振り向けば大宮の夜が明ける。 少し変わった角度から眺めるの!

大宮在住。
伸び行く大宮市、
その時々の目に留まったことなどを楽しくユーモアも交えて
書きたいと思います。

文明開化の鐘は実はならなかった。

2019-03-04 21:15:59 | ブログ

 

 

 

1872年鉄道開業

貧乏な明治政府が世界銀行から資金を融資してもらって

イギリスから一号機関車と運転手だけではなく、

鉄道のすべて、すべての鉄道物をイギリスの技術者

が日本に来て先導指導をしてくれました。

 

 

 

 

 

時はいつの間にか過ぎて、

2019年3月に平成暦も入り、残す所後2か月になり

なんだか興奮を覚える今日この頃になりました。

 

 

 

 

増上寺の梵鐘のレプリカです。

 

今回は歴史ヒストリーの入口展示物の最終回に

なります。

大きな鐘が天井からぶら下がっていまして、

これが「文明開化の鐘」か?、「文明開化の音がする」

のを象徴している鐘か?

と考えていましたら、見事に的外な見解になりました。

 

 

 

 

 1872年(明治5年)鉄道開業にあたり

人々にどのように列車の発車時刻を知らせたらよい

のか思案に暮れた。

当時は時計などみんな持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

①増上寺の大きな凡庸を新橋駅に近い愛宕山に移設

し、出発の毎定時に鐘を鳴らして運行の時刻を知ら

せるにしてほしいと鉄道寮(鉄道建設を担当)が

工部省に上申した。

 

②工部省、太政官も認めて東京府を経由して寺に依頼

した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 書体から性格や体躯を推測してください?(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

③しかし増上寺側は計画の撤回を求める嘆願書を提出

し、移設は実現せず立ち消えとなった。

 

 

「徳川幕府の祖先の冥福を祈願し寄進された

由緒あるものであり、寺の財政は苦しく、

梵鐘は重さ15トン以上もあり移設するには、

周囲の建物を壊さなくてはならない。

時鐘のご用はなにとぞ従来の場所にて

当山に申し付けられたい」

 

寺側はびっくりしたでしょうね。

もうこの時代には宗教に対する重さが色褪せていた

のでしょうか?

 

 

 

鉄道博物館ではお子さんの鉄道に対する教育に

力を入れています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去を知ってこそ、未来のレールは開かれる。

 

快適さと清潔、そしてサービス、人を心地よく幸せ

にしてくれるものはレールのロードでした。

 

 

 

 

散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする

 

 

 

お疲れ様でした!

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。