お天氣下り坂です。
せっかく桜がどんどん開花しているときなのになぁ
次に晴れるときまで あまりたくさん散ってしまわぬようにと祈る思いの貴秋です。
けさ 父が朝食のときに見ていた 報道番組。
テーブルの向かいで 目は新聞にやりながら 聞くともなしに聞いていたら、ヘイトスピーチ規制法の話題に。
と不意に、貴秋の脳内で こんな妄想が炸裂しました。
わざとおおやけの場で堂々と、人の心をかき乱すような過激な発言をしてまわる輩。
そうやって ただでも不安や怒りを抱えることの多い民衆の氣持ちを逆なでして火をつけ、こいつらどうにかしろー! という感情が高まったところで、法規制の話が持ち出され、当然のごとく賛成多数で これぞ民意と めでたく規制法が成立。
そしてある日。。。。下がる給与に上がる物価、金持ち大企業の優遇、白を黒と言いくるめ 他国との戦いに後ろを見せない姿勢、政府の方針に疑念を抱き 不満をぶちまけた一般市民に、突如 規制法の矛先が向く。
さらにその影響がネットにも及んで・・・・・・な~んてね ( ̄∇ ̄;)
いや~恐ろしいもの見た~
ちょうどきのう読んだ
こんな話が 頭の片隅に残っていたせいかな?
せっかくの桜咲く平和な休日に とんだ妄想話、許されて m(__)m
ただね、思うのです。
そもそも境目が曖昧でグラデーションなところに くっきり線引きして分け出さないと成り立たないのが、この私たちが身を置く 五感の世界。
そして、どこからどこまでが 「好ましくはないけれど まあしょうがないか」 の範疇で、どこからが法規制の対象となるのか、その境目についての意見は 人の数だけあるわけで。
ああ あなたはそう思うのね、と 互いの違いをおおらかに認め合えるならいいけれど、法というのは、その中のどれかひとつを合法、あとは違法と区別し、違法とされたものを認めない性質を持っています。
そこへもってきて、言葉には 「なんとでも言えてしまう、ないものをあると、白を黒とさえ言えてしまう」 という性質があります。
白と黒の中間の濃淡グレーを、とりあえずここまでが白で こっちが黒ね、と決めたところで、線の左右の違いは ほとんどそれとはわからぬほど。
それをじりじり時間をかけて ちょっとずつ 誰にも氣づかれずにずらしてゆき、はっと氣がついたら 最初に決めたのと大きく違っている、なんて芸当ができてしまうのが、言葉の世界というもの。
実際の裁判でも、法解釈についての議論が しょっちゅう起こるようですが、最終的にどれかひとつを正しいと決めなくてはならないとなれば、どうしても力勝負にならざるを得ず、万人の権利だの平等だの尊厳だのは後まわしになってしまう、それが言葉で成り立つ世界の避けられない流れです。
そんな言葉の特性を熟知した者が勝者になり 力を振るう、言葉で分け出されるものに重きを置く限り どうしてもそういうことになってしまうのが、今の私たちの社会。
それに反発して戦いを挑んでも、せいぜい起こるのは 勝者と敗者の顔ぶれが入れ替わるぐらいのもの。
弱い立場というものが どうしても生まれてしまうその仕組みそのものは、なくなることはありません。
そんな現状で 私たちに今できるのは、アシュタールも言うように なんでも鵜呑みにせず、自分の目で見ること。
ああ いつものことね、と 反応するだけで終わらせないで、引きの視点からじっくり観察し、自分なりに腑に落ちるまで 掘り下げてみること。
中でも、自身の感情のアンバランスな面や 思いがけない引っかかりに目を向けることが重要だという氣がします。
原点の見えない怒りは つねにはけ口を求めており、ちょっと流れをつけられれば、簡単に乗せられてしまうから。
今起こっている難民排斥運動なんて、もろにそのからくりにハマってる氣がするなぁ。
自分の内も外もよぉく見つめて 外からの扇動に安易に乗らない、自分の道は 自分で決める、その姿勢が なによりの護りであり 幸せのカギだと思えてなりません。
さぁて、楽しくない話はこれでおしまい、きょうもワクワクの種いっぱい見つけて “今の一番” の連続でいこうっと (*^▽^*)