「自分が創った物語を生きている」 という見方をすると、いろいろと見えてくるものがあります。
この夏の暑さについて テレビなどで 「生命に危険を及ぼす」 などとやたら声高に叫ばれるのを見ていて、あらためて言葉の持つ力について考えさせられました。
たしかに39℃だ40℃だということになれば、小さい子やお年を召した方、体調を崩されている方、外で作業をされる方など 十分な備えを怠ると危ないという注意喚起は必要でしょう。
実際病院に搬送されたり亡くなったりということも いつもより多いようだし。
一方で、流れる映像には 汗をかきかき観光を楽しむ人や 帽子もかぶらず町を闊歩する人も映っているし、高校野球を見ても もちろん万全の暑さ対策で臨んでのことでしょうが、強烈な日ざしのもと 選手も応援団も元氣いっぱい。
例年以上の暑さについても、その解釈もそこから生まれる物語も人それぞれ、ということですね。
でも マスメディアは 「危険、命にかかわる」 一辺倒、この言葉を梅雨明け以来 何十回何百回聞いてきたことか。
このことに意識を向けておくほうがいいのではないでしょうか。
記録破りの高温は 特定の地域でしか観測されていないし、例年35、6℃のものが突然50℃になれば たしかに即命の危険に結びつくでしょうが、3~4℃の差なら 一番暑い時間帯は家で静かに過ごすなどの工夫で乗り切れないものではありません。
実際50℃近い砂漠の地で当たり前に暮らしている民だっているのだし、人間のからだはもう少しフレキシブルに創られているはずです。
大事なのは、「対応できる 大丈夫」 から 「冷房の効いた室内で静かにしていないと危険」 までのどこに自分がいるかに絶えず氣づいて、状況に応じた手立てを怠らないことではないかしら。
からだの状態は、人それぞれ そのときどきで違うもの。
いまの自分がどんなふうか いつもからだの声に耳を傾けて、つねにからだ最優先の選択をしていれば、そうそう簡単に壊れてしまうことはないでしょう。
むしろ 「危険、生命が危ない」 という言葉のイメージに引っ張られて 氣持ちがダウンすれば、それがからだに響くこともあります。
「異常な暑さなんだ」 という不安が、同じ温度をいつもより暑く感じさせもすれば、「氣をつけなくちゃ」 という氣持ちが 必要以上の不安をかき立てもする。
注意は注意として受け止めつつ、人の言葉より自分の感覚を大切にするほうが、きめ細やかな対応ができる氣がします。
もうひとつ、真昼の高温時間帯でも外で仕事をせざるを得ない人や お金がなくて冷房を十分使えない人がいることは、マスメディアはほとんど口にしないけれど どうなんでしょう。
危険から遠ざかりたいのにそれができないという状況は、大きなストレスとなって からだにもいっそうのダメージを与えます。
危険一辺倒の注意喚起は、「したいのにできない」 という物語にさらなる苦しさを与えることにもなるのではないでしょうか。
国を挙げて 「十分な注意を」 という言葉を使うのなら、発した言葉に対して責任をもつことも必要なのでは。
言葉の持つ力は、私たちが思う以上に強いものです。
言葉で紡ぎ出される物語を生きている私たちは、言葉の影響を受けやすいことを知っておいたほうがいいでしょう。
まずは、自分の物語は自分の言葉で創るという意思をもつこと。
外からの言葉は 正確に聞き取り しっかり吟味した上で、取り入れるか入れないか、取り入れるならどのように取り入れるかを意識的に決めることだと思います。
夏生まれの貴秋は、夏が好きです。
とりたてて暑さに強いわけではないけれど、クーラーなんてなかったころでもちゃんと元氣に過ごしてきたことを思えば、冷房や冷蔵庫を活用して 例年以上の暑さとも折り合いをつけられるいまは 天国です (^^)
高温だって悪いことばかりじゃない、昼近くに干した洗濯物もたちまち乾くし、毛布やカーテンなど厚手のものを洗うにはうってつけ、32、3℃ぐらいの時間帯にからだを動かして家事にいそしめば しっかり汗をかいてデトックスにもなるし、そのあとのシャワーや冷たい麦茶のなんてうれしいこと♪
暑い季節ならではのレシピ探しにも熱が入るし、どうにもこうにもがまんできなくなってクーラーを点ければ、文明の利器のありがたさにひれふしたくなります。
「この暑さは凶器」 と思うか、「この暑さがからだの潜在能力を引き出し高めてくれる」 と思うかで、からだの様子も大きく変わります。
大変な状況を 愚痴と文句の物語にするも 感謝の物語にするも 私たちの氣持ちひとつ、どうせなら言葉の力をフルに活かして いい氣分になれる物語を増やしたいですね。
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