ウズベキスタンの病院では医師がずいぶん偉い、立場が上。
僕の活動先では、プレイルームはこの冬は暖房が入らず、
夏はもちろんクーラーも扇風機もない。
子どもたちの病室も、もちろん同じ。
それにくらべ、医師の部屋は冷暖房完備。
病棟で一番快適な部屋。
医師の診察が始まる!!
となると、お母さんたちは慌てて
椅子を準備したり、部屋をきれいにしたり…。
注射だ、薬だ、診察だ。
となると、プレイル . . . 本文を読む
ここはタシケントの中心にあるオペラ・バレエ劇場。
この劇場は第二次世界大戦後にタシケントに抑留された
日本人が強制労働で造らされた建物。
タシケントの大地震のときも崩れなかったという。
今もここでバレエやオペラをやっていてときどき見に行く。
チケットは8000スム(約240円)、10000スム(約300円)。
バレエやオペラは詳しくはわからないけど、すごい見ごたえあって、
この . . . 本文を読む
第20回ウズベキスタン日本語弁論大会を見てきた。
カメラ担当ということでスタッフの一員として参加。
協力隊の中にも日本語教師として来ている人も多く、
日本センターや大学などで教えている。
日本語勉強している人は思っている以上に多いようだ。
この大会は各地の予選を勝ち抜いてきた、
19名が参加するウズベキスタン大会。
そしてここで上位6位に入れば、アジア大会への出場権がもらえるという大切な大 . . . 本文を読む
僕の同僚はお母さんと同じくらいの歳のおばちゃん。
名前は「バルノオパ」。
オパは年上の女性につけるものだから、
日本語で言えば「バルノさん」かな!?
昨年は突然、2カ月休みをとっていなくなったり…。
仕事中も突然いなくなって、違う部屋でお茶飲んでたり…。
薬を飲んでくる、と言って30分以上帰ってこなかったり…。
今日は、「今から歯医者行ってくる!!」と言って行ってしまった…。
さらに、家 . . . 本文を読む
3月21日はナブルーズバイラム。春のお祭り。
そんなナブルーズが目前の最近、どうも不思議なことが起こる。
①厳しい冬も終わり、いよいよ春。
と思いきや、また氷点下まで下がり、雪が降って積もったり…。
本当によく雪が降る。
②ナブルーズの日は絶対晴れる!!と断言する同僚。
同僚によると、ナブルーズの日は空にロケットを打ち上げて、
雲を散らして、晴れにするらしい。
本 . . . 本文を読む
「スマラックに行くか?」
といきなり聞いてくる、ドゥタールの先生。
先生は家の大家でもあり、家も真横だから、
ドゥタールの授業の帰りはいつも車に乗せてってもらう。
そんな先生と今日の帰りはスマラックへ。
スマラックとはウズベキスタンの伝統的な食べ物。
だから最初は突然の、
「スマラックに行くか?」
という質問の意味が全く分からなかった。
よく話を聞いてみると
ナブルーズバイラム(春のお . . . 本文を読む
タシケントにあるUJC(ウズベキスタン-日本センター)がブハラにもある。
ここにも協力隊が派遣されている。
今回はそのブハラUJCの5周年記念のイベントの手伝いへ。
もうイベントといえば定番となりつつあるドゥタールも弾いた。
お客さんも多くて大盛況。
これだけ大きなイベントができるのはさすがUJC。
. . . 本文を読む
僕は料理が全然出来ない。
料理の本を日本から持ってきてみたものの、
必要な材料がなかなかそろわないし、料理の知識がないから、
何で代用ができるのかもわからない。
日本で生活していた頃、
家に帰ればあたり前のようにおいしいごはんがあったり、
ちょっとコンビニ行けばお弁当が買えたり、
当たり前においしいごはんが食べられる生活が
どれだけありがたいことか
今、身に染みて感じる。
でも、そんな僕にも救 . . . 本文を読む
この子とは去年の11月に出会った。
11月22日のブログにも書いた子だ。
最初は重症部屋にいて、
自分の力では座るのも厳しい状況だった。
症状が落ち着いてからも、体力や足の筋力が落ちてしまって、
自力歩行は困難な状況。
日本では理学療法士として働いていた経験を活かして、
歩くための練習をいろいろ教えていた。
「春になったら、一緒に外に行こう。」
なんて約束もしていた。
よく、他のお母 . . . 本文を読む