日々典々 介護記録とその後の出来事

40代独身長男。脳梗塞で車椅子・認痴症になった父親を病院介護し在宅へ。しかし再入院。その記録とその後…そして未来へ。

経過・補足事項

2006-01-29 22:10:39 | 今までの経過
昭和1桁生まれ 70歳代  
都心からは、やや遠い関東地方の出身
身長163,5 体重45kg


(現役のまま倒れる)

病歴
昭和38年頃 胃潰瘍 手術 胃の3分の1切除。この頃、鼻の手術も。
昭和42年頃 腹膜炎 手術 盲腸を我慢してこじらせた
平成2年   直腸癌 手術 人口肛門 S病院 転移無し。身体障害者4級。
平成2年~17年 
       この間、腸閉塞で5回以上の入院。全てS病院。
平成14年  肝臓癌 手術 3分の1切除。I病院。 「C型肝炎キャリア、そこからの肝臓ガン」

 S病院に通院は続けていた。高血圧、頻尿・軽度失禁(前立腺)、C型肝炎。


平成17年3月中旬 入浴中倒れる。 
 S病院、脳外科に入院。
 小脳血栓と硬膜下血腫。左半身に麻痺有り。
 
 飲酒後の入浴中に小脳血栓を起こす。
 その時に浴槽で左側頭部を強打、これにより硬膜下血腫。

 保存療法(手術無し)脳内の血液は徐々に吸収される。
 脳の萎縮有りと診断。
 しかし、不穏・せん妄・認知症等の為に身体拘束。
 車椅子乗車時は抑制帯の使用。
 数々の問題行動起こす。

5月初旬 要介護4の認定。

5月初旬 フロアー奥側に在る軽症患者の病室に移るも1日で元の部屋へ戻されてしまう。
 (目の離せない患者・重症患者用、ナースSTの目の前の病室)

精神科も受診。
 受け入れてくれるリハビリ病院無し。

5月中旬 身体拘束が車椅子に乗車時のみになる。(立ち上がり依然多い為)

5月下旬 Y病院に、脳外科に転院。リハビリ目的。身体拘束は無し。ただし、個室。
 入院から3週間後、暴力行為・不穏直らず、病院側より実質、強制退院。
 系列のE精神病院に急遽転院する事に。

6月中旬 ベッドの空きが出るまで5日間グループホームに入所。状態悪くない。

6月中旬 E病院に転院。精神科入院、長谷川式テストは、13点。
 当日の夜から暴力行為あり。その後も不穏続く。
 10日目よりリハビリ開始。

 精神安定剤が強く、日中おとなしいが覇気も無く、目が虚ろになる。
 せん妄・妄想・幻覚、有り。
 話す事もあまり理解出来ない。
 毎日見舞いに行き散歩や話相手をする。
 ゲームなども試す。効果少ない。
 入院当初より明らかに悪化している。

 肺炎起こす。 特注1(医療ミス)

 病院長と交渉。
 日中の5時間、女性のヘルパーを自費で雇う。
 それと同時にベッドをやめて、床に布団を直に敷き、身体拘束と精神安定剤の使用を一切中止。
 以上を了承して貰う。ただし、事故等は自己責任とする。

 特にせん妄の出やすい夕食時以降は私が必ず介護するようにした。
 小さなケガは良くあるが、しかし生気が戻る。
 夜間の不穏・大声等も減り、日中は落ち着きが出る。
 (様子を見ながら、色々と試行錯誤)
 薬の使用がほとんど無い、リハビリだけの入院患者となる。

これにより7月末頃には、不穏や暴力行為等がぐっと少なくなる。
日常会話、意思の疎通も可能になってくる。
リハビリにも意欲が出てくる。
ただし『甘え』『我がまま』出てくる。(後々困る事になった)

8月
グループホーム入所を止めて、在宅へ向けケアマネジャーと面談。
在師ケアマネは在宅看護に反対。
(心身不安定、介護者が1人)
病院長は、可能だが先々考えると難しい、止めるべき。
担当精神科医・看護師は同じく可能だが難しい。
PTの意見は、身体的には在宅介護可能。

本人とPTの希望で退院を一ヶ月延ばしてリハに専念、在宅決定、準備開始。
外出はいつでも可能に。

9月
歩行は無理だが、つかまりの立ち上がりには不安を感じない位に良くなる!
会話もスムーズになる。

自宅に外泊。
夕食は寿司。
朝、自分で起き1人で洗面所に行き立って歯磨きをしている。
朝食はパン。午前、在師とケアマネ来る。
ADL、問題有るも退院、在宅への話を具体的に進める。
(在師は在宅看護に反対)
昼食は和食。誤嚥も無く、問題なし!

バランスは不安定ながら、PTがほとんど触れずに、ゆっくりと20メートルを歩行。

病院の医師、スタッフ、ヘルパーさん達から『甘え・我がまま』問題の指摘が続く。

9月中旬 
ヘルパーさん終了。その後は私の面会のみ。(甘えの問題を改善する為)
ポータブルトイレ、リハビリパンツの使用開始。
一般の人にはちょっと見、精神的な病気とは解らない位までになっていた。

平成17年10月2日 日曜日。 めでたく退院。

ここまでの入院での主な出来事
4月   腸閉塞、軽~中症。
7月1日 誤嚥性肺炎 中症。
他に風邪、2回。
暴力行為・立ち上がり・不穏あり。
転倒・落下・しりもち…数え切れず。CT・レントゲン検査、5,6回?以上。骨折しなかったのが、奇跡。


平成17年10月2日 日曜日。 退院当日。

午後4時前に帰宅。
しかし、体が硬直していて、腰も抜けている様な感じで、立っていられない。
意識ははっきりしているが、明らかにおかしい。

午後4時半。119で救急車を要請、微熱あり37.5度。
今回の2件目の入院先で、強制退院させられたY病院にてCT検査、特段の異常は無いと診断。 
入院せずにタクシーで帰宅。男2人でのトランスもかなり厳しい。

帰宅後、放心状態。
深夜になっても寝られなかった。

10月3日 
 E病院に外来で受診。(ストレッチャー付の介護タクシーで)
病院長(主治医で内科医)の診断は精神的なものが原因。
ただし、『精神的なものでは有るが、精神科で治療するべきものでは無い』
要は、ただ単に『甘え』が原因だと言いたいようだ。いや、そう言っていた。
最初の入院先、S病院への紹介状を書いて貰う。
スタッフ2名、自宅で待っていてくれる。

10月4日
 外来でS病院、心療内科。
CT検査・血液検査、他。少し脱水症状があると診断、半日ががりの点滴。
天敵針を何回も打ち直す、漏れも有り(膨れる)前後半、別の看護婦。
最後は指に針を刺す。
特注2(医療ミス)

朝の九時半に受付、夜6時半までかかった。入院の必要なしと帰宅。

いぜん体の硬直続いている。原因まったく不明。
自宅での身体介助、翌週より大幅に増やす事にする。(自費)


10月5日
 デイ・サ-ビス利用。特に問題なし。
精神的には落ち着いている様に見えるが、覇気が無く、怒りっぽい。
自宅での身体介助、スタッフの厚意で2名来てくれる。
10月6日 
 E病院に外来で外科医に診てもらう。(親父、腰の痛みを訴える)
右手首に赤い腫れが出てくるが、かゆみ、痛みの訴え無し、シップ薬を貼る。

10月7日
デイ・サ-ビス利用。特に問題なし。ただし微熱が有り大事を取って入浴はシャワーのみ。37.5度。
夜は平熱。
10月8日 
 Y病院でMRI検査。(E病院の外科医の指示による)

この頃より、心身の症状に“むら”が出てくる。
しかし、デイサービスなでは、嫌がらずに出掛けている。不穏な様子などの報告も無い。

10月9日 
 Y病院に私1人で行く。リハビリの責任者で担当の○○さんに心当たりを聞くも明確な答え得られずやはり原因不明。

10月10日 
 Y病院に私1人で行く。精神科の主治医に代理受診。
『精神的なものだけでは、そこまで変わる事は有り得ない』と、院長の診断を否定する発言。しかし原因は不明。
デイサービスの介護士より、微熱の為入浴を中止の報告、37,6度。

この頃から食事をこぼしてしまうようになる。
椅子にも座っていても、横に傾いてしまう、明らかに症状悪化している。

10月12日
 夜九時、自宅で高熱出す。39,9度。はかり直すも、39.8度。
S病院に電話。車に乗せ連れて行く。
夜間救急。
感染症による高熱と診断され緊急入院。
その後に蜂窩織炎と判明。誤嚥性肺炎も併発していた。

在宅期間わずか10日間で再び入院。

最初の入院先S病院(内科)入院。

S病院。

蜂窩織炎・誤嚥性肺炎
ADL 下がる。
せん妄、暴力行為、再発。
転院先、精神病院しか紹介して貰えない。
転院延期
11月

再び腸閉塞 
転院再延期
リハビリ再開
特養の申し込み

12月初旬

なぜか、身体障害者1級に。

T病院に転院。
不穏・せん妄、出る。
肋骨骨折
リハビリ再開

1月

誤嚥性肺炎
不穏・せん妄、出る。


特記
直腸がん手術の為、腸閉塞に掛かりやすい。
食事での制約有り。
(冷たい飲み物・海草類・こんにゃく・きのこ類)
痩せ型で筋力が弱い。

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4 コメント

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経過がとてもよくわかります (ぱらん)
2006-08-02 02:27:45
これを全部お一人でやられたのですね。

当時の自分の状況と照らし合わせても、すごい精神力!と感心します。(あの時だったからできたことかもしれませんね。私も予告があって、もう一度当時の状況に戻って対応しろといわれたら胃が痛くなります。)



読んでいて感じるのはやはり病院側とのやりとりに苦労されたということですね。お父様の状態に心を痛めながらも専門スタッフであるはずの病院側の対応に苛立ちを感じられていたことが伝わってきます。



私も経験して感じたことですが、やはり早い段階でよりよいドクターや病院を見つけ転院をさせることが重要だということです。

無理解や症状を患者の性格のせいにする病院やドクターは、本質的に患者の役に立たないので、早く見切りをつけないと状況は手に負えなくなり、病院からも転院を迫られるため家族に患者のこと以外にとても強いストレスを与えるということです。

あの当時の心境 (カズP)
2006-08-05 06:59:18
あの頃は、ただ何とかしたい、なんとかして上げたいって思いだけでしたね。



親がベッドに縛られている姿は、とても見ていられませんし、私の他に介護する人はいませんから。

“家族の一大事”って感じで気合入りましたね。

それに、だんだんと“治る”病気、医者ではない家族でも『“治せる“病気』と本気で思うようになってから、頑張りに張り合いを感じてました。



6月以降、精神科受診の必要性を強く感じ、はっきり言えば、入院中なのに別の病院の精神科カウンセリングを受けさせたくて、カウンセラーを探しまくってた位ですから。



当時、私のイメージしていたベストの治療方法は、身体麻痺に対するリバビリは、最初の6ヶ月間が重要なので、この期間は高度な訓練の可能なリハ専門病院で入院治療がベスト。

しかし、それと“併行”して高齢者のせん妄・認知症等に理解のある経験豊富な精神科専門医のカウンセリング、それと、その専門医等の指導の元で、認知症の対しての治療と精神的なケアを望んでいました。



もちろん、身体拘束や、強い副作用のある薬の使用には反対。

“マンパワー”に頼った治療がベストであると考えていました。



ですから、不本意ながら入院する事になってしまった3件目のE精神病院には、当初から疑問と不信感を持っていて、それに元々リハビリが思うように進んでいなかったのに、それがここで益々遅れ、そんな事が重なり焦りを強く感じてました。

しかしその後の医師やスタッフ等との“バトル”(前向きな議論・要望・駆け引き?)を通じ、私の気持ちと希望を大分理解して貰え、かなり希望に近い事をして頂けました(病院内で可能な事に関してだけど)

この事に関しては、今でも感謝の気持ちを持っています。



医師と病院選びは本当に重要ですね。

これで、かなりの事が左右されるのは間違いないと思います。

でも、ただひとつ言える事が有ると思います。

「ないものねだり」しても、無理なモノは無理。

今、そこに有るものを役に立つ様に工夫する事も大事で、重要な事だと思う。

そうしないと、現実に対処できないです。



「知恵と工夫と熱意」は、周りの人々を「動かす」パワーが有るし、少しヤル気に疑問?のスタッフや、凡医師を信頼できる名医?に変身させるかも。



そうでないと日本中の名医を訪ねて渡り歩くか、最後は理想を追い求め海外の福祉先進国に移住するとかになってしまう。

まぁ、これは極端な話しだけどね。





あの頃の自分を奮い立たせた原動力って何かナァ~って考えてみました。

1つは、言葉が適切ではないけど、親父を自分の「作品」のような気持ちで完成させたいって気持ちを持っていたと思います。

あとは、冒頭に書いたように“家族の一大事”かなぁ~。



キチンと調べてから返事を書こうと思っていたもので、遅くなってしまい申し訳有りませんでした。

カズPさんは (ぱらん)
2006-08-06 02:32:32
危機管理能力に優れているかたとお見受けしました。

「家族の一大事」、まさにスタートラインはこれですよね。この気持ちが最初に胸に浮かばなければ、自分に降りかかったとんでもない災難としか思えず、何とか被害を最小限に食い止めるために少しでもそこから逃げようとしたり、目を向けずにおこうとするもの。



それと最善がだめなら次善という考え方ももっともなことです。経済的な問題や看病する家族が多大な負担を負うことで、ダウンしてしまうことは避けないといけませんよね。

でも、そうはいっても可能なことはすべてやってからの話です。(これは当時転院などに消極的だった私の親族のことを念頭においた考えです)

私が転院させた当時の代理受診でも、ドクターの目には、「どうでもここでリハビリを受けさせたい」という炎を背負ったような私が見えていたにちがいありません。年齢からいって効果の期待できない患者は無理だというのが当初の姿勢でしたから。



もうひとつは高度なリハビリ病院というのがとても少なく、たとえあったとしても治療期間が限られていることです。これは今年の診療報酬の改定にも現れていることで、どうもリハビリというのは、お金と時間ばかりかかって客観的な効果が疑問視されているようで残念なことです。



お忙しいにもかかわらず丁寧な回答ありがとうございました。
ぱらんさんへ (カズP)
2006-08-06 06:18:38
んー『危機管理能力に優れているお方』かぁ~



普段はわりとホゲェ~としてたり、やる事もカメだったり、大事な事なのに自分のコトなら「まぁ、いっかぁ」的な行動するコトも多いんだけどね



早い話「自分がチョット嫌な思いしたり、我慢すれば済むかナ」って考えちゃったりね。

          ↑   

『ホントはいけない行動パターンなんだけど…』





親父が病気になった事は『自分に降りかかった災難…』とは、まったく考えなかったですね。

素直に、「エライこっちゃ~、一大事だぁー」って思ったね。



極端な話し、明らかに手遅れの様な状態で、医師から“宣告”されていたら、ああいった行動は取りませんでしたね、きっと。

可能性を感じていたし、自分が行動すれば何とかなるって思ってたからね。

だから、頑張っただけです。



If 



親父が亡くなる前から少し思っていた事なんですが、

もしも、もしも私があの当時この病気の事(脳梗塞・認知症)に今位の知識を持ってたら、倒れて入院した後直ぐに仕事を休んで、全てを最初の1ヶ月に集中的に注ぎ込みましたね。

体力・知力、時間もお金も。



教えて頂いた「高次脳機能障害」にも行き着いていたかもしれないし、例え判らなくても初期の段階で手厚いケアが出来ていれば、当然違った結果になっていた確立は高かった。



もちろん今考えてもしょうがない事なんですがね。



『このブログ続けてるのも、みんなに知って貰えたらって気持ちが少し有ります』





いつも有意義なお話有り難う御座います。



前期入院の記事?はお粗末な内容だし、ブログ書く余裕も無かったから、

どうかなぁ



あんまし参考には・・・



また、お待ちしてます。

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