津留晃一さんメッセージ集から 「豊かさの本質」 。
澄み切った青い空。
お日さまのぬくもり。
コスモスの花に柿の実。
さわやかに吹きわたる風。
こういったものに触れるたびに覚える うずくようなうれしさは、私たちの本質そのものだったんですね。
空も花も風も、その感じを誘い出し 思い出させるきっかけなのだ、と。
全身の力を抜き リラックスして 目を閉じて、言葉を脇において 静かに内側に意識を向ければ、きっかけなしでも ほんとうの自分とひとつになれる。
この文章も 何度も読み返しているのに、腑に落ちたのは つい先ごろ、7月だったか8月だったか 忙しい仕事の合間のこと。
そして、「完全な自分」 のイメージが内から湧き起こったのは、ほんの少し前、先月のこと。
雲に隠れようが 霧にさえぎられようが、太陽はいつもまん丸。
消えも欠けもしない、完璧な丸。
私たちも、不安に陥ろうと 自信をなくそうと 自己嫌悪にさいなまれようと、その向こうで いつだって完璧。
完全に 欠けるところなくまん丸。
あとは 自分がどこに焦点を結ぶか、それだけ。
フォーカスするもので 自分の世界が決まる、変わる。
きのうの投稿で 「まだまだ自由自在とはいきません(T_T) 」 と書いてアップした しばらく後、はっと氣づきました。
自由自在にいかないから 「いかない」 と書いたのではなく、「いかない」 と書かせる心が いかない現実を創り出していたんだ、って。
「事実が先で 認識があと」 という思い込みが まだ残っているよ、と なにやら繰り返し氣づかされた一日でした (*^-^*)ゞ