毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

忘れぬ笑顔

2013年10月08日 18時19分33秒 | ふと思うこと


きょうは 台風の影響か、灰色空に 時おりしとしと雨。

予報どおり、やや蒸し暑いです。

お昼過ぎ、家のすぐ近くで ツクツクホウシの鳴き声が聞こえました。

たった1匹、ほんの数分のことだったけれど、夏と変らぬ力強い声。

いささか時期外れのこの季節でも、どうか生きる喜びを感じて 与えられたいのちいっぱい生きて欲しいと、心から願いました。






私がまだ奈良に住んでいたときのこと。

当時の私は、いつも心が落ち着かず、感情的に不安定で、ちょっとしたきっかけで すぐカッとなったりイラッときたり、あの日も 何がきっかけだったかはもう忘れましたが、ひどく不機嫌で。

ムカムカする氣持ちを持てあましたまま むすっとした表情で家を出たところで、工事か何かで来ていたらしい 作業服姿のおじさんと出くわしました。

おじさんの顔をちらっと一瞥した私、不機嫌を絵に描いたような仏頂面だったことと思います。

が、そのどこの誰とも知らないおじさんは、私に向かって にっこりと笑いかけてくれたのです。

なんという晴れやかで 邪氣のない笑顔。

幼い子どもと仏様を合わせたような 胸に染み入る満面の笑みに、固くしこった私の心は見る見る間にに溶け、誘われたように 私もおじさんにぎごちない笑顔を返していました。

見知らぬ人との、すれちがいざま ほんの一瞬の出会い。

小柄で年配の どこにでもいそうな普通のおじさんという以外、ほとんどなにも覚えていません。

なのに、その笑顔のあたたかさ、無邪氣さ、清々しさだけは、20年近く経った今でも あざやかに心に焼き付いているのです。

あのときの記憶がよみがえるたびに思うんだよね。。。あのおじさん、人間に姿を変えた神さまだったのかもしれないなぁ、って。

心を開けないまま 感情に振り回されて悩み続ける困り者に、言葉を超えた 20年越しのありがたい教えを垂れてくださったのかもしれません。





だいぶ前、ブログにこんなふうなことを書いた覚えがあります。

今の自分にできるのは、しかめ面より笑顔、不機嫌な言葉より明るい言葉、とほんのささやかなことだけ、でもそれでいい、そこから始めればいい、と。

あれから10年やそこらは経ったというのに、相変わらずその程度の域から出ていない ちっぽけな私。

ありゃま、あまり成長してないねぇ

でもね。。。開き直るわけではないけれど、それでもいいのかもしれないな、とも思うのです。

今の世の もろもろの芳しくない状況を眺め、さて 自分になにができる?と振り返ると、事の大きさに比べ、自分のあまりの小ささ、非力さに 情けなさを覚えることもしばしば。

でも、ひとりで大きな事を成さねばと焦らなくてもいいのかもしれない。

ひとりひとりにできることはちっちゃくても、おおぜいが集まれば、大きな力になるものね♪




みなそれぞれに いろんな課題を抱えているから、笑顔を浮かべるのが難しいときもあるかもしれないけれど。

それなら もっとささやかなことでも構わない。

笑顔が作れないなら、眉間のしわを少し減らすだけでもいい。

優しい言葉が出てこないなら、トゲトゲしい言葉をぐっと飲み込むだけでもいい。

そんな小さな一歩でも、前進には違いないのだから。





ジョン・レノンじゃないけど、想像してみて。

もし、世界中の人が、1時間、いや、30分、ううん、10分でもいい、いっせいに心からの笑顔をキープできたら、どんなことが起こるか。

それでもまだ 争いごとを続けようって思うかな?

うまくいけば、地球上の戦争すべて 終わってしまうかもしれないよ



力がなくても お金がなくても、手を伸ばせば届くほどのささやかな優しさで、世界を変えられるかもしれないね