南紀のわが家の冷暖房は、夏は扇風機、冬はこたつに石油ストーブ&電器ストーブと 今の時代にはかなり原始的な備えですが、実家はオールエアコン、冷房も暖房もひとつの器具で兼任。
で 暖房の温度を調節していて氣づいたのですが、冷暖房どちらも 設定温度はだいたい24~28℃ぐらいで ほとんど変わらず、外氣のほうも 近畿のこのあたりは 暑さMAXで37℃ぐらい、寒さMAXもマイナス5~6℃、対極の真夏と真冬の温度差も せいぜい50℃以内に収まってしまうほどのものなのですね。
ここでちょっと好奇心を起こして調べてみたら、世界で記録された最高氣温は イラクのバスラというところで58.8℃、最低氣温は南極大陸東部でマイナス93.2℃ (人が居住する地域では シベリアのベルホヤンスクとオイミャコンでマイナス67.8℃) だそうです。
範囲を地球全体まで広げても その寒暖差は150℃ちょっとぐらいか。
もっとも暑い季節と寒い季節の温度差は、体感では180度真逆で 北極と南極ほども離れているように思えるのに、数値で表せば 「万」 も 「億」 もつかない わずか3ケタの150。
なるほどそうだよね、真逆って 一見これ以上かけ離れているものはないようだけれど、見方を変えれば 氣温なら氣温という同じひとつのものの程度の違いに過ぎないんだものね。
いまや感覚フォーカスがすっかり日常の一部となった貴秋ですが、その結果なにがどう変わったかといえば あまりよくはわからないのです。
ただ時として 「お?」 となるのは、以前とまったく同じシチュエーションに出くわしながら 以前とは明らかに違う選択や行動をとった自分に氣づいたとき。
氣づかないところでいつのまにかずいぶん変わっていたんだなぁと思う、その変化の度合いは ビフォーアフター引き比べれば 180度といっていいぐらいなのですが、日ごろその違いを実感することはあまりありません。
違いというのは 過去や未来から比較対象を引っ張ってきて初めて見えるもの、今ここにおいては 今ここの自分をただ感じるのみ。
そんな今ここ一歩一歩の積み重ねが あるときふと後ろを振り返って 「うわ~ こんなに進んでたよ」 と驚くほどの距離となって現れても 感覚としてそんなご大層なこととは思えないのは、今ここでしか生きられない人間として 自然なことなのかもしれませんね。
コインの裏表を入れ替えるような180度の変化は、世界の果てまで飛んでいかなくてはならないように見えて 実は電車一駅分ぐらいの隔たりでしかないのかもしれない。
以前からなんとなく感じていたことが、ここへきてぐっと真実味を増しています。
遠い道のり、険しい道のりと思い込んでいたから、そのとおりの現実を創造 ・ 体験していただけなのかもなぁ。
たとえ今の自分や今の世の中がまったくイケてないと落胆していても、憧れの理想像までの距離は 実は思っているよりはるかに近く 手を伸ばせば十分届くほどのものなのかもしれません。