毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

解放

2013年12月02日 21時44分29秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


前々回の日記で「からだの感覚を見つめ続けてきた結果について書かせていただく。。。たぶん」って言ってたんですが。

もし待ってらした方がおられたら、すっかり遅くなってしまってごめんなさい。

書いてたんです、何度も。

ただ、自分の「現在地点」があまりにも急激にどんどん変るので、書く端から書き直しで ずっと草稿のまま。。。どうも“流れ”が加速している氣がします。

そして きっとこれからもまだまだ変ってゆくと思うんですが、今見えているものについてぜひお知らせしたくなりました。





以前 こんな日記 を書いたあとで、ふとひらめきました。

負の感情を手放すのに からだの感覚に注目することが重要なポイントだと ずっと感じているけれど、だったらもっと思いっきり集中してみたらいいんじゃないだろうか。

「この感情しんどい~」っていうほど大暴れしているときだけじゃなく、かすかにでも違和感を感じる限り とことん追ってみる、と。

何事もないときはほとんど意識しないからだの感覚も、苦痛が起こればいやおうなしに注意がいくもの。

からだの痛みや違和感が 身体的異常を示すビーコンであるように、心の痛みや違和感も 「ここに不調和があるよ」との合図。

なら、どんな小さなものでも残さずどんどん拾うことで、いい変化が速まるんじゃないだろうか。

なんで今まで氣づかなかったんだろう、と思いつつ、さっそくトライ☆



ずっと感覚を見つめ 手放し続けてきたおかげか、全身に響き渡るような強い苦痛は 最近はほとんど起こらなくなり、以前なら氣を留めなかった微細な感覚に意識が向くようになっていたので、それをさらに推し進めてみました。

そうしたら、これまで意識することもなく見逃していた ちょっと違和感ある感情や、習慣のように受け止めてしまっていたかすかなからだの痛み・こわばりにいたるまで、ぞろぞろと出てくる出てくる。

いずれも しばらくとどまったのち、やがてじんわり消えてゆきました。

その後に残ったのが、胸の真ん中、のど元からみぞおちあたりにかけての 縦一筋の感覚。

どうも、ここが からだのあちこちで感じていた感覚のおおもとらしい。

不快のスイッチが入ると、ここがぎゅっと固くこわばって、よじれたり 震えたり、靭帯のような固体の筋として感じ取れます。

この感覚だけは、いくら見つめ続けても 消えません。

曇りを拭って拭って そのあとになお残ったもの・・・・もしかして、ここが「さいごの砦」?

いや、まだまだわからないけどね、消えた感覚がまた復活することだってあるかもしれないんだし。



と、不意にひらめきが起こりました。

本来これは“光の柱”なのだと。

足元から頭のてっぺんを突き抜けて チャクラに沿って立つ光の柱。

それが、誤った世界観の下、振動数が落ちて 筋めいた固体として 苦痛を伴って感じられるのだと。

光に戻すこと、できるのかなぁ。



こうなっても、うれしくない記憶や連想は相変わらずふとした折に上がってくるのですが、派生する感覚は 以前とは比べものにならないほど小さくなりました。

以前が火山の爆発なら、今は沸騰したやかんぐらいのもの、持続時間もぐっと短く。

からだの感覚は、胸の筋と あと頭(考えているときほどこの感じが顕著になる)やのど(緊張から舌の付け根にわずかに力が入ると起こる)が軽く締めつけられる感じが起こるぐらい。

頭とのどは 少し見つめていれば じきに消えてなくなります。

氣がかりだった 他の感覚の復活も、これまでのところ起こっていません。



ここまで局所化してくると、もう からだの違和感 = 心の苦痛 = 自分 という意識が成り立たなくなります。

それは私のすべてではない、ほんの一部でしかない、そして 現れたとしても いつまでも抱え続ける必要はないのだ、と。

古い記憶の痛みも 胸の筋の違和感も、起こっても いずれは通り過ぎてゆくもの、と 格別氣にすることもなくやり過ごせるようになっていきました。



そして。

一部でしかなくなったものは、氣づかないところで 自分ならざるものとして繰り返し認識されるようになったことで、徐々に分離が進んでいたのでしょう。

これまでにも「ネガがなくなった」と喜んだことが何度もありました。

3日続いたものが半日で治まるようになった、丸1日ネガを感じることなくいられた、等々、前と比べて明らかな違いがあれば、その軽やかさにうれしくなるのは自然なことだし 「なくなった」と言いたくなる氣持ちにウソはない。

ないのだけれど、実のところ 睡眠中まで含めて ここまで徹底的に負の氣配が払拭された日常というのは、生まれて初めてのことなんじゃないだろうか。

なにかのきっかけで瞬間起こる怒りなどとは別に、淡々と流れる日常の時間のあちこちや夢の中などにかすかにまとわりついていた ダークグレーのネガの薄霞が、ついにきれいさっぱり拭い取られてしまったようなのです。

また、瞬間立ち上がる怒りや不安についても、一瞬現れはするけれど、「今見えたのは 過去の回路だな」ということで、それ以上持続させたり膨らませたりする必要をまったく感じないため、「現れた → 終わった」で幕。

つまり、感情に振り回されることなく ニュートラルな位置に立てるようになったということ・・・らしい。

どうやら、私の中で 負の感情は、ついに切り離されて「自由に選べるもの」となり、さらに「選ばないもの」となったようです。





例によって長くなってしまいました。

続きは次に。

お読み下さってありがとうございます。
























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