前の記事、ちょっと言葉が足りなかったかも、という氣がして。
「認めてもらえない」 という思い込みから自由になりたければ、まず自分で自分を認めること、それなしに 受け入れてくれる他者など現れようはずがない、と書きましたが、貴秋については まさにそのとおり。
全面的に他者に頼ろうとする氣持ちが 親の代わりを探させただけで、相手変われど 他力本願は変わらず ではなんの解決にもならない、まず自分を変えねば、と氣持ちを切り替えて正解でした。
が、世の中には いろいろな方がおられます。
自分では 自分を認めていない、認められないつもりでいても、ほんとうに愛情深い方とひょっこり出会うなんてこともあるでしょう。
自分の心ってわからないもの、自分で思う以上に自身を認めていたことが反映しての 素敵な出会いかもしれません。
そんなときは、他者から受け入れられた喜びや安堵を通して 自分を認めるというのも おおいにありだと思います
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ストレートに自分で自分を認めても、他者という鏡を通して認めても同じこと、要は 自分が安定して満ち足りて 幸せであればいいのですから (*^^*)
貴秋は 自身の体験という限られた例を通してしかお話できないので、ここに書かれていることがすべてではない、ほかに道はいくらもあると ちゃんと書き添えておくべきだったと反省しての “ちょこっと補足” でした m(__)m
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