ここ数年 貴秋の年初めのブログって 毎回 「遅ればせですが」 とか 「いまさらながら」 とかいう言葉で始まるような氣がするのですが、今年も時すでに2月下旬。。。なんでこうなっちゃうんだろう。
というわけで 遅ればせでいまさらながらの初ブログですが、本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
これは以前にもお話ししたことがある、貴秋が曲げたスプーンの写真。
と言っても サイキック能力などではなく、地道に手でぐりっぐりっとねじるように曲げただけですが。
ただ、最初に手に取って力を入れてみたときは、とてもじゃないがこんなもん曲がるかぁ~!! と思って青ざめたぐらい硬かった。。。それが、ナビゲーターさんの導きで 冗談言ったり 笑ったり 肯定的な言葉を唱えたりするうちに、なぜかあんなふうにぐりんぐりんにできちゃったのです。
とはいえ 物質レベルで言えば、スプーンをこんなふうにしたからといって なんのいいことがあるわけでもなく、ご飯が食べにくくなるだけの話。
が、貴秋にとってのこれらは、お守りのような力を持っています。
このスプーン曲げは、いまの自分はまだまだ本来の自分とはいえない、意識のリミッターが外れれば ほんとうの自分の能力は現時点からは想像もつかないほど強くて広くて深いのだ、と刻みつけられた体験でした。
以来、「こんなこととてもじゃないけどできないよ~」 と不安に駆られるたび、このスプーンを取り出して眺めます。
これは貴秋が 「到底ムリ」 と思ったことを、思い込みを外して見事やってのけた証拠の品ですから。
眺めるたびにスプーンが言ってる氣がします、安易に 「できない」 というなかれ、それは思い込みが言わせているだけだよ、これ曲げたの誰? ってね。
これから先、こういうお守りを持っていると生きやすいだろうなという氣がします。
もちろんスプーンでなくても何でもいいし、物である必要もありません。
ムリと思っていたことがムリじゃなかった、できないと思い込んでいたことができた、という記憶、それだけでも十分力になります。
外に向かって証拠立てる必要もありません。
人にわかってもらわなくてもいい、自分がわかっていればいい。
人に理解されたい、愛されたいと願うなら、まず自分が自分を理解し 愛することだと思うのです。
自分で自分を認めることができれば、大きな自信が生まれます。
ひけらかす自信じゃなく 内から湧く静かな自信、“地に足ついて 自分は確かにいま ・ ここに在る” という実感。
貴秋の自信はまだちっちゃな芽ですが、これから腰を据えて 大木にまでじっくり育てていくつもりです。
もう外に答えを求める時代じゃない、誰かに頼る時代じゃない。
誰もが自身の中に答えや可能性を見出し 開花させる、誰もが自分の物語の魅力的な主人公になる、そういう時代がすでにやってきています。
というわけで 遅ればせでいまさらながらの初ブログですが、本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
これは以前にもお話ししたことがある、貴秋が曲げたスプーンの写真。
と言っても サイキック能力などではなく、地道に手でぐりっぐりっとねじるように曲げただけですが。
ただ、最初に手に取って力を入れてみたときは、とてもじゃないがこんなもん曲がるかぁ~!! と思って青ざめたぐらい硬かった。。。それが、ナビゲーターさんの導きで 冗談言ったり 笑ったり 肯定的な言葉を唱えたりするうちに、なぜかあんなふうにぐりんぐりんにできちゃったのです。
とはいえ 物質レベルで言えば、スプーンをこんなふうにしたからといって なんのいいことがあるわけでもなく、ご飯が食べにくくなるだけの話。
が、貴秋にとってのこれらは、お守りのような力を持っています。
このスプーン曲げは、いまの自分はまだまだ本来の自分とはいえない、意識のリミッターが外れれば ほんとうの自分の能力は現時点からは想像もつかないほど強くて広くて深いのだ、と刻みつけられた体験でした。
以来、「こんなこととてもじゃないけどできないよ~」 と不安に駆られるたび、このスプーンを取り出して眺めます。
これは貴秋が 「到底ムリ」 と思ったことを、思い込みを外して見事やってのけた証拠の品ですから。
眺めるたびにスプーンが言ってる氣がします、安易に 「できない」 というなかれ、それは思い込みが言わせているだけだよ、これ曲げたの誰? ってね。
これから先、こういうお守りを持っていると生きやすいだろうなという氣がします。
もちろんスプーンでなくても何でもいいし、物である必要もありません。
ムリと思っていたことがムリじゃなかった、できないと思い込んでいたことができた、という記憶、それだけでも十分力になります。
外に向かって証拠立てる必要もありません。
人にわかってもらわなくてもいい、自分がわかっていればいい。
人に理解されたい、愛されたいと願うなら、まず自分が自分を理解し 愛することだと思うのです。
自分で自分を認めることができれば、大きな自信が生まれます。
ひけらかす自信じゃなく 内から湧く静かな自信、“地に足ついて 自分は確かにいま ・ ここに在る” という実感。
貴秋の自信はまだちっちゃな芽ですが、これから腰を据えて 大木にまでじっくり育てていくつもりです。
もう外に答えを求める時代じゃない、誰かに頼る時代じゃない。
誰もが自身の中に答えや可能性を見出し 開花させる、誰もが自分の物語の魅力的な主人公になる、そういう時代がすでにやってきています。
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