私がこういう内的探究に踏み込むきっかけとなった人がいます。
話を聞くほどに すごい人だとあがめるようになり、この人についていけば 悟れるんだ、新しい世界が開けるんだ! と思い込んで 16年。
やっぱり違う と氣づいて、離れることになりました。
初めのうちは、だまされた! と もう悔しくて悔しくて
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0201.gif)
思い出すたびに はらわたが煮えくり返るようで
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0210.gif)
それも 時間が経つにつれて薄れていき、あまり思い出すこともなくなった あるとき。
ぱっとひらめきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0151.gif)
今と比べて格段に 精神世界系の情報が少なかったあのころ、その人のアンテナはすごくて、おかげで 今でも繰り返し読むほど確かな情報に たっぷり触れることができました。
さらに、その人から伝えられた内容も、間違いなく真理でした。
その人から聞いた話、お勧めの本や雑誌 (当時はまだパソコンは今みたいに普及してはいなかったので) からの情報、どちらも 後にいけばいくほど まったくその通りだなぁ、すごいこと知らされていたんだなぁ、という思いがぐんぐん深まり、今に至ります。
私は、その人との出会いから 今のこの探究の土台を築くことができました。
そして、もう十分だ、これ以上はいっしょにいないほうが。。。というタイミングぴたりで お別れしていたのでした。
腹を立てたのは、自分の選択の結果を 相手のせいにして、きちんと受け止めていなかったから。
今ではわかっています、出会ってしばしの時間を共にしたこと 袂を分かったこと、どちらも大きな意味があった、私のためになることだったのだ、と。
何事も 無意味に起こることはなく、起こったことに 過不足もなく。
つくづく この世界は完璧です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0150.gif)
人のせいにしているうちは それが見えない、というだけのこと (^^ゞ
「もっと大きな絵がある」 という言葉が好きです (*^^*)
鼻をくっつけるような距離から絵を見ても なにがなにやらわからないけれど、後ろに下がれば その全体が見渡せ、さっき近くで見ていたものがなんだったのかも理解できる。
なんだかよくわからない 好ましくないできごとに出くわしたら、この言葉をとなえます。
時が経ち 今という地点から離れたとき、もっと大きな絵が見えてくる。
その一部として 今体験していることの意味も見えてくる。
だから、今はとにかく この体験を受け止めよう、味わおう。
そして、誰のせいにもしないこと、ってね☆
(*^▽^*)ゞ