あれはたしか去年の夏ごろだったか、実家に行ったときのこと。
突然妻に先立たれて まだ1年ちょっとにしかならないというのに、慣れない家事に苦戦しているかと思いきや、けっこうマメに買い物したり ご飯作ったりと しっかり主夫している父。
いや、食生活のみならず、掃除洗濯から 季節のものの入れ替え、ワイシャツのアイロンがけに至るまで、80過ぎての主夫デビューとは思えない行き届いた暮らしぶりに、助っ人に行くたび 感心しきりだったのですが、さすがにまだそうそう万事要領よく・・・とまではいかず、仕事が忙しくなると、予定していた料理を作るひまがなくなり、そのまま冷蔵庫に入れっぱなしの食材を ちょいちょいダメにしてしまうことに。
そこで生活者の先輩としては、長年の研究成果を披露して 冷凍庫の活用を勧めるのですが、なぜか素材を冷凍することに抵抗のある父、使わずじまいでダメにしてしまうほうがよほどもったいない、という私と 論戦することたびたび。
そこで、ダメになるのもさることながら、傷みかけたものをうっかり食べて、食中毒にでもなったらどうするの? との問いかけに、父の答えたひとことが、
「俺は、胃酸ほどの強力な酸にかかれば、どんな細菌もたいがい死ぬと思ってるから」
ちょっと待ったぁぁぁ~
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なんなんですか、その非論理的結論は
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以前にも書きましたが、私が子どものころのわが家は、親子の意見が対立するたびに行われる話し合いが とてつもなく理屈っぽく、ほとんどディベートといった様相で、それでいて 最終結論は 決まって親側に軍配が上がるのがお約束という理不尽さに、長年の怒りが溜め込まれて えらいことになってしまったわけなんですが、どちらかというと感情的で 話を都合よくもっていく母に対して、父は几帳面な論理派。
理数系思考に強く、反面 非科学的なことには 聞く耳持たないようなところもありますが、常に冷静で、母の理不尽さとは対照的に、感情に左右されることなく 客観的に話を進める父には、その四角ばった話の運びにげんなりしながらも、いちおう一目置いていたのですが。
その父が。。。。
どんな駄々っ子の言いわけですか? と思いきや、けっこうあっけらかんと そう信じることに決めてます、みたいな顔してるし (^◇^;)
サルモネラ菌だろうが ノロウィルスだろうが、万事胃酸でなんとかなるものなら、毎年この季節に これだけ食中毒が騒がれるわけないでしょうが
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と 思いっきり反論しかかったのですが、
ん? ちょっと待てよ?
ふと思ったのです。
この 長年積み重ねてきた緻密な論理思考を 一瞬で吹っ飛ばすような アホな言い分こそ、実は どんな理屈も越えて 最強なんじゃないかなって。
そもそも いのちの世界って、そうそう理路整然と筋道立ったものじゃありません。
不動の固体である岩が、同時にスカスカで 常に動き回る微粒子の集まりでもある、なんていう矛盾が成立しているのが、私たちが生かされている この世界。
ガンにかかっても、なぜか突然ガン細胞が跡形もなく消えちゃう人だっているし、薬と思い込んで飲んだ粉砂糖で 頭痛が治っちゃうとか、熱した鉄の棒だと思い込んだガラス棒で腕をなでられたら 火ぶくれができちゃうとかいう話だってある。
科学や医学がいくら論理的に発達したところで、しょせんは この世の神秘のほんの一部を切り取って 辻褄が合うように話を組み立てているに過ぎないわけで、まだまだ未知の領域の方がはるかに多いのが実情。
どんな細菌でも病原菌でも、同じように取り込んだ人が 同じように発症するとは限らない。
その差を分けるのは、常日頃からの肉体の健康度なのかもしれないけれど、その健康度にしたって 「病は氣から」 なんて言葉があるぐらい、理屈では割り切れないものに左右されているんだよね。
ならば、なんでも自分に都合のいいように考えて それが実現するのなら、これ以上の守りはないっていう話ではありませんか☆
日頃 「自分の世界は 自分の思いが創ってる」 なんて言い続けている私が、非科学的な話は受け付けないはずの父のひと言に、自分の思い込みを氣づかされたっていう逆転の構図がミソなわけですが、ここで いつもどおり理屈通しなさいよって私が父に迫るより、思いがけない父のご都合主義に 私がひょいと乗っかっちゃう方が、なんだかうまくいきそうで 楽しいような氣がしてきたのです (≧▽≦)
まったくどちらも ノーテンキで適当な 似たもの親子だわ(笑)
しかしながら、このところやたら目につくように、世界のあちこちで戦闘だのよくわからない事故だの起こってるわ、政治も経済もややこしいことになってるわ、氣象もなんだか異常だわ、みたいな世の中で、筋道立てて行く末だの身のふり方だの考えたら、悲観的にならざるを得ません。
なにしろ、世の成り行きの方が、これまでの理屈だの予想だのをはるかに超えて おかしくなっちゃってるんだから。
こんな定まらない流れの中でも それなりにうまくやってゆけるのは、なんでも自分に都合よく解釈する したたかでいいかげんな精神の持ち主なのかもしれません。
根拠なく 「自分はだいじょーぶ」 と思い込む お氣楽なノーテンキさこそが、「信じるものは救われる」 明るい未来を生むカギなのかもね♪
悲観的なニュースに律儀に怯えながら身を守ろうとするより、こういう人のほうが 案外しれっとしぶとく生き残るのかもな~、と、妙に感心しながら 改めてわが父親を見直したものでした。
実際 こんな時代だからこそ、「正しいかどうか」 にこだわるよりも、「いい氣分でいられるかどうか」 を大事にして、みんなで明るく乗り切っていけたらいいですよね♪
以来、「胃酸でたいがいなんとかなる」 というこの考え方、ありがたく採用させていただいております
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