The Road of Uzbekistan.

JICA青年海外協力隊
平成23年度1次隊/青少年活動/ウズベキスタン

あと1分待ってくれたら・・・。

2012年03月31日 | 第四章.活動前半。
ウズベキスタンの病院では医師がずいぶん偉い、立場が上。 僕の活動先では、プレイルームはこの冬は暖房が入らず、 夏はもちろんクーラーも扇風機もない。 子どもたちの病室も、もちろん同じ。 それにくらべ、医師の部屋は冷暖房完備。 病棟で一番快適な部屋。 医師の診察が始まる!! となると、お母さんたちは慌てて 椅子を準備したり、部屋をきれいにしたり…。 注射だ、薬だ、診察だ。 となると、プレイル . . . 本文を読む

ナボイ劇場。

2012年03月30日 | 第四章.活動前半。
ここはタシケントの中心にあるオペラ・バレエ劇場。 この劇場は第二次世界大戦後にタシケントに抑留された 日本人が強制労働で造らされた建物。 タシケントの大地震のときも崩れなかったという。 今もここでバレエやオペラをやっていてときどき見に行く。 チケットは8000スム(約240円)、10000スム(約300円)。 バレエやオペラは詳しくはわからないけど、すごい見ごたえあって、 この . . . 本文を読む

第20回ウズベキスタン日本語弁論大会。

2012年03月25日 | 第四章.活動前半。
第20回ウズベキスタン日本語弁論大会を見てきた。 カメラ担当ということでスタッフの一員として参加。 協力隊の中にも日本語教師として来ている人も多く、 日本センターや大学などで教えている。 日本語勉強している人は思っている以上に多いようだ。 この大会は各地の予選を勝ち抜いてきた、 19名が参加するウズベキスタン大会。 そしてここで上位6位に入れば、アジア大会への出場権がもらえるという大切な大 . . . 本文を読む

ウズベク人の仕事。

2012年03月21日 | 第四章.活動前半。
僕の同僚はお母さんと同じくらいの歳のおばちゃん。 名前は「バルノオパ」。 オパは年上の女性につけるものだから、 日本語で言えば「バルノさん」かな!? 昨年は突然、2カ月休みをとっていなくなったり…。 仕事中も突然いなくなって、違う部屋でお茶飲んでたり…。 薬を飲んでくる、と言って30分以上帰ってこなかったり…。 今日は、「今から歯医者行ってくる!!」と言って行ってしまった…。 さらに、家 . . . 本文を読む

ナブルーズの不思議。

2012年03月20日 | 第四章.活動前半。
3月21日はナブルーズバイラム。春のお祭り。 そんなナブルーズが目前の最近、どうも不思議なことが起こる。 ①厳しい冬も終わり、いよいよ春。 と思いきや、また氷点下まで下がり、雪が降って積もったり…。 本当によく雪が降る。 ②ナブルーズの日は絶対晴れる!!と断言する同僚。 同僚によると、ナブルーズの日は空にロケットを打ち上げて、 雲を散らして、晴れにするらしい。 本 . . . 本文を読む

スマラックに願いを込めて。

2012年03月15日 | 第四章.活動前半。
「スマラックに行くか?」 といきなり聞いてくる、ドゥタールの先生。 先生は家の大家でもあり、家も真横だから、 ドゥタールの授業の帰りはいつも車に乗せてってもらう。 そんな先生と今日の帰りはスマラックへ。 スマラックとはウズベキスタンの伝統的な食べ物。 だから最初は突然の、 「スマラックに行くか?」 という質問の意味が全く分からなかった。 よく話を聞いてみると ナブルーズバイラム(春のお . . . 本文を読む

ブハラUJC。

2012年03月10日 | 第四章.活動前半。
タシケントにあるUJC(ウズベキスタン-日本センター)がブハラにもある。 ここにも協力隊が派遣されている。 今回はそのブハラUJCの5周年記念のイベントの手伝いへ。 もうイベントといえば定番となりつつあるドゥタールも弾いた。 お客さんも多くて大盛況。 これだけ大きなイベントができるのはさすがUJC。 . . . 本文を読む

おいしいごはん。

2012年03月03日 | 第四章.活動前半。
僕は料理が全然出来ない。 料理の本を日本から持ってきてみたものの、 必要な材料がなかなかそろわないし、料理の知識がないから、 何で代用ができるのかもわからない。 日本で生活していた頃、 家に帰ればあたり前のようにおいしいごはんがあったり、 ちょっとコンビニ行けばお弁当が買えたり、 当たり前においしいごはんが食べられる生活が どれだけありがたいことか 今、身に染みて感じる。 でも、そんな僕にも救 . . . 本文を読む

本当に大切なことって・・・。

2012年03月01日 | 第四章.活動前半。
この子とは去年の11月に出会った。 11月22日のブログにも書いた子だ。 最初は重症部屋にいて、 自分の力では座るのも厳しい状況だった。 症状が落ち着いてからも、体力や足の筋力が落ちてしまって、 自力歩行は困難な状況。 日本では理学療法士として働いていた経験を活かして、 歩くための練習をいろいろ教えていた。 「春になったら、一緒に外に行こう。」 なんて約束もしていた。 よく、他のお母 . . . 本文を読む