そろばんで計算をするとき、「ご破算で願いましては」 と 次の計算に移る前に 前の計算の玉を払って 初期状態に戻すという作業があります。
これが電卓だったら、クリアボタンを押す。
前の答を残したまま 次の計算に移れば、間違った答が出てしまいますものね。
人間の意識も 生まれたばかりでは まっさらな状態。。。。なのかどうかはよくわかりません。
お母さんのお腹にいるときから すでに情報のインプットが始まっているとか、ときには前世の記憶が残ってるなんて話もありますし。
でもまあ、限りなく新品に近い状態ではあるわけですが、生れ落ちるとたちまち 情報の嵐にさらされ、配線未完の脳に無差別に取り込まれた情報の数々が その人の世界観の土台を形成し、何十年にも渡って 人生を左右することになります。
それが 幸せへと導いてくれるものならいいのですが、そうでない場合はやっかいです。
言葉に、つまり理屈にならないところで入り込んでしまった情報は、言葉による書き換えだの上書きだのというのが 効きません。
赤ちゃんや 話のできない幼児を 言葉で説得できないのと同じことです。
そうして 「三つ子の魂百まで」 の言葉どおり、脳の回路が完成するとされる三歳ごろまでに 無差別 ・ 無条件に取り込まれてしまった情報は、体験したことがない人には想像がつかないだろう強い力を持って、その人の行動を支配します。
自分を変えられないのは 努力不足だとか 意志が弱いからだとか 言われがちですが、意志も努力も言葉で成り立っていますので、それだけではコントロールし切れない強力さなのです。
自分のことなのに、自分の思い通りにならない苦痛。
しかも 傍目には 「あの人なんであんなことするんだろう」 「なんでこんな簡単なことが守れないんだろう」 「いったい何を考えているのかしら」 と 理解されないことも多く、苦痛がさらに倍加します。
その苦痛はやがて、そんな理不尽を背負わされた怒りや恨みや憎しみに変わり、はけ口を求めるようになります。
こういう状態はそのままで、出てくる結果だけを変えようとするのは、前の計算の答を残したまま 次の計算を重ねるようなもの。
まずはいったんクリアボタンを押し、害あって利のない古い情報を消去することです。
今 不特定多数を標的にした犯罪や、そこまではいかなくても やたらと怒りに満ちた人が多いのは、専門家は別として、一般の人々の このからくりへの理解や 取り込まれてしまった情報をゼロに戻すための知識が 十分に行き渡っていないからではないでしょうか。
トラブルメーカーや犯罪者を嫌悪することもできれば、おおぜいで取り囲み 口を極めて非難することもできる。
でも、それをいくらしたからといって、世の中から悲しいこと ・ 恐ろしいことをなくす助けにはならないのです。
「罪を憎んで 人を憎まず」 というのは、まさに この人間を支配し動かす力や そのからくりを理解した上での 先人たちの智恵のように思えます。
責めるより先に まず必要なのは、幸せにつながらない思い込みをご破算にできるよう クリアボタンを押す手助けをすることであり、そのために必要な知識や情報を得ることではないでしょうか。
これは 私自身が独学独習で あれこれ試した限りでの話ではありますが、幼いころ知らぬ間に刷り込まれてしまった情報は、いかに強力であっても、五感を超えて意識を広げることで 基本誰にでもご破算が可能 (その方法や期間は人それぞれですが) というのが、私の得た手応えです。
楽なこととはいえませんが、いったんうまく動き出せば、その効果がいかに大きく いかに新鮮な喜びをもたらしてくれるかも、日々身をもって感じています。
スピリチュアルだの 五感を超えた世界だのというと あやふやで耳慣れない感じがするかもしれませんが、それは形ある私たちのいのちの源、見えない根っこのようなもの、決して異世界の話でも縁遠いものでもありません。
そういう世界に かつてないほど光が当たっている今、ときにはその分野でのさまざまな体験や成果に 耳を傾けてみるのも、実りあることかもしれません。