毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

私たちの安らぎも豊かさも力も自由も、外ではなく内にある

2022年12月05日 11時25分15秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見
今回も思い出話から始まりますが、これは14、5年ぐらい前のことだったかな。

友人知人7~8人の旅で ある宿に泊まったのですが、支配人さんが部屋に案内して下さると、廊下に面していくつかの扉が。

「お好きなところにお入り下さい」 とにこやかに言われて、適当に分かれてドアを開けると、なんとそこは仕切られた個室ではなく、どーんとひとつの大広間。

なんのことはない、大部屋にいくつものドアがついていただけで、あっという間に再び相まみえた全員、顔を見合わせて大笑い。

支配人さん、お茶目な方でした。

で なんでこんなことを思い出したかというと、つい最近 これとそっくりな氣づきがあったからなんです。




貴秋は、内観を通して 怒りを手放して楽になりたかったし、不安から解放されて安堵感を味わいたかった。

セルフイメージを回復させて自信を持ちたかったし、他者と上下でなくフラットにつながることで 人間関係にも前向きになりたかった。

かつて味わったことがないほどの豊かさを得て 人生を謳歌したかったし、自分の存在が世の中の役に立っているという充足感も欲しかった。

とまあ いろいろ望んでいるように思っていたのですが、自身の内から感じるそれらは、実は根っこでは どうやらすべて同じひとつの感覚、すなわち否定的波動がまったく割り込まないときの素の感覚に集約されるらしいと氣がついたのです。

ネガ波動の抵抗がまったく起きないときの私たちの心は、ごく自然に明るく 軽く 穏やかで 暖かい。。。。これが本来の私たちの常態なんですね。

体験の世界においては 体験の数だけ入り口がありますから、私たちの求めるものも 状況に応じてときめきだったり安心感だったり晴れがましさだったりと変わりますが、さまざまな体験を経てさいごに落ち着くのは、抗うものなく満ち足りた 究極のありよう。

ということは 逆から見て、私たちの望みを打ち消すような抵抗波動を ことごとく手放してしまいさえすれば、もはや私たちに不可能はなく、形なき常態から好みに応じて 形ある世界に望むものをいくらでも分け出すことができるのだ、と氣づいたわけです。




人間が五感で受け取る情報は 視覚が8割方を占めると言われていますが、そんな断然優位な視覚をもってしても 決して見ることができないのが、自身のありのままの姿。

鏡を通せば 左右が逆になってしまうし、カメラの画像は わずか数秒なりとも過去のものですから、私たちの誰一人として、いま ・ ここの自身の姿を正確に眺めることは不可能なんですね。

これって、私たちの本質が外ではなく内にあることの現れのように思えます。

真に自分を知ろうと思ったら、外から眺めるのではなく 内から感じるしかないと。




さらにもうひとつ、私たちって 外から言われる正論を そのまま我がものにはできないんですね。

他者から言われたことは、どれほど納得いくことであっても そのままではただの理論や情報に過ぎず、自分のものにするには 内に取り込んで消化し、自分の言葉として出てくるようになるまで待つしかない。

ましてや 素直にうなずけない意見なら、アタマではどれほど正しい、必要だとわかっていても、反発して押しのけてしまう。

私たちは、内側からしか 進んで得心することができないのです。




私たちは長いこと、外から不安を取り除き 心を満たそうとして、さまざまな分野で世界を探求し、得た知識をもとに 多くの便利な物や仕組みを作ってきました。

が、作れば作るほど そのマイナス面も表面化し、身分の上下や貧富の差が大きくなって、人々は 互いに分断され、地球環境は劣悪になっていきました。

やがて “行き” の道が “かえり” に転じ、自身の外ではなく内に目を向ける人が増えてきましたが、今度はそんな探求者を迷わせるかのように 本来の自分ではない後付けの否定要素が次から次へと現れて、私たちを苦しめる。

でも、ここで諦めることはありません。

これまで避け続けてきたその否定要素こそ、からだを持って形ある世界に生まれてきた私たちが体験したかったものなのですから、一度しっかり味わって その役目を終わらせればいいのです。

正誤 ・ 善悪などのように分裂するもととなっていた否定形がなくなっていくに従い、その奥に隠れていた 「たったひとつの “源” 」 である本来の自分が しだいに主導権を握って動き始めます。

そして内に揺るぎない芯を感じながら毎日を生きられるようになったとき、愛であり自由であり安らぎであり豊かさであり健やかさである ”大部屋” から、好みに応じて好きなドアをくぐり 思うままの世界を実現してゆけることを知り、また 日常のどんなささやかでありふれた喜びからでも 同じ大部屋にたどりつけることを知るのです。
















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