物から心へ、見える世界から見えない世界へ、と さまざまな思いやひらめきが湧き起こる毎日です(^^)
先日断捨離の話のときに「幼い頃からずっと抱えていた不安のおおもとが鮮明に見えた瞬間」があったことを書いたんだけど。
内容自体は詳しく書くわけにはいかないんですが、ひとつ言えるのは、そのおおもとっていうのは うんと小さい子どもの目を通してのイメージだっていうこと。
つまり、おとなになった自分を左右していたのが、ほとんど赤ん坊に近い子どもの世界観だったんだと。
その縮尺の違いが、とんでもなく歪んだ認識を刷り込んじゃってたんですね。
生まれたての赤ちゃんのときは、たぶんなんの不安も不満も抱えてなかったと思うんです。
愛して愛されて、すべてがなめらかにすぅっと流れていくものと 当たり前のように思ってた。
それが、突然 ごつん!となにかにぶつかって。
なんの疑いもなく開ききっていた心に衝撃が走り、それ以来世界が恐ろしいところに変ってしまった。
子どもをお世話するおとなのほうは、すでにいろいろと抱えていますから。
笑顔を返さなかったとか 要求を見落としたとか すぐに応じようとしなかったとか、おとなにとっては些細なこと。
その奥に 感じること・心通わせることを忘れてしまった自分がいることを、どれほどの人がわかっているでしょう。
わが子の無条件の信頼に応えなかったことなど 氣づきもしなかったかもしれない。
ましてや、生涯にわたって影響するほどのショックを刷り込んでしまったなんて 氣づくはずもない。
でも、幼い子どもにとって お世話してくれる人は「世界そのもの」であり「生命線」。
拒絶されたと感じることは、死の恐怖にも等しい。
で、どうしたかっていうと、自分ひとりでは受けた衝撃や痛みをどうすることもできないと思い、それらを心の奥にしまいこんでいったん忘れ、“保留”にした。
いつか自分の力で解決できるときがくるまでお預け、ということで。
やがて 保留の課題があることなどすっかり忘れ、そのまま成長しておとなになった。
子どもの目で見た 子どもにとっての「不安」や「恐怖」を、そっくり心に残したままで。
そして、それと氣づかないまま 何十年も振り回され続けた。
今になって、自分の身に起こってたのはこういうようなことだったんだとわかります。
以前何かの本で、「解決のつかない悩みや不安を 人は無意識のうちに繰り返し再現する」みたいな話を読んだ記憶があるんですが。
今回 これまでの自分を省みて、これって「保留のまま忘れている問題がありますよ。そろそろ解決の時ですよ~」と氣づかせてくれるための再現なんじゃないかなと ふと思いました。
実際私も、同じようなタイプの人と そっくり似通ったトラブルを繰り返すとか、同じようなピンチに何度も自分を追い込んでしまうとかいうことが 過去にえんえんと起こっているし。
そこへもってきて、例の実家での氣づきっていうのが、ふとした家族とのやり取りの中で思い出した幼い頃の出来事と それに伴う恐れや痛みが、その手のトラブルのたびに味わっていたそれとそっくり同じなことに思い当たった、っていうものだったんです。
なんかね、バラバラの記憶の断片が ピピピッと一氣につながった感じで。
幼い子どもには足元から大地が揺らぐほどの脅威でも、おとなの自分なら片手でやり過ごせるほどのこと。
なのに、その受け止め方の差に氣づかないまま影響され続けて、小さい頃と同じような恐れを生むシチュエーションを おとなになってからも果てしなく再現し続けては、「なんでこんなしょっちゅうイヤなことばっかり起こるのかなぁ」って自信をなくして、いつも冷たい隙間風が吹き込むようなうすら寒い思いを抱えて生きてきたんだね。
だからこそ「そんな今にそぐわない世界観はさっさと手放してしまいなさい」と繰り返しつつかれ続けていたのか~。。。なるほどね。
子どもの目で見た恐怖が おとなになった自分にどのように映るかを 改めてしっかり認識すれば、もう子どもじみた不安を抱え続けることもないし、いらぬトラブルやピンチを繰り返し招きよせる必要もなくなるんだよ、っていうことだったのね。
正体がわかってみれば、とんだ身の丈違いの世界観にほとんど半世紀も振り回されて。。。なんてこった。。。 (- -;)
でも、今ここで氣づけたって ありがたいことだよね♪
長年信じ込んでいたものの見方を根本から変えるっていうのは楽なことではないけれど、見えるものも起こることもこれからはがらりといいほうに変るんだって思えば、打ち込む氣力も湧いてこようというもの♪
というわけで、今はもうその不安や痛みはいらないよ、私は守られ愛され続けてここまで来られたのだし これからも安心していい人生を送れるんだよ、と せっせと自分にささやきかけては 脳内情報の書き換えに精を出す毎日です![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0248.gif)
先日断捨離の話のときに「幼い頃からずっと抱えていた不安のおおもとが鮮明に見えた瞬間」があったことを書いたんだけど。
内容自体は詳しく書くわけにはいかないんですが、ひとつ言えるのは、そのおおもとっていうのは うんと小さい子どもの目を通してのイメージだっていうこと。
つまり、おとなになった自分を左右していたのが、ほとんど赤ん坊に近い子どもの世界観だったんだと。
その縮尺の違いが、とんでもなく歪んだ認識を刷り込んじゃってたんですね。
生まれたての赤ちゃんのときは、たぶんなんの不安も不満も抱えてなかったと思うんです。
愛して愛されて、すべてがなめらかにすぅっと流れていくものと 当たり前のように思ってた。
それが、突然 ごつん!となにかにぶつかって。
なんの疑いもなく開ききっていた心に衝撃が走り、それ以来世界が恐ろしいところに変ってしまった。
子どもをお世話するおとなのほうは、すでにいろいろと抱えていますから。
笑顔を返さなかったとか 要求を見落としたとか すぐに応じようとしなかったとか、おとなにとっては些細なこと。
その奥に 感じること・心通わせることを忘れてしまった自分がいることを、どれほどの人がわかっているでしょう。
わが子の無条件の信頼に応えなかったことなど 氣づきもしなかったかもしれない。
ましてや、生涯にわたって影響するほどのショックを刷り込んでしまったなんて 氣づくはずもない。
でも、幼い子どもにとって お世話してくれる人は「世界そのもの」であり「生命線」。
拒絶されたと感じることは、死の恐怖にも等しい。
で、どうしたかっていうと、自分ひとりでは受けた衝撃や痛みをどうすることもできないと思い、それらを心の奥にしまいこんでいったん忘れ、“保留”にした。
いつか自分の力で解決できるときがくるまでお預け、ということで。
やがて 保留の課題があることなどすっかり忘れ、そのまま成長しておとなになった。
子どもの目で見た 子どもにとっての「不安」や「恐怖」を、そっくり心に残したままで。
そして、それと氣づかないまま 何十年も振り回され続けた。
今になって、自分の身に起こってたのはこういうようなことだったんだとわかります。
以前何かの本で、「解決のつかない悩みや不安を 人は無意識のうちに繰り返し再現する」みたいな話を読んだ記憶があるんですが。
今回 これまでの自分を省みて、これって「保留のまま忘れている問題がありますよ。そろそろ解決の時ですよ~」と氣づかせてくれるための再現なんじゃないかなと ふと思いました。
実際私も、同じようなタイプの人と そっくり似通ったトラブルを繰り返すとか、同じようなピンチに何度も自分を追い込んでしまうとかいうことが 過去にえんえんと起こっているし。
そこへもってきて、例の実家での氣づきっていうのが、ふとした家族とのやり取りの中で思い出した幼い頃の出来事と それに伴う恐れや痛みが、その手のトラブルのたびに味わっていたそれとそっくり同じなことに思い当たった、っていうものだったんです。
なんかね、バラバラの記憶の断片が ピピピッと一氣につながった感じで。
幼い子どもには足元から大地が揺らぐほどの脅威でも、おとなの自分なら片手でやり過ごせるほどのこと。
なのに、その受け止め方の差に氣づかないまま影響され続けて、小さい頃と同じような恐れを生むシチュエーションを おとなになってからも果てしなく再現し続けては、「なんでこんなしょっちゅうイヤなことばっかり起こるのかなぁ」って自信をなくして、いつも冷たい隙間風が吹き込むようなうすら寒い思いを抱えて生きてきたんだね。
だからこそ「そんな今にそぐわない世界観はさっさと手放してしまいなさい」と繰り返しつつかれ続けていたのか~。。。なるほどね。
子どもの目で見た恐怖が おとなになった自分にどのように映るかを 改めてしっかり認識すれば、もう子どもじみた不安を抱え続けることもないし、いらぬトラブルやピンチを繰り返し招きよせる必要もなくなるんだよ、っていうことだったのね。
正体がわかってみれば、とんだ身の丈違いの世界観にほとんど半世紀も振り回されて。。。なんてこった。。。 (- -;)
でも、今ここで氣づけたって ありがたいことだよね♪
長年信じ込んでいたものの見方を根本から変えるっていうのは楽なことではないけれど、見えるものも起こることもこれからはがらりといいほうに変るんだって思えば、打ち込む氣力も湧いてこようというもの♪
というわけで、今はもうその不安や痛みはいらないよ、私は守られ愛され続けてここまで来られたのだし これからも安心していい人生を送れるんだよ、と せっせと自分にささやきかけては 脳内情報の書き換えに精を出す毎日です
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