毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

通り過ぎるもの

2014年06月23日 08時21分35秒 | 貴秋の視点、すなわち偏見


「Let it go」の話で、自分を抑えつけたり ありのままを受け入れてくれなかったものに対する反発の氣持ちについて書きました。

私も 責任転嫁をせずにおれない者の常で、周囲の他者や状況に しょっちゅう腹を立てていたものですが、あるとき突然氣がついたんですね。

誰よりも 一番怒りを向けていたのは、自分自身に対してだったんだ、って。




そういう氣持ちがあるものだと聞いてはいましたが、それまでは 自分にもあるものだとは夢にも思ってなくて。

自分は他者を悪者に見立てての 他者攻撃専門、みたいな氣でいたので、自分を憎む自分の存在に氣がついたときの衝撃は半端なかったです。

はっきりとは覚えていないけれど、まだ1年と経ってない日のことだったと思うな。。。




怒りがあまりにも凄まじいと、それが手近なものへの破壊行為として噴出してしまうことがあって、ずっと それははずみというか 勢い余ってのこと、なんらかの形で発散しないと収まりがつかないものね、ぐらいにしか思っていなかったのですが、あのときふと疑問が湧いたんですね。

自分の持ち物を壊す、というのは、自分に損害を及ぼすこと。

その物を失うことになるわけだし、壊れたものの後始末に手間がかかる場合もある、また 自分の手などを傷めかねないような壊し方をしてしまうことだってあるし、なによりも ただでさえ荒んでいる氣持ちがますます荒むのを抑えられない。

いくら腹立ち紛れとはいえ、他者に怒っているはずなのに、自身へのマイナスばかりが大きい行為に なんで走るのか。



それって、自分で自分を苛めてない?



自分がそう考えたというより、問いかけのほうが 思いもよらず ふっと湧き上がってきた感じで、最初はまさかと否定しかかったんですが、それでもなにかに促されるように 自分の中に降りていって 確かめてみたら。。。




怒ってた。

すさまじく怒ってた。




自分を責める・侵犯する・妨害する他者以上に、そんな他者から自分を守ろうとしなかった自分に対して。

愛であるはずの自分にこだわり過ぎて、怒りを認めようとも表現しようともせずに なかったことにして いい子ぶっていた自分に対して。

その昔、子である私をかばうよりも 寛大で分別ある対応を優先し、私を傷つけた相手をとがめなかった親に対して、それはもう大きな怒りを抱いていたはずなのに。。。

自分で自分に おんなじことしてた。

そんな自分を恨み 憎み 激怒するもうひとりの自分の存在に、そのとき初めて氣がついたのでした。



お前なんか いくらでも困った羽目に落ち込めばいい。

ケガしたって自業自得だ、痛い思いをすればいい、壊れてしまえばいい。

憎むものと 憎まれるもの、どちらも自分。

なんて救いのない ざらついて とげとげしくて 殺伐とした感情。

こんな氣持ちがあったなんて・・・・とショックだったなぁ。




そこから、自分が自分の一番の味方になる、ありのままの自分を認めて受け入れる、と迷いなく思えるようになるまで、まだ大分かかったわけだけれど。

でも、その日を迎えるための下地として あの氣づきがあった、あれがあったからこそ 今みたいに自分を受け入れることができるようになった、とも言えるんだよね(^^)

自分に対して怒っている最中は、怒るものと怒られるものに分離していたけれど、どんな自分でも自分なんだ、そのままを表現していいんだ、って氣がついたときから、またすぅっとひとつに戻れた氣がします




そして、「Let it go」のところでも書いたけれど、この氣づき自体がゴールなわけではなく、いわばゴールに向かう足場固め、みたいなものかな?

ゴールではないけれど、この1歩を飛ばしたままゴールに着くこともありえないんだって氣づいたとき、その先の道のりがなんとなく見えた氣がしました。

個としての自分はひとつになれた、今度は「自分と他者」に分かれていたものが ひとつになる歩みに入るんだ、って。

だって、「他者」と呼んでいるものも 鏡に映った自分の姿、やはり分裂したままの自分っていうことだもの。

こうやって ばらばらになったかけらをひとつひとつ取り戻して進んでいくうちに、やがては “大いなるひとつ” “愛である自分 ” にたどりつく。。。。といった感じで続いていくんだろうな、って。

そして、たどり着いたら それでおしまいというわけでもなくて、またその先に新しい道が見えてくるんでしょうね、きっと♪





ついつい ゴールばかり見据えて 到達おめでとう!の瞬間にばかりフォーカスしてしまっていたけれど、実のところ 道のりのほとんどは 通過地点の景色なわけで、あとから振り返ってなつかしいのは むしろこちらのほうなんでしょうね。

そう思うと、まだまだ欠けだらけの自分や 今後もジタバタしながら進んでいくのであろうこの先の歩みが、なんだかかけがえのない愛おしいものに思えてくるのです (*^ー^*)






























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