・弾薬を増強し、フイリピンのスペイン総督に援軍を要請しました。

これは先に巡察使ヴァリニヤーノがコエリヨに命じておいたことでした。しかし、かれらの頼みとする高山右近が失脚し、長崎が秀吉に接収されるという情勢の変化を見てヴァリニヤーノは、戦闘準備を秀吉に知られないうちに急遽解除しました。

これらの経過を見れば、ポルトガル、スペイン両国の侵略政策の尖兵として、宣教師が送られて来たという事実を認めるほかないでしょう。これらの疑問は豊臣時代だけでなく、徳川時代300年の間においても、キリシタンは危険であり、キリシタンになればどんな残酷な迫害を受けるかわからないという恐怖心を日本人全体に植え付けることになり、キリスト教の日本への土着化を妨げる要因になったと言えるでしょう。(後略)

 

 

天皇一族と三菱財団が日本人女性50万人を海外に売春婦として売却?

19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。

しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。

貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。

参考:

山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」上下 新日本出版社

 



健さん論

2011-01-04 01:05:20 | 
健さん論

○ 2007年01月22日

豊かさについて

 好きな作家に沢木耕太郎氏がいる。彼が日本の俳優にインタビューした記事が心に残っている。ハリウッドで共演した俳優を訪ねて、彼の豪邸にいった。真夏の暑い日に、お決まりのプールに大豪邸。二階に案内されると、その俳優カーク・ダグラスは冷房を効かせて暖炉にあたっていた。これは豊かさではないと思う。同じ俳優がポルトガルで撮影に入った、運転手をしてくれた初老の男性にお礼をしたいと申し出たとき、逆に自宅に案内された。そのお宅に伺ったときショックを受けた。質素ではあるが立派なお宅に、調度品や家具もセンスがよく食事もおいしかった。日本は、国は富み会社も富んでいるが、個人は豊かであろうか。本当の豊かさとはなにかを考えさせられたと、その日本の俳優高倉健は言った。同感。

                                       前静岡県議会議員の奥川ひろし氏


○ 【天声人語】2006年11月04日(土曜日)付

 人はなぜか、最果ての地に心引かれる。たとえば、ユーラシア大陸の西の果てとなるポルトガ
ルのロカ岬。アジアから延々と続いてきた大地が、そこで大西洋に沈み込む。「ここに地果て、
海始まる」。そそり立つ絶壁の上に詩碑が立つ。

 その岬の夕日を待つ間にカフェで書きかけ、結局出さなかった手紙のことを、高倉健さんが自
著『あなたに褒められたくて』(集英社)に書いている。それから何年も後、部屋を片づけてい
た時に、その手紙が出てくる。気持ちが一気にロカ岬に連れ戻される。そして、岬からそう遠く
ないサンタクルスという漁村にかつて住んだ作家、檀一雄の一句をつぶやく。〈落日を拾ひに行
かむ海の果〉。

 ロカ岬でペンを握りつつ、沈む夕日に向かう男の姿が、鮮やかに、そして切なく目に浮かんで
くる。最果てとの取り合わせが、これほどしっくりとくる役者も少ないだろう。

 「南極物語」や「八甲田山」といった実際の地の果てや秘境の映画だけではない。「昭和残侠
伝」のような任侠(にんきょう)映画も、いわば「いのちの最果て」の物語にみえる。極限の地
や、極限の立場に置かれた人を演じてきた高倉さんが文化功労者に選ばれた。

 以前、こう述べたことがある。「孤独な作業に命をさらし……揉(も)まれに揉まれ悶(もだ)
え苦しんだ者だけがやさしくてしなやかな心を持つことができる。僕はそういう人間に感動しま
すね」(アサヒグラフ)。

 デビューから半世紀になる。役は様々に変わっても、悩みや苦しみの果てに宿るやさしさを、
伝え続けようとしているよう。


○ レビュー対象商品: 高倉健 想~sou~ 俳優生活五〇年 (単行本)


 映画「宮本武蔵」に佐々木小次郎役の似合う男っぽさ、高倉健の生い立ち、映画人生。その思い出の記とアルバム、そして出演映画一覧。それらの中で、とくに印象に残った一つのことを挙げ、この人の人間性発見を述べておきたい。
 旅での出会いを四季に分けて語っている中で、「夏の旅」〈人間のリズムで暮らす〉の一文に心惹かれたのである。「昔男ありけり」というテレビ番組のドキュメンタリーで檀一雄といっしょになった、その出会いのことをかなり詳しく書いている。場所はポルトガルのサンタクルスである。檀さんは異国のこの小さな漁村で暮らしていた。ここで暮らす人々の生活のリズムが、旅人の高倉健にも心地よく伝わってきたという。生前の檀さんのことを皆覚えていて、愛おしむように思い出を語ってくれたという。その温もりみたいなものが、本当の「人間のリズム」ではないかと思う。「男が男らしく生きるとはこういうことなんだ」と「火宅の人」の口述テープを聴きながら思ったという。
「さまざまな欲望の中で、自分の行動を規制し、もって大事をなす」という意味の言葉を想起したりするのだった。
 肺癌の末期による激痛に襲われながら畢生の労作「火宅の人」を書き残す男の最期を演じさせてもらったことを言っているのである。命を鍛冶して自分の人生に立ち向かう壮絶さに感じて演じ上げたということ。最期に最も印象的なすばらしい「檀一雄観」が次の一文に表されている。
 「人生とは何か、を伝えたい父親の優しさが、無頼と呼ばれた強い男の裏にある」すなわち、男は多くを語らないのである。  

○ 男は風、さすらう旅人。昭和を代表するスター、人間・高倉健の思いが、風のように吹き抜けるエッセイ集。
著 高倉健
集英社 /集英社文庫 [随筆・エッセイ] 国内
1993.08  版型:文庫

                                          レビュワー/濱田哲二氏


「空がからっぽになってしまって、空気さえないみたいに、太陽ばかりが光り輝いています。作家の檀一雄さんは、ポルトガルから長女のふみさんに宛てて、こんな書き出しの手紙を書かれていた」
冒頭のエッセイ「宛名のない絵葉書」は、こんな檀一雄さんの話から始まっています。それから、檀一雄さんについてのドキュメンタリーを撮りたいという話を、九州の、あるディレクターが、健さんに持って来たというエピソードに続いていきます。
「なぜ、ぼくなんですか」
そう問うと、彼は、
「同県人であるということ、それから旅が好きだということ」
そこまではすらすらと言って、ちょっと言いよどんで、
「なんとなくその…、大変失礼ですが、世間で聞く高倉健という人のさすらいようが、なんとなく檀さんとダブッているように、ぼくには思えるんです」と。
「実は、すでにタイトルも決めてまして、檀さんのお書きになったもののどこかに、〈昔男ありき〉っていう一文があって、それをタイトルにしたいと思っています」
「昔男ありき…それを聞いたとき、ぼくはもうパッとなっちゃって…気持ちは、この仕事を引き受けてみようとしてたんです」
ということで、健さんはポルトガルに。ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬の村はずれのカフェで、夕陽が沈んでいくのを見ながら「宛名のない絵葉書」を書いた時の思いを綴ってくれるのです。

今は、一体どんな旅をしているのでしょうか。これからも高倉健という人のさすらいようが気になってなりません。―ひとつの熱い思いが、更なる熱い思いを呼ぶ、そんな健さんならではの、これは「そこに男ありき」のエッセイ集です。

            おすすめ本書評・紹介書籍
                                     あなたに褒められたくて
                                                  著 高倉健
                                 集英社 /集英社文庫 [随筆・エッセイ] 国内
                                               1993.08  版型:文庫
                                                  価格:580円(税込)



○ あなたに誉められたくて 高倉健  文化功労賞 2006年
2008/05/28(水)

ネットサーフィンをしていたら、2006年の記事に、高倉健さんが、文化功労賞に選ばれた、とい記事に出会いました。
遅ればせも、いいところですが、そうかぁ、うれしいなぁ、と感じました。

75歳。歳を降れば何人もの人が栄誉をになうのだろうと思っていたが、俳優としては初めてだといいます。(だから、今は、77歳なんですね~)

極限の地や、極限の立場に置かれた人を演じてきた高倉さんが、以前、こう述べたことがある。

「孤独な作業に命をさらし・・・揉まれに揉まれ、悶え苦しんだ者だけが、やさしくてしなやかな心を持つことができる。
僕はそういう人間に感動します。(アサヒグラフ)」

という朝日新聞の記事に惹かれて、健さんの「あなたに褒められたくて」を久しぶりに手にしました。

この本は「宛名のない絵葉書」というお話から始まります。

檀一雄という作家が、ポルトガルの西端のサンタクルスという小さな漁村に住んでいたことのドキュメンタリーを撮る、という仕事でのお話です。

檀一雄と高倉健という、どこか似た、さすらい人を感じさせる好エッセイという気がします。

ほとんどの撮影が終わって、あとはヨーロッパ最西端のロカ岬で、大西洋に沈む夕陽を撮ることになります。

落日を拾ひに行かむ海の果て

と、謳って、檀一雄はこのロカ岬に沈む夕陽をこよなく愛したと言われます。

(なんで、檀一雄はヨーロッパの果ての果てまで来て、知る人も居ない小さな漁村で、一人暮らしを始めたのでしょう。
自分自身の落日を見とどける、という意味もあったのでしょうか。2年間の滞在のあと、身体を壊して日本に帰国することになります。)

夕陽を待つ間、健さんは日本に送る手紙を書きます。

「ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬の、村はずれのカフェで、この葉書を書いています。
夕陽が大西洋に沈む、そのときを待ちながら、なぜかあなたのことをとっても思っています。

ここまででいっぱいになった葉書を手にして、健さんは、誰に書いているのか、いったい誰にだしたらいいんだろう、とわからなくなってしまいます。

誰なのでしょう。


この答えは、この本の最後のお話「あなたに褒められたくて」で明らかになるのですが、一旦わきに置いておいて、もうひとつの話題を。

高倉健の、もう一冊の本に「南極のペンギン」があります。

大きな活字で、振り仮名も付けられた、子供向けの絵本のようになっています。

最初に「アフリカの少年」というお話があります。

アフリカで撮影をしているとき、砂嵐に襲われます。

ひろい砂漠の地平線が、まっ黒い雲におおわれて、いままでの青空がかき消されるように、みるみるその雲が近づいてきます。

砂あらしは砂と石を大量にふくんだ突風です。

「砂あらしになります。早くホテルにもどりましょう」

とおびえたように現地のスタッフが言います。

車で一目散にもどる途中、砂漠の一本道を走り続けているときです。

道標の下に、大きな黒いかげが見え、よく見ると15,6さいの少年です。

少年は、はだしの両足をしっかり地面につけ、両ひざをかかえこんでうずくまっています。

「どうしたんだろう?」

と僕がきくと、

「砂あらしがとおりすぎるのを、待っているんですよ」

と現地のスタッフは、見慣れた光景のように、無表情にこたえます。

顔をあげた少年と、ほんのわずか、視線があった。

うらやましそうな、悲しい目だった。

車をとめて少年を乗せ、家に送り届けるのは簡単だった。

だが、僕はあえてそうしなかった。

少年はだれにも助けをもとめていなかった。
自分で考えてとった行動なのだろう。
おさないときから、彼はなんども砂あらしにおそわれているはずだ。その経験から、その場にうずくまって待つのが、いちばんいいと判断したにちがいない。
そう思った僕は、彼をそっとしておきたかった。

”夢をみろよ”

僕は心の中で少年に話しかけた。

どんな土地に生まれるのか。
どんな親に育てられるのか。
だれにもわからない。
こどもはなにも選べず、ただ生まれてくる。

だが、夢なら自由に見ることができる。
その夢をかなえる時間は、まだ君にはかぎりなくあるはずだ。

砂あらしにうずくまる君を、現地の大人たちは助けない。砂あらしにたえる力を、子どものときから身に付けさせるためだろう。
そうしなければ、この土地でいきていくのはつらい。だから、大人たちは見て見ぬふりをする。
それも大人のやさしさだ。

旅人の僕は、なおさら君を助けられない。ずっとそばにいるわけにはいかないからだ。

”だから、夢をみてくれ ”



さて、もういちど、最初の本にもどります。

それは、「あなたに褒められたくて」と題した小エッセイです。

そして、最後に次のように、タネを明かして、しめくくられています。



お母さん。

僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青(ほりもの)を描れて、返り血浴びて、さいはての「網走番外地」、「幸福の黄色いハンカチ」の夕張炭鉱、雪の「八甲田山」。
北極、南極、アラスカ、アフリカまで、三十数年駆け続けてこれました。

別れって哀しいですね。
いつも。
どんな別れでも。

あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。



(蛇足)
高倉健は幼少年のころはからだのとても弱い子でしたから、お母さんはスパルタで育てました。
一方、彼が俳優になって映画を見るときには、ストーリーではなく、危険な目にあっていないかを見ていました。危険を感じると、仕事をやめろと長い手紙を書いたといいます。映画のポスターを見ただけで、「アカギレが足にできちょるね。もう寒いところで撮影をしないように、会社の人に頼んでみたらどうね」と言ってくる。ポスターの撮影のとき、健さんはメークさんや衣装さんやカメラマンには、アカギレができていることを肌と同色の絆創膏をはったりして隠し通していたのですが、お母さんには、ポスターをみただけなのに、分かってしまったのです。


 ネットで見つけたレビュー(健さん論)の数々、、これは一つの美学です。    
 

幼稚な大人

2011-01-01 21:34:00 | 最近思う事

少年の心をもった大人と幼稚な大人は別物?




問1

少年の心をもった大人と幼稚な大人は別物ですよね?


少年の心というのは、幼稚とか子供っぽいとかいう意味ではなく

少年のように純粋で好奇心旺盛で行動的という意味です。

ですから、幼稚な大人とは明らかに別物では?


問2

何か最近では男の子よりも女の子の方が少年の心を持っているように見えませんか?
なんかこう女の子の方が生き生きしてアクティブといいますか。

海外旅行なんか若い人は女性の方が圧倒的に多いですし。

最近では彼女に誘われないとめんどくさがって出かけない男の子が多いらしいです。

家にこもってゲームやネットばかりして出かけるのがめんどくさいという男の子か

いろんなことに関心を持ちいろんな所へ積極的に出かける女の子か

どっちが少年の心を持っているかは明らかだと思いますが?


質問日時:2010/7/9 14:37:09
解決日時:2010/7/24 04:35:06
回答数:1
閲覧数:51


ベストアンサーに選ばれた回答
o1o2o3o4o5o6o7o8o9ogeneさん



完全に別物ですね^^
貴方が言っている通りだと思いますよ♪


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『世間体を恐れず』


自らの関心と内発的意欲によって、主体的に未来を創造している人は、他人の生活に干渉しません。しかし自己愛的な人間は、自分の満たされぬ愛情欲求から、「人間のあるべき姿」をよそおって他人にからみます。他人に干渉しなければ、自分がもたないのです。
自分の成長欲求に関心をもつよりも、でしゃばって、他人の生活に干渉してくる人間は、相手を自分の欲求不満や自分の不適応の回復手段、自分の精神的バランスを解消する手段としか、見ていません。
弱い人間、無力感に悩まされている人間は当然、「してもらった」より、「してやった」という気持ちを持ちたがります。そのためおせっかいをして、そのうえさらに相手に感謝を要求します。「してやった」という恩着せがましい態度は、無力感に悩まされている人間がとりがちな態度です。不安感にさいなまれ、自分の人生に意味を感じられない人は、相手になにかをしてやり、相手からも感謝されることで自分の存在を確認しようとします。
他人の賞賛によって、自らを支えようとする人は依存的です。他人に頼って自らを支えるのを独立とは言いません。心理的に成長していないために依存する大人は、人に干渉することを親切とか愛情とか思いやりなどいろいろの言葉を使って正当化します。
日本人の場合は、「あの人は他人に無関心だ」と非難されている人が、本当に他人に関心を持っている場合が多く、逆に、他人に大変な関心を持っているような顔をした人が、相手を一人の人格者として尊重しないという本質的な意味で無関心であり、自らの欲求充足の手段としてしか他人を見なしていない例が多いのです。
思いやりを持つためにはまず相手を理解しなければなりません。しかし相手にからむ人間は、理解ではなく、自分の思うように相手の気持ちを支配しようとしているのです。
幼稚な大人は、相手の「ほっといてくれ」という気持ちを許しません。自我の確立した大人にしてみればべたべたとからんでこられることは不快で「ほっといてくれ」という気持ちになります。しかし幼稚なために一人ではいられない大人はこれを理解しません。相手の態度に怒り、「こんなに心配してあげているのに」と、恩着せがましい態度で余計にしつこくからんできます。幼稚な大人との人間関係はさわやかなものにはなりません。
今、なんとなく不満でありながらも、ある人のいうことに従っていたら、その人から離れることです。あなたを抑圧しているのは、その人です。その人と別れて、その人と関係なく生活することです。「ありのままの相手を認めずに、自分が持っている相手に対するイメージを、相手に押しつけている人」と会う必要などないのです。
自己愛的な人間は自分を立派に見せることで頭がいっぱいなので、自信喪失して悩みを相談する人をダメ人間のように扱います。その結果、相手をより深い自信喪失に追い込みます。自分を有能な人間であるという印象を相手に与えることで頭がいっぱいな人は、相手の悩みには本質的に無関心なのです。
ナルシストは自分のことを「思いやりのある人」とうぬぼれているため、恩着せがましく接してきます。「立場の弱い人間は、すべて自分の思うように動くはずだ」という、全能者のような考えを持っている自己愛的な人間は「思いやり」が最も欠けている人間です。周囲が自分の思うように動くはずだという気持ちでいるので、相手がそのように動かなければ不満になります。
自己愛的な人間には、はっきりと拒絶の姿勢を示すことです。支配欲が強くて疑い深く利益だけを求めながら、自分くらい無欲の人はいないと思っている人間とつきあっても心が病まないという強い人はまだしも、自分自身の心がまだ不安定に揺れ動いているような人は、この種の人間と付き合えば、せっかく病から回復してきてもまた病んでしまいます。


             参考  『世間体を恐れず』 加藤諦三 大和書房