①椿咲く南国の 二更を過ぐる星月夜 橄欖(オリブ)の森に焚火は燃えて 寮歌朗らに酒宴の 感激深き若き日の 誇りを永遠に忘れなじ ②三年旅の途すがら 山の霊気を憧るゝ 旅人若く月淡し 熱き情けに身をこがす 阿蘇の處女の戀歌に泣け 今宵の宿は湯の村か ③冬去り春の訪れば 球磨の流れも水暖み 破壊の古城に草萌えて ラインの春を思はする 瀬音も高く青春の 幸を讃えて逝くものを ⑤不知火燃ゆる有明の 松籟さびしき高楼に 祝盃あげて狂ふちょう 南の国の若人の 瞳を照せる銀燭に 三年の夢はさゆらぐよ ⑥春燃ゆる筑紫野に 清和の光あふれつゝ 今逍遥の途すがら 生きとし生けるもの皆 若き力に燃ゆる哉 ⑦ 今粛条の秋闌けて 龍田の丘の小夜曲に 遠きふるさと懐しみ 青き哀傷を戀ふるとき 故郷の方に明星も 黙示の色に冴ゆるかな。第五高等学校寮歌。
①北の都に秋たけて 吾等二十の夢数ふ 男、女(おみな)の棲む国に 二八に帰るすべもなし ②その術なきを謎ならで 杯捨てゞ歎かんや 酔へる心のわれ若し われ永久に緑なる ③その術なきを謎ならで 盃捨てゞ呪はんや 歌う心のわれ若し 吾とこしえに緑なる③髪は緑の青年が 友情(なさけ)園に耕(つちか)ひし いや生き繁る友垣や 三年の春とめぐる哉 ④髪は緑の青年が友情(なさけ)の園に耕(つちか)ひし いや生き繁る友垣や 三年の春とめぐる哉 ⑤竪琴とりて自治の歌 声高らかに奏づれば 三つの城邊の山彦の 今を限りと呼びかへす ⑥自由の為に死するてふ 主義を愛して死するてふ 男の児の意気地今も尚 石に砕きて砕き得じ ⑦藻の花ひらくうつし世に 潮の流れ渦をまく 名もなき道を行く勿れ 吾等が行手星光。⑧氷塊の如吾胸に 抱く心の解け出でて 語り明かさん今宵かな 星影冴ゆる記念祭。 第四高等学校時習寮南寮歌。
月見草の歌①紅萌ゆる丘の上 夕月淡く照らす頃 恋に泣く子は唯一人 吉田の山をさまよいぬ ②折りから山の静けさを 破りてひびくマルサスの挽歌の聞ゆるゆ来てみれば 此処に一人の乙女あり ③月は東の空に出て 曠野の果ての月見草 一人咲くべき恋の夜に可憐な乙女何を泣く ④思ひぞ出づるこぞの夏(去年の夏)三津が浜辺の夕月に 末を誓ひしその君は 花の都に出で立ちぬ ⑥待ちにし甲斐も荒波の 砕けて散りぬその君は 学びの路にいとすぎて 病の床に打ち伏しぬ ⑦神に祈りし甲斐もなく 仏に祈りし甲斐もなく 嗚呼その君はその君は 永久の旅路に死の蔭に ⑧君にと投げしこの腕(かいな) 君にと梳きし黒髪も 今将(はた)此処に何にかせん 恋(い)としの君は今はなし ⑨取り残されし乙女子は京に上りて東の 御空に月の出づる頃君逍遥の跡に泣く ⑩げにもうたての君が身よ 恋に破れしかげろふの 其にもました堪えがたき 涙は如何に誘ふらん ⑪されど乙女子恋の子よ 君永劫の死に去れど 恋には朽ちぬ命あり うましき恋に君よ泣け うましき恋に君よなけ。旧制高等学校寮歌集20曲の内(DISC2の6)より。この高等学校寮歌は曲と歌詩総てが調整された歌曲であるので、折に触れて書き残したい。例年年末や3月頃NHKで放送されたが、旧制高等学校(全寮制)は終戦後廃止(卒業生は全員88歳以上)されたので日の目をみることがなさそうだ。
寒木瓜(バラ科)花言葉は、熱情。木瓜は中国原産の落葉低木で、冬の間に花をつけているものを寒木瓜という。ふつう春咲きだが、早咲きや、四季咲きもある。木瓜の花には赤.白.絞り.があるが、寒木瓜は赤いものが多く、花の少ない時だけに、珍重される。「寒木瓜や先の蕾に花移る 及川 貞」「寒木瓜のほとりに積もる月日かな 加藤楸邨」「寒木瓜の咲き次ぐ花もなかりけり 安住 敦」「寒木瓜や日のあるうちは雀来て 永作火童」「寒木瓜や予報にたがへずいつか雨 村田 脩」。(寒木瓜の 花に雪降り 紅白に ケイスケ)
浅原鏡村、本名浅原六郎の出身地長野県北安曇郡池田町、その役場に隣接しているのが「てるてる坊主の館」浅原六郎文学記念館」六郎は明治28年、この地の酒造業を営む飯田屋の六男として生まれた。少年期は福島県平町(現いわき市)にうつり、早稲田大学文学部英文学科を卒業し、出版社に勤務少女雑誌編集に携わる。当時鏡村のペンネームで作たのが「てるてる坊主」。大正から昭和初期にかけて、プロレタリヤ文学に反対する新興芸術派の代表的作家としても活躍し、「不同調」「近代生活」など多くの雑誌の同人になつている。「てるてる坊主」は六朗唯一の童謡と言われ、その發表後の活躍の場は小説や俳句が主となる。祈念館のちかくにある池田小学校の敷地内には、「てるてる坊主」の童謡の碑が校庭に向つて建られているとのこと。安曇野市には、「大熊美術館」「碌山美術館」「安曇野ジャンセン.塚原美術館などがあり、日本の代表的な絵本画家として有名な「安曇野ちひろ美術館(北安曇野郡松川村」」は、ちひろの絵と世界の絵本作家の作品が展示されている。雄大に連なる北アルプスに抱かれる安曇野は自然豊かで、清涼な水でしか育たない「山葵田」が15ヘクタールの広さで栽培されている「大王わさび園」の園内は遊歩道も整備されて自由に見学できる。我々が行つたときは生憎雨でわさび園は印象に雨と川の流しか残らなかつたが、「ちひろ美術館」は素晴らしく今でもその時の様子が浮かんでくる。今日はマンションの再生工事の最中で建屋全体がビニールシートで囲まれて、その外に足場が組また状態なので、気晴らしに「日本の唄~明日へ残したい名曲選~心の歌」のCDを引き出して掛けるべくCDを出したら「浅原六郎記念館」が出て来たのでそのいきさつを書いてみた。その後レコードを聴く事とした。CD枚数約40セツト、梅雨時の雨日でも順序良く再度全部を聞き直すとしよう。
蒲公英はヨーロツパでは子供が綿毛を吹いては「好き」「嫌い」と唱え、綿毛の最後の一本がどちらかという占いにちなんで花言葉を「神託」(神のお告げ)という花言葉がついているようだ。日本でも子供の遊びに同様なことをした思い出もあるが、あれは、どの花であつただろうか?遠い記憶で出てこない?アメリカの作家レイ.ブラッドベリの小説「たんぽぽのお酒」には、たんぽぽんぽの花の汁をビンに詰めて、たんぽぽ酒を作るという、素敵な光景が描かれている。小瓶といえども、可なりの蒲公英の花を集めないとお酒が出来ないのではと。呑み助の余計な心配ですが。???
タンポポ;蒲公英(キク科)花言葉は、愛の信託。多年草で最も代表的な春の野の花。根元から出る長い葉は鋸のように切れ込み、その中心から10㎝位の花茎を出し、頂きに葉に似た黄色い花を咲かせる。蒲公英の主な種類は、蝦夷蒲公英、関西蒲公英は、外来種の蒲公英だが、近来西洋蒲公英がざいらいしゅを圧して全国にひろがっている。花の形を鼓に見立てて「鼓草」とも呼ぶ。花の後種子が冠毛を付けて風に舞う。これを蒲公英の絮と呼んでいる。「風楽したんぽぽの絮少女の髪 草間時彦」「蒲公英や日はいつまでも大空に 中村汀女」「蒲公英のかたさや海の日も一輪 中村草田男」「たんぽぽや崖にくひ入る海の紺 太田鴻村」「蒲公英や岬の鼻飛ぶ男鹿の紺 小林黒石樵」「蒲公英の絮吹いてわが顔に会う 中嶋秀子」「川並は躍り上りぬたんぽぽに 大野悠子」。(道端の 蒲公英未だ 覚まさぬ芽 ケイスケ)
オドリコソウ;姫踊子草(シソ科)花言葉は、愛敬。快活、陽気。原産地ヨーロツパ、花期4~5月草丈10~25㎝。日本各地の道端、土手、畠などに生える。今朝は今年2回目の雪が降るが先日ほどの積雪はなさそう。マンションの長期修繕計画1月~3月の最中で、全館足場置組んで外壁その他、大修繕の途中なので、ビニールで覆いを覆われているので、外の様子が見えず、不便な生活をしている。中国の不愉快な行動。中国による挑発行為がエスカレートする中で、5日中国艦艇によるレーダ―照射。防衛省幹部は、新たな挑発行為に警戒を強めている。またアメリカ;クロー二ン氏は「冷戦期は米ソ間で頻繁に起きたとした上で「日中は、こうした事態を避けるためのルールを作るひつようがある」と指摘した。一方中国での大気汚染が深刻化しており、北京市や石油大手が相次いで改善策を打ち出し始めた。生活に悪影響が出ている国民の間で高まる政府.企業批判の一掃に向けて努力をアピールする狙いがあるが、対策が実行にうつされるかどうか疑問視する声も少なくない。中国国防省の戚建国.副参謀長は「中国側から海上での紛争や衝突を引き起こすことはなおいが、主権や領土を守る実力を見くびつてはならない」と語り、共産党機関紙「人民日報」系の環球時報は「戦争は最後の選択肢」「我々は、戦争の代償が何かを語る責任がある」とする政治家委員の論文を掲載した。中国側の主たる狙いは、日本の危機感をあおることにあると見られる。日米同盟ゆさぶりか?抗日戦争は共産党政権の正統性に関るだけに、改善は難しいようだ。お互いに、外交を通じて冷却化の努力をしなけらばならない。
猫柳(ヤナギ科)花言葉は、自由思いのまま。日本全国至る所の川辺や湿地のほとりに自生する落いう低木で、楊柳(かわやなぎ)の一種である。早春、水の豊かな流れにその影を映している姿をよく見かけry。猫柳とは葉の出る前の枝につける銀ねずみ色をした絹毛に覆われた花穂の形がこの子を思わせるのでこの名がある。雌雄異株で、感傷に値するのは雄花穂の方で、生け花の材料に用いられルことが多いい。兵庫県西宮甲子園北町の東側に武庫川があり並行して流れる小川の岸沿いに会社の社宅があり、東側に猫柳の並木の並木通りがあつた。現在でもあるのだろうか、懐かしい思い出の小川である。「並びたる杭の絶間の猫柳 楠目橙黄子」「折りかけし枝もありけり猫柳 鈴木花蓑」「激つ瀬は又猫柳光るところ 山口誓子」「日をゆりて水よろこべり猫柳 石原舟月」「水際に羞ぢらいの日が猫柳 山上樹実雄」「雨の日は雨にふくらみ猫柳 草間黄枝」「猫柳潟の入日をちりばめて 児玉小秋」「猫柳傘あゆむかにわらべ来る 山田文男」。(懐かしき 猫柳沿い 想い出す ケイスケ)
キタンポポ;蕗蒲公英(キク科)花言葉は、公平な裁き。ユーラシア大陸に広く分布。日本へは明治時代の中期に渡来栽培され、野生化した多年草。花の特徴。3cm位タンポポよりは小さい。葉の根際から、生える葉は蕗に似た腎臓形で葉の裏側には毛が生えている。茎にも数枚の葉が互いにはえる。種子は一つ全体が種子の様に見える。名前は牧野富太郎博士がつけた。それまでは款冬(カントウ」と呼ばれていた。蕗蒲公英は花が蒲公英に似ているところからきた名前。款冬は、冬に氷を叩き割って生きるという意味がある。栽培されたものは、正月に使われる。葉は生薬で鎮咳去痰作用がある。2月4日は二十四節氣の立春、今週は冬の最後の週となる。昨日は大賀祐二、恵美子夫妻が来訪された。午前中に深大寺植物園に行き、その後昼過ぎに来宅。植物園の花の写真を撮ってきた由。三脚まで携えて、本格的な準備万全。小生はズボラなところがあり、三脚まで持ち歩くことはアマリ無い。深大寺植物園にもご無沙汰続きなので、これからは、毎月出かける事にしよう。広い園内を一周するだけで十分運動になるから。「人の振り見て吾身を直せ」(思い出は 重ねる毎に 夢募る ケイスケ)