チヤ;茶(ツバキ科)花言葉は、追憶。茶摘みは八十八夜の頃から始められる。このころに摘んだものが一番茶で、中でもは八十八夜に摘んだものが最も珍重される。立旬から八十八日目で、五月になったばかりのころである。昔は茶摘笠をかぶり紅だすきをかけた茶摘女が茶摘唄を歌いながら摘むといふ情緒豊かなものであったが、今はほとんど機械摘みになってしまった。しかし茶摘みは必ず晴天の日に行われるので、俳句の素材に適している。摘んだ茶は製茶機にかけられるが、昔ながらの方法では陪炉という特殊な炉に助炭という紙張りの枠をのせ、その上で茶を揉みながら仕上げるのである。「我庭に歌なき妹の茶摘かな 正岡子規」「むさし野もはてなる丘の茶摘かな 水原秋桜子」「青空へふくれあがりて茶山なる 富安風生」「向きあうて茶摘む音をたつるのみ 皆吉爽雨」「茶摘唄ひたすうらなれや摘みゐつつ 藤田湘子」「陪炉場の窓より見ゆれ宇治の山 池内たけし」「一とせの茶も摘みにけり父と母 蕪 村」「新茶摘む胸乳より日に融けはじめ 熊谷愛子」「山門を出れば日本の茶摘うた 菊舎 尼」「川霧のまくしかけたり茶つみ唄 一 茶」「茶摘み女も家に帰りぬ窓灯る 高木晴子」「茶の木にかこまれそこはかとないくらし 種田山頭火」「茶の花や此の夕暮を咲きのばし 千代 尼」「茶の花に射す日力得力抜け 星野立子」「茶の花の戦といへど寂けさよ 加藤千世子」「純白やご飯の国の茶の花は 谷口雨女」「茶の花に隠れんぼする雀かな 一 茶」「むさしのもはてなる丘の茶摘みかな 水原秋桜子」「茶づくりの今日をはじめの火の浄さ 水原秋桜子」「茶づくりの香にむせぶまで寄りて見つ 馬場移公子」「茶柱出障子の月光雪のごと 加藤楸邨」「茶の花にいまありし日が山の端へ 水原秋桜子」。東海道線の静岡を出ると一面茶畑の山となる。最近は往復する機会もなく茶畑の景色も望むことがない。(緑なす茶畑懐かしい昔の思い出 ケイスケ)
blog.goo.ne.jp/keisuke-yano_2012寒菊(キク科;多年草)花言葉は、繊細。油菊を園芸化したものの花。12月~1月ごろ黄色い花をつける。俳句では、遅咲きの菊が咲き残っているのを冬菊.寒菊として詠むことが多いい。「寒菊の気随に咲くや藪の中 来 山」「寒菊を憐れみよりて剪りにけり 高浜虚子」「寒菊の霜を払って剪りにけり 富安風生」「寒菊のくれなゐふかく昃りけり 金尾梅の門」「寒菊や母のやうなる見舞妻 石田波郷」「寒菊のあとも寒菊挿しにけり 橋本末子」「冬菊や時計の針の午後急ぐ 阿部みどり」「冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子」「冬菊に埋めつくされて死はたしか 鈴木真砂女」「冬菊となりて闇負ふ白さかな 五十 朗」「冬菊の括られてまたひと盛り 横澤放川」「棺へ足す冬菊のもな違ふ白 島田麻紀」「霜菊や岸に及べる舟の波 岡本 眸」。”blog.ne.Jp/kēisK_Yāno 2012
センリョウ(センリョウ科)花言葉は、富;豊富。千両はチャラン科の植物で、葉の上に実があることが区別の目安になる。万両によく似たものに、藪柑子と千両がある。藪柑子は数センチから30㎝位、万両は60㎝から1m位になる。藪柑子と万両は、共にヤブコウジ科の植物で葉の下に実があり、千両はチヤラン科の植物で葉の上に実があることが区別の目安になる。千両は常緑低木で、夏、枝先に黄緑色の小花が群がり咲いたものが、冬に入ると小球果として赤熟する。緑の葉との対象が鮮やかなので、鉢植えや生け花の材料として好まれる。「千両の実をこぼしたる青畳 今市つる女」「半日にして千両の啄ばまれ 木内彰志」「いくたび病みいくたび癒えるき実千両 石田波郷」「山より日ほとばしりきぬ実千両 永田耕一郎」「いにしへを知る石ひとつ実千両 伊藤敬子」小文字化出来ない。直してください(ケイスケ)
フユサクラ(バラ科)春3月頃咲く桜。花言葉は、冷静。{見かぎりし古郷の桜咲きにけり 一 茶」「どんみりと桜に午時の日影かな 惟 然」「きのふきけふ高根のさくら見ゆるかな 蕪 村」{きのふきけふ高根のさくら見ゆるかな 蕪 村」「観音の大慈の桜咲きにけり 正岡子規」「おぼろ夜の底抜けたる桜かな 佐藤紅緑」「さくら吹き且つ神将を吹きとほる 山口誓子」「大空の鏡の如き桜かな 高浜虚子」「淡墨桜聴けば快楽の日もありき 殿村菟絲子」「さきみちてさくらあおざめゐたるかな 野澤節子」「和紙の里桜空は人肌に 角川照子」「西方を真空にする桜かな 斎藤慎爾」。(桜咲き桜散りて我老いぬ ケイスケ
八つ手の花は、ウコ科の常緑低木。花言葉は分別。暖地の海岸近の山林に自生するが、多くは観賞用に植えられる。七~九裂した天狗の団扇といわれる葉が特徴。葉の形から名つけられた。初冬のころ、白色の直径約㎜白い花が固まって咲き、多数の球状をなす。庭にある八つ手の葉の数を一つずつ数えた覚えがある。我が国の原産なので自生もしているが、庭に植えられている。花のない時期の庭先などに冬日を浴びて光っているさまは、一種の風情がある。。小春日和の蜂や虻が集まっているところをみると、虫には人気者の花なのだろうか。地味で目立たない花だけに関心してしまう。「八つ手咲く虫さまざまの線にとぶ 吉川春藻」「淡々と日暮れが来たり花八つ手 草間時彦」「日向より日蔭が澄みぬ花八つ手 馬場移公子」「花八つ手ながき独りの常着縫ふ 鷲谷七菜子」「用事とは日暮れに多し花八つ手 手塚美佐}「日暮れまで蠅のまどろむ花八つ手 白岩三郎」「一ト本の八つ手の花の日和かな 池内たけし」「昼の月乏くところ得て花八ッ手 長谷川双魚」「いつ咲いていつまでとなく花八手 田畑美穂女」「花八つ手日蔭は空の藍浸みて 馬場移公子」「花八つ手暗きところをこのみけり 角川照子」「花八つ手星またたけば少し散り 中嶋秀子」「花八つ手いつも電話は母より来 高橋悦男」「蔵町の昏きより声花八手 長峰竹芳」「みずからの光をたのみ八ッ手咲く 飯田竜太」{八つ手咲き路地まつさをな天のぞく 菖浦あや」「八つ手咲く父なきことを泰しとも 友岡子郷」。(八つ手の花 詩八方に 詠まれけり ケイスケ)
NTTコミニケーション、ユーザサポートで、昨日訪問サポートを受けた。終了後、確認をせず、今朝ブログを打つと、文字が非常に大きく、不都合なので、再び℡して、修正方法を訪ねる。℡で先方と会話しながら、指導を受けてようやく、思う通りの文章が出来た。これで最後にしたいと、迷える小羊の思い適う。昨日は野村病院の診察今年最後の診察日で、診察を受けるも、異常なしのしんだんであった。朝方雨がふっていたが、午後2時半の診察で傘も持たずに受診出来ることだ出来た。幸の一日で年内の予定は終了した。(紺碧の空美しく満了の赤 ケイスケ)
万両(ヤブコウジ科)花言葉は、寿ぎ。万両とよく似たものに、藪柑子とセンリョウがある。いずれも正月に使われる赤い実のものである。満了を小さくしたようなものが、藪柑子である。藪柑子は数センチから30㎝位、万両は、60㎝から1m位になる。藪柑子と満了は、共にヤブコウジ科の植物で、葉の下に実があり、千両はチヤラン科の植物で葉の上に実がンることが区別の目安になる。千両よりも万両の実がやや大きい。自生もしているが、古くから庭園樹として観賞用に栽培されている。「万両のひそやかに赤し大原陵 山口青邨」「雪すこしとけて珊瑚の藪柑子 及川 貞」「万両やみずからの実に言葉溜め 青柳志解樹」「千両や深息といへど身か息 石田波郷」「名は千両といふ明るくて寂しくて 有働 亭」。(我家にほ、宿切木を置く場所もなく、寿ぐことも出来がたしケイスケ)
ヤドギリ(ヤドㇼギ科)花言葉は、困難。昔兄が趣味で鎌倉彫を制作していたころ、仕上品を鎌倉の塗装業店に持参して、塗装を依頼にゆくので、ついでに鎌倉市内を散策していたところ、民家の塀から道路側につき出し入る木の幹に、ヤドギリが付着していたのを見つけた。これ以外に宿り木を見たことはない。調べてい見ると、園芸業者では、市販しているようだ。我が家には大きな木がないので、ヤドリギを共存することは、難しいと思われる。
水仙(ヒガンバナ科)花言葉は、自己愛;崇高。鮮やかな緑の剣葉に守られた水仙の葉は一茎ごとに必ず白い袴をつけて根元を乱さないみだしなみと、雪中花の名で呼ばれるように、水仙には内に秘めた精気があり、雪の中で花を開くその姿に、苦しい時でも人の情けを借りずに自力で生き抜く人間の姿へ思い入れが、愛されるゆえんであろう。白い花の中に金色の盃に似た黄色の副冠が美しく、その姿から、中国では金遷銀台と呼ばれる。蜀山人は「しろがねの台(うてな)にこがねの盃の花はいはずと人やすいせん」と詠んだ。「水仙に光微塵の渚あり 水原秋桜子」「水仙の花のうしろの蕾かな 星野立子」「水仙を生けて日脚を顧みる ;後藤比奈夫」「水仙の吹かるる影のもつれあり 清崎敏郎」「水仙剪る錆びし鋏を花に詫び ;桂 信子」「水仙の葉先までわが意志通す ;朝倉和江」。(雪嶺の光つらぬく水仙鮮やかさ;ケイスケ)