毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

取り戻す愛

2022年03月25日 14時04分14秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
※冒頭で アガサ・クリスティの不朽の名作 「カーテン」 の一部ネタバレがあります。

 犯人や結末に直接言及してはいませんが、推理の核心に近づくヒントとなる可能性がありますので、未読の方はご注意ください。














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[以下ネタバレご注意]


名探偵エルキュール ・ ポアロ最後の事件として有名なこの話には、ポアロの生涯で最大の難敵が登場します。

決して罪に問われることなく殺人を犯す そのテクニックとは、「人間の良心のもっとも弱い部分に働きかけてそそのかし 犯罪を行わせること」 。

「あの人がいなければいいのに」 なんて思いは 誰でも一度や二度は抱えたことがあるもの、普通ならそれで済むところを、心の揺れにつけ込み 言葉巧みに負の感情を増幅させ、良心のとがめを押しつぶして 犯行に向かわせるその腕前は、数々の難事件を解決してきたポアロでさえ強い危惧を覚えるほど。

案の定不審な事件が次々起こり、ポアロのかけがえのない親友 ヘイスティングズにまで魔の手が。。。。




当人が手を下してない以上 罪に問うことすらできない厄介な相手ですが、ポアロとの対決がどうなったかは小説をお読みいただくとして、この犯人に付け入る隙を与えているのが、人々がそれと氣づかぬまま潜在意識に抱えているさまざまな思い込み。

潜在意識は知覚できない領域で、五感も言葉も及ばないため、なぜか自分に益のない行動をとらせる衝動を感じはしても、その原因を見つけるのは困難です。

誰でも自分のことを 善良で正しい人間だと思いたいもの、にも関わらず 心の奥底に その願いと矛盾する闇の氣配を感じると、ついついスルーして見なかったことにしてしまう。

だからこそ そこを突かれると動揺して、冷静な判断力を失ってしまうんですね。

氣弱な笑みの裏に隠された 抑圧的な配偶者への激しい怒り、質素な夫に従う妻の仮面の裏に潜む 華やかな暮らしへの渇望、そういったものに翻弄される犠牲者たちが 「カーテン」 にも登場しますが、彼らが自分の本心に氣づいていれば、あのような悲劇を見ずに済んだかもしれません。




さて 現実世界に話を戻して、この手の思い込みで最大級のものが、私たち人類のほとんどに共通する 「お金にまつわる観念」 。

いま私たちの社会を動かすお金のシステムは、豊かさの巡りを偏らせて 大昔から続いてきた自然の循環を大きく歪めてしまっていますが、その根っこに潜む 私たち人間の意識が抱える矛盾や罪悪感こそ、それらを助長する最大の原因だと 貴秋は思っています。




私たちの本質は、全き愛そのものです。

その性質が表に出てくるのが、大きな災害や戦争紛争に見舞われ傷ついた人を見たとき。

手弁当でボランティアに駆けつける、欲しいものを我慢してでも寄付をする、戦争反対の意思表明に立ち上がる、被災者支援の役に立ちそうな情報を見つけて流す、など 皆の心に火が付き、苦しむ人を救いたい熱意が形となって 波のように押し寄せます。

その一方で、私たちの社会の根幹をなす現行のお金のシステムは 競争原理で成り立っており、実質的な弱者切り捨てが あちこちでまかり通っています。

これを黙認するのは 明らかに私たちの本質に反しますが、「このシステムの中で生きていくしかない」 という思い込みに囚われている私たちは、その矛盾を心の奥に押し込めたまま生きていかざるを得ません。

そんな心の軋みが露わになるのは、誰かがその矛盾を明るみに引っ張り出したときです。

「意思の疎通が取れないような重い障害者は 安楽死させたほうがよい」 と述べた相模原障害者施設殺傷事件の犯人 植松聖被告、「ホームレスっていないほうがよくない?」 と述べたメンタリストDaiGo氏、「生産性のない同性カップルに税金を投入してよいものか」 と述べた杉田水脈議員、彼らの言葉に反発や憤りを覚えた人がどれほど多かったかはご存じのとおりですが、実のところ これらの発言は、私たちの本質からいえば決してあり得ないことながら、私たちの社会のありようには沿っているのです。

「働かざる者食うべからず」 という言葉が示すように、私たちの社会は 弱者を切り捨てるようにできている、どんなに怒ろうと嘆こうと それが紛れもない事実であることは、コロナやウクライナ侵攻などの影響で経済的苦境に立たされている人々の存在が証明しています。

あまつさえ私たちは そのシステムの少しでも上位に行けるようにと、自身が我が子がいい大学に入り 有望な就職先を見つけられるよう心血を注いでいるではありませんか。

私たちが前述のようなあからさまな差別発言にいたたまれない氣持ちになるのは、私たちの本質と相容れないからであると同時に、そんな矛盾を受け入れて生きていることへの後ろめたさや罪悪感からでもあるのではないでしょうか。

言い換えれば、この矛盾に目をつぶって生きてゆく限り、私たちは自分に自信や誇りを持ち 胸を張って生きていくことはできない、高いセルフイメージを保つことはできない、ということ。

さらに言えば、そんな私たちのセルフイメージの混乱や良心の弱みにつけ込んで 「カーテン」 の犯人のように私たちの感情を意のままに操り、弱者を犠牲にすることをいとわず 自分たちの富や既得権を守ってきた存在がいたからこそ、これほどまでの富の偏在や それにまつわる争いごとが数千年ものあいだ絶えることなく続いてきたのです。




・・・・辛いお話だったらごめんなさい。

でも、辛い思いは一度で十分、あとは催眠を解いて 最高のセルフイメージを取り戻すだけ。

私たちが頑張ったその先に、誰一人見捨てられることのない 愛に満ちた世界が待っています。

















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