この記事を更新できているということは…。
私が住んでいる地域でも、電気と電話が通りました。
地震当日は仕事中でした。とある所で待機していたのですが、
車が止まっているはずなのに、クロスカントリーのコースを
全開でぶっとばして走行しているような揺れ。しかもかなり長い。
近くの崖はビビリ音を上げ小石が落ちてくる。
立っている看板や電柱は根元からぐらりぐらりと揺れていました。
私は宮城県沖地震の経験者ですが、それをはるかに越える揺れと感じました。
ひとしきり揺れが収まった後、無線で事務所の無事を確認したのですが、応答ナシ…。
すぐに事務所へ向かうと、配車係は玄関先で呆然。事務所内はめちゃくちゃらしい…。
無線は停電で使えない状態でした。
その足で自宅へ向かうと、留守中のはずの父は車ごといない…。
鍵を開けて中に入ると…家具が倒れていて…まあ、見事にめちゃくちゃです。
玄関から居間に入るところの壁に亀裂が入っていました。
表に出ると、父が車で帰って来ました。歯科医にいたらしく、治療前に地震にあって帰って来ました。
その父に母の居所をたずねると、親戚の家に遊びに行ったらしい…。迎えに行かなくては…
一応泉中央まで行ってみると…病人と看護師の一組が挙手…台原の病院まで送りました。
そこから母のいる利府まで行こうとしましたが、途中利府街道がまったく動かず…
テレビでは津波が名取川沿いの平地を被っている画像が…これではあちら方面は無理だな…
諦めて事務所へ引き返しました。
出社して部屋の片付けをしていた社長と無事を確認し、精算を済ませて帰宅。
母は親戚の車に送られて帰宅していました。これで家族全員の無事が確認されました。
インフラは、ガスだけはボンベ式のプロパンガスなので問題ありませんでしたが、
電気、電話、水道は当然の様にストップ。
備蓄していたミネラルウォーターを飲料水や調理用とし、風呂の汲み置きをトイレや洗い物に使いました。
手を洗うのはウェットティッシュで。食器を使うときはラップをかけてから。
暖房はファンヒーター使えないから、災害時用に反射式ストーブを捨てずに取っておいたのでそれで。
しばらくは大きい余震が来る可能性が高いので、すぐにはかたずけず、眠るスペースを確保するだけでした。
翌12日は仕事が休みだったので丸一日家の片付け。
余震多かったけど、片付けたものが再び崩れることはありませんでした。
13日は一応職場へ行って現状確認。ガソリンスタンドがまともに動くまでは休業…
やっぱり家の片付け。初めて給水車に並びました。
14日の今日は、こちら方面に旅行に来ていた従姉妹とその友人が
とある小学校に避難していると分かったので迎えに行ったのですが、
既にどこかへ移動したらしい…。折角車で出かけてきたので、
帰り途中のスーパーで長~い列に並んで食料補給。
違うスーパーでもやっぱり長~い列に並んで食料補給。
並び疲れて帰ってきたら家の電話が鳴っている…。母の友人からの電話でした。
これで電話開通が確認でき、ひょっとすると電気も…と思い、
落としていたブレーカーを戻したら通電しました。
とりあえずは遠方の親戚に電話連絡。無事を伝えました。
…で、ツイッターupして最後にこのブログです。
あ、いま母が給水車から帰って来ました。
やっと映ったテレビで被災状況を見ると…沿岸部は壊滅も…
当日夕方営業車内のテレビで津波は見たけど、被害までは見ていませんでした。
ラジオでひどい状況を知ってはいたけど、改めて映像でみると…もう言葉がありません。
今回の地震で怪我をされた方々に、お見舞いを申し上げます。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
家族や友人、知り合いが亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。
ふう、ここまでイッキに書いてちょっと疲れました。今日はここまでにします。
私が住んでいる地域でも、電気と電話が通りました。
地震当日は仕事中でした。とある所で待機していたのですが、
車が止まっているはずなのに、クロスカントリーのコースを
全開でぶっとばして走行しているような揺れ。しかもかなり長い。
近くの崖はビビリ音を上げ小石が落ちてくる。
立っている看板や電柱は根元からぐらりぐらりと揺れていました。
私は宮城県沖地震の経験者ですが、それをはるかに越える揺れと感じました。
ひとしきり揺れが収まった後、無線で事務所の無事を確認したのですが、応答ナシ…。
すぐに事務所へ向かうと、配車係は玄関先で呆然。事務所内はめちゃくちゃらしい…。
無線は停電で使えない状態でした。
その足で自宅へ向かうと、留守中のはずの父は車ごといない…。
鍵を開けて中に入ると…家具が倒れていて…まあ、見事にめちゃくちゃです。
玄関から居間に入るところの壁に亀裂が入っていました。
表に出ると、父が車で帰って来ました。歯科医にいたらしく、治療前に地震にあって帰って来ました。
その父に母の居所をたずねると、親戚の家に遊びに行ったらしい…。迎えに行かなくては…
一応泉中央まで行ってみると…病人と看護師の一組が挙手…台原の病院まで送りました。
そこから母のいる利府まで行こうとしましたが、途中利府街道がまったく動かず…
テレビでは津波が名取川沿いの平地を被っている画像が…これではあちら方面は無理だな…
諦めて事務所へ引き返しました。
出社して部屋の片付けをしていた社長と無事を確認し、精算を済ませて帰宅。
母は親戚の車に送られて帰宅していました。これで家族全員の無事が確認されました。
インフラは、ガスだけはボンベ式のプロパンガスなので問題ありませんでしたが、
電気、電話、水道は当然の様にストップ。
備蓄していたミネラルウォーターを飲料水や調理用とし、風呂の汲み置きをトイレや洗い物に使いました。
手を洗うのはウェットティッシュで。食器を使うときはラップをかけてから。
暖房はファンヒーター使えないから、災害時用に反射式ストーブを捨てずに取っておいたのでそれで。
しばらくは大きい余震が来る可能性が高いので、すぐにはかたずけず、眠るスペースを確保するだけでした。
翌12日は仕事が休みだったので丸一日家の片付け。
余震多かったけど、片付けたものが再び崩れることはありませんでした。
13日は一応職場へ行って現状確認。ガソリンスタンドがまともに動くまでは休業…
やっぱり家の片付け。初めて給水車に並びました。
14日の今日は、こちら方面に旅行に来ていた従姉妹とその友人が
とある小学校に避難していると分かったので迎えに行ったのですが、
既にどこかへ移動したらしい…。折角車で出かけてきたので、
帰り途中のスーパーで長~い列に並んで食料補給。
違うスーパーでもやっぱり長~い列に並んで食料補給。
並び疲れて帰ってきたら家の電話が鳴っている…。母の友人からの電話でした。
これで電話開通が確認でき、ひょっとすると電気も…と思い、
落としていたブレーカーを戻したら通電しました。
とりあえずは遠方の親戚に電話連絡。無事を伝えました。
…で、ツイッターupして最後にこのブログです。
あ、いま母が給水車から帰って来ました。
やっと映ったテレビで被災状況を見ると…沿岸部は壊滅も…
当日夕方営業車内のテレビで津波は見たけど、被害までは見ていませんでした。
ラジオでひどい状況を知ってはいたけど、改めて映像でみると…もう言葉がありません。
今回の地震で怪我をされた方々に、お見舞いを申し上げます。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
家族や友人、知り合いが亡くなられた方々にお悔やみ申し上げます。
ふう、ここまでイッキに書いてちょっと疲れました。今日はここまでにします。
ありがとうございます。幸いにも生きております。
こちらでは、何とかなっている所と、ひどい所の差が激しいです。
Unknown様のような県外からの支援は、ひどい所優先に届くよう、行政には動いてほしいと思いますし、
実際そうなることでしょう。
ご心配いただき、有難うございます。
だいちゃん様
福島も大変ですよね。自分たちでも出来るところから進んで復興に力を入れるよう頑張りましょう。
ご心配いただき、有難うございます。
ぱんだ様
隠れ読者様歓迎。ご親戚の方々がご無事で何よりでしたね。
こちらもほとんどの親戚の無事が確認で来ました。
被災地の僕等が元気にならなければ!
本気でそう思います。
ご心配いただき、有難うございます。
ご無事だったこと、ほっとしております。
津波の被害で、無念にも亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
私の親戚も仙台在住ですが無事でした。
頑張ってください。