貨物輸送の歩み
こんにちわ、大宮鉄道博物館からですよ。
1873年(明治6年)9月15日
鉄道開業の翌年に貨物輸送が始まった。
当時は貨物列車(15両編成)は2往復し、108日間で手荷物も含め2389トン、
一日平均22トン運ばれた。
その他に自動連結器、自動ブレーキの採用、本州と北海道、四国、九州を結ぶ
鉄道連絡船による貨車航送の開始など車両の近代化や新しい輸送システムの導入
も進みネットワークが充実した。
1928年(昭和3年)には総輸送量が8853万トンに達しました。
1921年(大正10年)鉄道の発展と共に飛躍的に増大した貨物量に対処するため
貨車終結輸送方式(ヤード方式)が導入されました。
全国各地に操業場が建設されました。(ヤードと呼ぶ)
1945年(昭和20年)終戦直後からいち早く事業の再編成をした。
鉄道は、廃退した日本と日本人の復興のため先頭に立った原動力であった。
1949年(昭和24年)6月、国営から日本国有鉄道(公共企業体)になった。
疲弊、老朽化した車両や施設などの整備、改装旅客列車の輸送力増強
復興用資材の輸送のために貨車は増産された。
電化の普及に連れて電気機関車、ディーゼル機関車も導入され、高速化も進んだ。
1950年代高度成長期には貨物輸送の近代化のために貨物駅の増設、駅設備の増強、
パレット輸送対応の有がい車などの新型車の開発が進んだ。
有がい車の有がいはふた(蓋)のことで屋根のある貨車の総称
さらに、貨車とトラックの積み替えが便利になるようにコンテナ専用列車を開発した。
1959年(昭和34年)東京の汐留から大阪の梅田間を走るコンテナ専用列車、
コンテナ特急「たから号」の運行開始した。
しかしこの頃から、高速道路を始め道路の整備が進みトラック輸送の
急速な発達により、鉄道需要が減り始めました。
1964年(昭和39年)貨物列車のさらなる高速化をした。
最高速度100km/hに対応したコンテナ車、有かい車が開発された。
1968年(昭和43年)全車両が75km/hになった。
石油、セメント、化学薬品の輸送量増加に伴い物資専用の貨車開発し、同一の専用貨車
だけで編成を組む「物資別適合輸送」も実施された。
1970年代他の交通機関の発達により鉄道貨物輸送の需要大幅に減少した。
貨車終結輸送方式(ヤード方式)を廃止。
出発地と目的地を直接結ぶ「拠点間直行輸送方式」を採用し時代に合わせた
転換をした。
1987年(昭和62年)4月 国鉄は分割・民営化される。
旅客輸送は、地域別に6社分割、貨物輸送は「日本貨物鉄道株式会社」
{JR貨物}に統一された。
新しい夜明けが始まりました。
ため息が出ますね。
歩みを止める事のできない苦難の道がありました。
JR貨物は、コンテナ化を推進、新型車両の開発、高速化目的とした最高速度110km/h
走行可能なISO規格の国際海上コンテナ「コキ―100系コンテナ車」を導入した。
2003年(平成15年)世界初のコンテナ専用電車M250系が完成した。
2004年(平成16年)「スーパーレールカーゴ」という名で運行開始した。
2017年(平成29年)現在、
JR貨物 1日あたりの列車本数は456本(コンテナ列車377本)
最盛期に比べ本数は減ったが、コンテナ列車の長編成化や「着発線荷役」{E&S}の拡大 、
貨物管理のシステム化・ネットワーク化(IT-FRENS&TRACEシステム)など様々な
取り組みを進めている。
IT技術は慣れると割と取り組みやすいからね、始めるんだよ。
アプリゲームはほどほどだよ。
ゲームに逃げちゃだめだよ。
中毒にならないようにね。
◎モーダルシフトとは?
国や企業がトラック輸送から環境負荷が小さい鉄道へ輸送手段の転換を図る事を言う。
少ない運転士で大量にものを運べる事が可能で、なおかつ大幅にCO2排出量の少ない鉄道貨物輸送は
注目されています。
◎エコレールマークとは?
環境にやさしい鉄道貨物輸送を一定以上している商品や企業に表示することができる。
一般消費者にPRすることを目的としている。
以上鉄道博物館にあるボードからの説明です。
過去も大変でしたし、これからも人口減少問題がありますし、
都心へ行きますとその心配が麻痺をするほど凄い鉄道輸送状況ですが
時代に合わせて転換をしていくのって実はそう簡単には出来るものではないっていう事よ。
日本にいる事に感謝です。
クーラーが朝早くから電車の中にあるなんて、なんて幸せなのでしょう!
かしこ。
今回は白雪姫大変勉強になりました。
ここまでのお付き合い有難うございました。
写真がお下手だと見ていて飽きないでしょ。(笑)
じゃね。
夏バテはまだ早すぎるからね。
お腹が空いたよ。
ホイ!