「対立する二極と それを越えてゆく世界」
この構図をずっと念頭において暮らしていて、かなり定着した感があります(^^)
二極世界を否定するのではなく 越えてゆく、それは ネガでもポジでもない新たな視点を持って、この二極世界に生きるということなんですね。
二元性に振り回されず、むしろ二元性の性質を活かして楽しむ、というような。
そして その新たな視点とは、言葉を使わず ただ現れるがままにおくこと。
心に触れてくる情報をどうともせず、見るともなくただ見ている、そんな感じ。。。。貴秋流に言えば 感覚フォーカス。
言葉が入ると、どうしても判断解釈が起こって 二極の世界に引き込まれ、右に行ったり左に行ったり ジタバタしてしまうから。
それが悪いということじゃないんですが、ジタバタしっぱなしでは疲れますものね、あいだに穏やかな時間もはさまないと。
思えばこの視点、まったく初めてではなかったのです。
景色を眺めてぼんやりしているときなど、よくこういう状態になっていたもの。
ただ、自分の身に起こったことや 古い記憶まで こういう見方ができるようになったのは、初めてのことかもしれません。
目に映るものに変わりはなく、ただ 自分の思い込みが溶けるように消えていき、すっかり安心してリラックスして。
起きたことは記憶として残っても、もうそれに痛みを感じて振り回されることはない。
ジャッジせず 振り回されずにいるって、安らかで心地いいものですね
しかも、この心地に入り込むと、不意に起こったことの意味がわかったり、ことさら意識しないのに ひとりでに 明るく楽しい未来のイメージが浮かんできたり、ということが たびたび起きるのです。
引き寄せの法則などで、プラスのイメージ、プラスのイメージ、とがんばっては挫折していたころが ウソみたい(*^▽^*)ゞ
前の記事でも書いたように、二極の世界で ネガに傾き過ぎたせいで、現在身を置いているこの世界を嫌って、早くもっと高次の世界に進みたい などと 長いこと思っていた私ですが、この新たな視点が備わって以来、五感で感じる世界と 五感を超えた世界が 同等になってきたと感じています。
五感を超えた視点も大切なら、五感で感じる世界での今の暮らしも大切、どっちも大切。
だから、「越えてゆく道」 に乗っかって そのままかなたに行きっぱなしになるんじゃなくて、その視点を持ったまま 三次元世界に戻り、今までにない見方を交えて この世を楽しむのがいいんじゃないかと♪
考えてみれば、そんなことしなくたっていいのに わざわざ不自由な要素を交えたこの三次元世界をこしらえてやってきたのが、“神のかけら” である私たちなんですよね。。。。ほんとうの自分を体験したいばっかりに。
否定的な体験続きのときは 楽しむどころの騒ぎじゃなかったけれど、この世をずっと温かい目で見られるようになった今こそ、当初の目的どおり このわざわざ生まれてきた世界を 味わい楽しむとき。
なにごとも順序が大事、いずれは すっかりこの三次元世界をあとにする日も来るのでしょうが、まずはその前に 十分体験し尽くさないとね♪
一度しっかり掴んでからでないと 放すことはできない、ってね☆
いや~、まだまだ当分放す氣ないです♪
ようやっとこれから 楽しい体験い~っぱいするんだもんね