毎日がしあわせ日和

ほんとうの自分に戻れば戻るほど 毎日がしあわせ日和

うれしい!

2012年06月26日 15時05分36秒 | 自然
きょうはあちこちでお天氣が回復しているらしいというのに、わが南紀は朝からやっぱり

自然のことは仕方がないとあきらめていましたが、午後から少しずつ空が明るくなってきて、ちょっと前から雲の切れ目に青空がのぞき 薄日がさしてきて(^^)


お日さまってこんなに明るかったんだ

空の青ってこんなに優しかったんだ


なんかね、もううれしくてうれしくて



もうちょっとしたら 久しぶりにお散歩いってこようっと \(^o^)/



わぁ、日ざしがいちだんと濃くなってきた~













グラデーション

2012年06月26日 12時00分01秒 | ふと思うこと
ものごとの境目って、もともと曖昧なものだと思うんです。

虹の色分け、四季の変わり目、昼と夜、暑さと寒さ、美しさと醜さ、好きと嫌い、健康と病氣、生と死。。。



子どもが虹の絵を描くときは 一色一色をくっきりはっきり塗り分けるけど、実際の虹はグラデーションだよね。
見た人によって 3色にも7色にも12色にも 好きなようにとれるよね。

ピアノは1オクターブを12音に分けて、それぞれに対応する鍵盤の音しか出せないけど、人の声やバイオリンやトロンボーンなんかだったら はっきりした分け目がないから 決められた音と音の間にさらに無限ともいえる音を出すことができる。



私たち人間は、形のない世界から 形あるものとして分け出された存在だから、曖昧なところに明確な線を引かないと 身動きがとれない。

それはそれでOKだよね(^_-)


ただ、それはあくまでも“仮”の分け目だってことを忘れないほうがよさそうね。

どこに線を引くかは人によってまちまちだし、一人の人の線引きだって いつも同じとは限らない。

みんなして共通の線引きを決めるために どこかに一致点を見出さなければならない場合も多々あるけれど、そのとき 自分の線が絶対正しいとか 一度決めた線はもう動かせないとか がっちり固定して執着してしまうと、いろいろとややこしいことが起きるね。


「ここに線を引こう」って決める基準は 細かく見れば たぶん人の数だけあるだろうし、そのひとりひとりが絶えず変化していて 基準だってずっと変らないはずはないから。



どうとでも分けられる世界の中で、「今の自分はこう分ける」って決める。

自分の価値観が変ったら、それに合わせて分け目も変える。

そういうことなんだってわかっていたら、力まず楽な氣持ちで生きられるし、自分と違う人の分け目も 温かい目で見られるよね♪



白黒のふたつだけじゃない、色彩豊かなこの世界で、いろんな分け方を楽しみながら 「自分」を創っていこう♪

もっともっと優しい 柔らかい心で生きていこう♪


ふとそんなことを思いました(^^)