毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

きっと楽しい変幻自在で自由な社会

2018年09月10日 10時30分08秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


先週7日に NHKBSの 「プレミアムカフェ」 で 「情熱のタクト 〜指揮者 佐渡裕 ベルリン・フィルへの挑戦」 の再放送があったことを今になって知りました (^_^;)

過去二回見たこの番組で 貴秋が強烈に印象付けられたのは、オーケストラとは職人集団なんだということ。

中でも世界三大オーケストラの筆頭といわれるベルリンフィルは 世界最高峰の呼び声にふさわしくメンバーも一流プレイヤーぞろいで、新しく来た指揮者には われらがオーケストラにふさわしいかどうかと厳しいジャッジの目が注がれるのだとか。

実際高名な指揮者でタクトを無視され勝手な演奏をされてしまった人もいたそうで、初顔合わせのとき あの佐渡さんが緊張の面持ちだったのもさもありなん。

が その厳しさは 指揮者のどんな注文にも即座に応えて素晴らしい演奏を生み出してみせるという自信あってこそのものであり、つねに最高の音楽を奏でたいという意欲の表れ、優れた職人やその集団とはこういうものなのかと目を開かれた思いでした。

そんな百戦錬磨のつわもの相手に 客演指揮者としてわずか2日の練習だけで本番に臨まねばならなかった佐渡さんの心中が偲ばれますが、ちょうどその半年ほど前に 日本人バイオリニストの樫本大進さんがベルリンフィルのコンサートマスターに就任していたことは 大きな救いだったでしょう。

ともあれコンサートは大成功に終わり 佐渡さんも高い評価を受けたのですから、番組を見ていたこちらもほっとすると同時に深く感動したのを覚えています。




最近しきりと意識に上るのは、「ゼロに戻す」 ということ。

形ある私たちは 「分け出す」 という行為なしには生きていけないわけですが、その分け出したものを 形の上であれ意識の上であれ その都度ゼロに戻すってすごく大事なことなんじゃないかなという氣がしてならないのです。

使ったものは元の場所に戻す、計算を終えた電卓画面はクリアボタンでゼロに戻す、それをしないとどんどんゴチャゴチャになって身動きがとれず 収集がつかなくなるのは避けられません。

この 「分け出して 用が済んだらゼロに戻す」 ことを 今の社会に当てはめたとき ぱっと浮かぶのが、指揮者 すなわち音頭とりと職人たちの流動的な組み合わせなのです。

何か大きなものを作るとか 大きな催しを開くとかいうとき、誰かが音頭とりになって呼びかけ、それに応えて腕に覚えのある人たちが集まって、無事事が成し遂げられたらすみやかに解散する、その繰り返しで成り立つ社会。

遠い昔にもあったのかもしれませんが、これからまたこういうフレキシブルなスタイルが主流になるようなイメージがしきりと湧いてなりません。




「組織にすると 必ず腐る」 という言葉を聞いたことがありますが、「ただひとつ変化しないのは すべてが変化するという事実だけ」 というほど万事が刻々と移り変わってゆく世の流れの中で、がっちり組まれ固定されてしまったものが その不自然さゆえに浮き上がり 不協和音を奏でるのは無理なからぬこと。

最近しきりにスポーツ組織の不祥事が報じられますが、これはまだまだ氷山の一角、さらにスポーツ界に限ったことでもないでしょう。

宇宙のありように照らして 不自然なものはやがては崩壊する、これは避けられないことです。

そういう時代なんだと思ったとき、私たちは めいめいの好きな分野 ・ 得意な分野で 独立した職人のような意識や誇りをもてるだろうか。

別に超一流とか第一人者とかでなくていい、ただ機会があれば 「あ、それなら私できるよ」 とぱっと名乗りを上げてわくわく参加できるほど オンリーワンとしての穏やかな自信を感じながら 毎日を生きているだろうか。

誰もがそんなふうに生きられる社会って、きっと楽しいに違いないと思うのです (⌒-⌒)

















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