オリンピックを開催すると。東京オリンピック2020を無観客で開催すると。このコロナ禍のさ中に誰が決定したか、知らぬ間に当初の予定通りやると。東北地震の復興を目指して、コロナに打ち勝つという標語が安全・安心に変容して、緊急事態宣言下で無観客にてオリンピックを開催すると
予定では東京2020のHPの日程では、開会式に先駆けて7月21日午前9時から福島県営あづま球場にて女子ソフトボール、札幌ドームにて女子サッカーが行われると。そして23日20時から国立競技場にて開会式をやると。そのため22日は「海の日」として祝日、23日は「スポーツの日」として祝日にしたと。手回しが良いな。先手先手だな。戦後政治とは既成事実の積み重ねと言われたが、事実を規制の物として過去として過去を振り返らず前へ前へと突き進んできた
体育、スポーツとは何であろうな。スポーツを通して感動をとこの国の指導者、菅義偉は言う。スポーツによって感動を得ることもあろうな。運動とは身体の動きであり、他者との戦いである。そこには台本は、原稿はないな。筋書きは無い。一寸先は闇だな。その一寸先が分かれば八百長だな
60年安保、1960年(昭和35年)は戦後15年。節目だった。6月には日米安保条約を巡り国が割れた。中には当時渦中であった岸信介が声なき声と発したのは名言であった。いつの時代でも蚊帳の外に置かれている者はいる。国会前ではまさに軍隊を出動させようと政権首脳部は考えていたが、後楽園球場では満員の観衆がいるし、銀座通りは何事もないような人の流れである。岸信介には声なき声が聞こえたな。あるいは聞こえたふりをした。流石東大出の秀才であり満州帰りの官僚であり運も付いていた
1960年6月10日にはハガチーが逃げ、15日には樺美智子が圧死されたが、あれほどの運動も流れも19日に日米安保条約が自然承認されたら、潮を引くように運動は消滅した。盛り上がりが大きかっただけに、気の抜けたビールのようだったと。混乱の責任を取るかのように岸信介は退陣して、後継総理に池田勇人が選出された
池田勇人は所得倍増計画を引き下げ、私は嘘は申しません、低姿勢、忍耐と寛容を携えてこの国に躍り出てきた。11月の総選挙では自民党が圧勝し長期政権の礎が築かれた。そこには安保のアの字は無かった
10月12日には日比谷公会堂で開かれた演説会で社会党の浅沼稲次郎委員長が山口二矢に刺殺された。プロ野球ではセリーグ万年最下位だった大洋ホエールズが西鉄ライオンズを辞任した三原脩を監督に迎えて初優勝し、その勢いで日本シリーズでも四連勝して日本一に輝いた。投手に秋山登、捕手に土井淳の明大出を擁し、いわゆる三原マジックで世間をあっと言わせた
大相撲では3月場所に栃錦と若乃花が史上初の全勝対決となり若乃花が優勝した。敗れた栃錦は5月場所で初日から連敗すると引退した。若乃花は1962年5月に引退を表明した。軽量力士だった「栃若時代」から、次の「白鵬時代」に移った。柏戸と大鵬は1961年9月場所後横綱に同時昇進することとなった
夏になった。九州南部では梅雨が明けたと。高校野球が始まった。高校野球のメッカは甲子園である。真夏の風物詩とも言える。47都道府県から一校ずつ選出され甲子園で戦う。地方から上京した者にとっては、夏そのものであった
浅川マキが石川県の片田舎の町役場から上京した。1960年代後半に上京して寺山修司に見出された。寺山修司は人を発掘し育てるのが上手であった。「夜が明けたら」「かもめ」は一代ヒットした。ちっちゃな時から、ふしあわせという名の猫、赤い橋と続いた。名曲揃いであった。声、歌詩、耳に残る歌手であった。曲もよし、歌詩もはっきりしていた。1971年4月に発売した港の彼岸花には赤い橋が収録されていた。赤い橋は北山修の作詞
不思議な橋が この町にある/渡った人は 帰らない
いろんな人が この町を出る/渡った人は 帰らない
赤く赤く塗った 橋のたもとには 赤い赤い花が咲いている
いつかきっと 私も渡るのさ
地方出身者からは、高校野球が「赤い橋」と重なるんだな。三代続けば江戸っ子と言われるが、真夏は終戦もあり、高校野球は一服の清涼剤とも言えるな。誰か言っていたが、正月と盆ぐらいは亡くなった者を偲べと
高校野球はひと夏であるが、東京六大学野球は神宮球場で春と秋の二度ある。6チームの総当たりで優勝を決める。途中優勝が決まっても早慶戦は最後である。早慶戦で終了することになっている。これは早慶戦を起源としたことにより伝統的なものであろうな。1960年秋季リーグ戦は慶応8勝2敗で勝ち点4、早稲田は7勝3敗で勝ち点3、最終の早慶戦に優勝を持ち越した。慶応は早慶戦に勝てば優勝、早稲田が慶応に連勝すれば優勝、2勝1敗なら同勝ち点・同勝率で優勝決定戦となることであった
ここに歴史的な6連戦をやった。11月6日から11月8日までの3連戦で早稲田が2勝1敗で同率首位にて優勝決定戦に持ち込まれた。11月9日は延長11回で日没引き分け、11月11日も日没引き分け、11月12日に3対1で早稲田が勝って優勝した。早稲田の安藤元博は引き分けと勝った試合5試合を一人で投げ通した。まさに逆転優勝で後世まで伝えられた。いつもながら新宿の夜は沸き立ったであろうな
学生スポーツ界では4年が、4回が限度であろうが、学生運動家、政治については、裏表で8回生の猛者もいた。学生とはいっても様々である。高校の頃の応援部員は重い旗を持ち、いかつい顔が並んでいた。格闘技に長けた者が多い印象であったが、大人になってみて大学の応援団を先頭にした行進を見ると、応援団員の顔はかわいいんだな。年の差ばかりでなく、年代かも知れない。この1960年秋季の有様は、早大を中退した長尾三郎が「神宮の森の伝説60年秋早慶6連戦」に描いている。この作品が文藝春秋から単行本として発行されたのが1992年だと。1960年には色々あった
映画の黄金の七人だったかな、続編だったかな。刑務所にわざと入り、色々準備して刑務所を脱走して紙幣を刷って、アリバイのためまた刑務所に戻る。その画面でサッカーのテレビ中継を見入ってる間に犯行した。サッカー英国杯の決勝戦を利用した。看守も誰しもサッカー中継に仕事そっちのけで夢中になる。そういうことはあるのかと驚いたが、後年どの国民でも同じようなものとも言える
スポーツでもスケートやスキー、体操、陸上のフィールド競技などがタイムレースや得点で勝敗を決する。昔の中学生は対外試合を禁止していた。従って放送陸上と言って、各県の一つの競技場で開催して、全国で集計してタイムで競いタイムによって優勝を決めていた。タイムレースだと同じ場所での競り合いが無い。見ている者には結果がすぐには分からない。だから見る者には感動は薄くなる
オリンピックとは古代オリンピックでは戦争は休止にしたと。現代のオリンピックは武器のない国家間の戦争であろうな。だから黄金の七人のように皆で応援する。下手をすると肩を組んで応援する。ある時飲み屋で松尾雄治がいた。良く喋るんだな。ラグビーにはプロはあるかと聞いたらあると。細々とあると。プロスポーツとは見せる者を対象にしている。見せるし観衆も多いからプロとして成り立つんだな。国家間の競技の方がより観衆も増えるし熱狂する構造だな。それに昨今では商売が基底になることを露呈した。何をなしても商売上の利潤の追求が見え見えになっちゃった。国プラス商売の両輪がオリンピックと言える
無観衆での開会式ではどうなるか。儀式として成り立つかな。開会式だから役員のためでなく、兵士いや選手も参加するだろうな。開会宣言はどうするのだろうな。誰がどのように発言するのだろうかな
緊急事態宣言下では、飲食店での酒の販売は中止にすると。酒の卸売店も飲食店に酒を売るなと。大変な緊急事態宣言下でのオリンピックになった。酒とは人と人の潤滑油になる。ある法律事務所では酒場で面接をすると、信州には酒病院と言われた佐久病院がある。若月俊一は口の重い北国の農民たちと酒を通して農民の本音を引き出して懐に飛び込んだ。酒は口が滑らかになるんだな
菅義偉の記者会見の前に酒でも飲ませたら良い。下戸か。じゃパンケーキでも腹一杯食わせるんだな。お汁粉で酔っぱらう者もいると。菅義偉に任命拒否された日本学術会議の会員候補候6人が、政府に情報開示請求した自身の拒否理由に関する文書が不開示とされたことに対して、行政不服審査法に基づき審査請求する方針を決めたと。この菅義偉内閣だけでなく、安倍晋三内閣からずっと理由を言わない理由を言えない内閣だな。菅義偉が味方としていた心を許していたNHKのニュースウォッチ9で日本学術会議の会員候補任命拒否に対して「説明できることとできないことってあるじゃないでしょうか」と話したと。口が足りないだけあって突かれるとポロリと本音が出る。説明できない事は致命的な欠陥だな。致命的な欠陥を侵してもまだ政権が続いていることは異常だな。政治とは感情ではないな。論理だな。論理でやるべきだな。論理で説明出来なければお終いだな。山田風太郎の遺作は「コレデオシマイ」。感性を求める世界でも辞世はある。ましてや云々。記者会見でもはぐらかす。論点をずらす。政治家も変わったな
東京都議選があった。様々な政党から立った。その中に東京・生活者ネットワークがあった。議員は最長でも3期12年で交代すると。政党の綱領か不文律かは分からないが、3期12年で交代するとは本来の政治家のあるべき姿であろうな。当たり前のことが出来ない世になった。さいわい1名当選したようだが。政府の広報者の田崎史郎が、自民党は保守に弱いと。図星だな。大都市では大阪では維新、東京では都民ファーストが地方議会の選挙ではそこそこいる。中選挙区も幸いしているが、今の自民党では不安があるので亜流でも、まあ代わりになるんだろうな
世論調査がある。大抵世論調査に答えるのは半分だな。半分では世論調査にならないと思うがな。選挙に関して政党や政治家への支持率を調査する。特に政治家は世論調査の結果を重視すると。半分程度の調査では分からないと思うが、考えたら半分で十分だな。調査に答えない、選挙でいえば白票は、投票しないんだな。元々投票しない者の意識などは関係ないと。じゃ投票した者の出口調査、これも正直なんだな。素直に投票した者を答えるようだな。ひねくれ者、へそ曲がりは居なくなったな。尾崎士郎は山本周五郎に対して曲軒と称したとか。
山本周五郎はただ大衆の庶民の見解だけであったろうな
大坂なおみがオリンピックに出場したいと。記者会見の形式自体が時代遅れで、刷新が必要と。人生は旅だと。たまにはメディアの目を離れ、精神的な休息を取る権利をアスリートに与えるべきだろうと。選手が会見などを免除される病欠制度の導入を提案と。
人は話しながら考えるタイプと考えてから話すタイプがある。大坂なおみは典型的な考えてから話すタイプのようである。考えないと口を動かせないようである。内省的もあろうが、文章での発信は出来るし、テニスは人一倍出来るんだな。鬱病とは分からないが、他者から聞かれる質問されることが嫌いなんだろうな。人前で自分の考えが即座に発信出来ないようだ。それなら時間など気にしなくて無制限の記者会見を受けてみたら、鬱病も直るかも知れない
熱海市伊豆山が土石流でやられた。熱海は坂の町、坂の上に家屋が街が立っている。どこの市町村でも統計資料を公表している。熱海市のHPによると令和元年現在人口36,607人、21,517世帯である。その内伊豆山地区では人口3,404人、2,164世帯である。あくまでも住民登録している統計資料である。伊豆山地区で65歳以上の人口は1,847人である。実に54%の老人人口である。多分一人暮らしの老人も多いだろうな。尾道も坂の町。坂の町は老人になると辛い。ましてや一人暮らしだと
社会学者・大野晃は65歳以上の高齢者が人口の過半数を占める集落を限界集落と言うと。限界集落とは共同体の機能維持が限界に達している集落を言うと。高齢化により住民自治、冠婚葬祭などの共同体機能が急速に衰え、やがて消滅に向かうと。新宿区の戸山団地もその虞があると
共同体意識が無くなるか。薄くなるか。自治意識が無くなるか。年を重ねることには苦難の道が待ち構えてるな
予定では東京2020のHPの日程では、開会式に先駆けて7月21日午前9時から福島県営あづま球場にて女子ソフトボール、札幌ドームにて女子サッカーが行われると。そして23日20時から国立競技場にて開会式をやると。そのため22日は「海の日」として祝日、23日は「スポーツの日」として祝日にしたと。手回しが良いな。先手先手だな。戦後政治とは既成事実の積み重ねと言われたが、事実を規制の物として過去として過去を振り返らず前へ前へと突き進んできた
体育、スポーツとは何であろうな。スポーツを通して感動をとこの国の指導者、菅義偉は言う。スポーツによって感動を得ることもあろうな。運動とは身体の動きであり、他者との戦いである。そこには台本は、原稿はないな。筋書きは無い。一寸先は闇だな。その一寸先が分かれば八百長だな
60年安保、1960年(昭和35年)は戦後15年。節目だった。6月には日米安保条約を巡り国が割れた。中には当時渦中であった岸信介が声なき声と発したのは名言であった。いつの時代でも蚊帳の外に置かれている者はいる。国会前ではまさに軍隊を出動させようと政権首脳部は考えていたが、後楽園球場では満員の観衆がいるし、銀座通りは何事もないような人の流れである。岸信介には声なき声が聞こえたな。あるいは聞こえたふりをした。流石東大出の秀才であり満州帰りの官僚であり運も付いていた
1960年6月10日にはハガチーが逃げ、15日には樺美智子が圧死されたが、あれほどの運動も流れも19日に日米安保条約が自然承認されたら、潮を引くように運動は消滅した。盛り上がりが大きかっただけに、気の抜けたビールのようだったと。混乱の責任を取るかのように岸信介は退陣して、後継総理に池田勇人が選出された
池田勇人は所得倍増計画を引き下げ、私は嘘は申しません、低姿勢、忍耐と寛容を携えてこの国に躍り出てきた。11月の総選挙では自民党が圧勝し長期政権の礎が築かれた。そこには安保のアの字は無かった
10月12日には日比谷公会堂で開かれた演説会で社会党の浅沼稲次郎委員長が山口二矢に刺殺された。プロ野球ではセリーグ万年最下位だった大洋ホエールズが西鉄ライオンズを辞任した三原脩を監督に迎えて初優勝し、その勢いで日本シリーズでも四連勝して日本一に輝いた。投手に秋山登、捕手に土井淳の明大出を擁し、いわゆる三原マジックで世間をあっと言わせた
大相撲では3月場所に栃錦と若乃花が史上初の全勝対決となり若乃花が優勝した。敗れた栃錦は5月場所で初日から連敗すると引退した。若乃花は1962年5月に引退を表明した。軽量力士だった「栃若時代」から、次の「白鵬時代」に移った。柏戸と大鵬は1961年9月場所後横綱に同時昇進することとなった
夏になった。九州南部では梅雨が明けたと。高校野球が始まった。高校野球のメッカは甲子園である。真夏の風物詩とも言える。47都道府県から一校ずつ選出され甲子園で戦う。地方から上京した者にとっては、夏そのものであった
浅川マキが石川県の片田舎の町役場から上京した。1960年代後半に上京して寺山修司に見出された。寺山修司は人を発掘し育てるのが上手であった。「夜が明けたら」「かもめ」は一代ヒットした。ちっちゃな時から、ふしあわせという名の猫、赤い橋と続いた。名曲揃いであった。声、歌詩、耳に残る歌手であった。曲もよし、歌詩もはっきりしていた。1971年4月に発売した港の彼岸花には赤い橋が収録されていた。赤い橋は北山修の作詞
不思議な橋が この町にある/渡った人は 帰らない
いろんな人が この町を出る/渡った人は 帰らない
赤く赤く塗った 橋のたもとには 赤い赤い花が咲いている
いつかきっと 私も渡るのさ
地方出身者からは、高校野球が「赤い橋」と重なるんだな。三代続けば江戸っ子と言われるが、真夏は終戦もあり、高校野球は一服の清涼剤とも言えるな。誰か言っていたが、正月と盆ぐらいは亡くなった者を偲べと
高校野球はひと夏であるが、東京六大学野球は神宮球場で春と秋の二度ある。6チームの総当たりで優勝を決める。途中優勝が決まっても早慶戦は最後である。早慶戦で終了することになっている。これは早慶戦を起源としたことにより伝統的なものであろうな。1960年秋季リーグ戦は慶応8勝2敗で勝ち点4、早稲田は7勝3敗で勝ち点3、最終の早慶戦に優勝を持ち越した。慶応は早慶戦に勝てば優勝、早稲田が慶応に連勝すれば優勝、2勝1敗なら同勝ち点・同勝率で優勝決定戦となることであった
ここに歴史的な6連戦をやった。11月6日から11月8日までの3連戦で早稲田が2勝1敗で同率首位にて優勝決定戦に持ち込まれた。11月9日は延長11回で日没引き分け、11月11日も日没引き分け、11月12日に3対1で早稲田が勝って優勝した。早稲田の安藤元博は引き分けと勝った試合5試合を一人で投げ通した。まさに逆転優勝で後世まで伝えられた。いつもながら新宿の夜は沸き立ったであろうな
学生スポーツ界では4年が、4回が限度であろうが、学生運動家、政治については、裏表で8回生の猛者もいた。学生とはいっても様々である。高校の頃の応援部員は重い旗を持ち、いかつい顔が並んでいた。格闘技に長けた者が多い印象であったが、大人になってみて大学の応援団を先頭にした行進を見ると、応援団員の顔はかわいいんだな。年の差ばかりでなく、年代かも知れない。この1960年秋季の有様は、早大を中退した長尾三郎が「神宮の森の伝説60年秋早慶6連戦」に描いている。この作品が文藝春秋から単行本として発行されたのが1992年だと。1960年には色々あった
映画の黄金の七人だったかな、続編だったかな。刑務所にわざと入り、色々準備して刑務所を脱走して紙幣を刷って、アリバイのためまた刑務所に戻る。その画面でサッカーのテレビ中継を見入ってる間に犯行した。サッカー英国杯の決勝戦を利用した。看守も誰しもサッカー中継に仕事そっちのけで夢中になる。そういうことはあるのかと驚いたが、後年どの国民でも同じようなものとも言える
スポーツでもスケートやスキー、体操、陸上のフィールド競技などがタイムレースや得点で勝敗を決する。昔の中学生は対外試合を禁止していた。従って放送陸上と言って、各県の一つの競技場で開催して、全国で集計してタイムで競いタイムによって優勝を決めていた。タイムレースだと同じ場所での競り合いが無い。見ている者には結果がすぐには分からない。だから見る者には感動は薄くなる
オリンピックとは古代オリンピックでは戦争は休止にしたと。現代のオリンピックは武器のない国家間の戦争であろうな。だから黄金の七人のように皆で応援する。下手をすると肩を組んで応援する。ある時飲み屋で松尾雄治がいた。良く喋るんだな。ラグビーにはプロはあるかと聞いたらあると。細々とあると。プロスポーツとは見せる者を対象にしている。見せるし観衆も多いからプロとして成り立つんだな。国家間の競技の方がより観衆も増えるし熱狂する構造だな。それに昨今では商売が基底になることを露呈した。何をなしても商売上の利潤の追求が見え見えになっちゃった。国プラス商売の両輪がオリンピックと言える
無観衆での開会式ではどうなるか。儀式として成り立つかな。開会式だから役員のためでなく、兵士いや選手も参加するだろうな。開会宣言はどうするのだろうな。誰がどのように発言するのだろうかな
緊急事態宣言下では、飲食店での酒の販売は中止にすると。酒の卸売店も飲食店に酒を売るなと。大変な緊急事態宣言下でのオリンピックになった。酒とは人と人の潤滑油になる。ある法律事務所では酒場で面接をすると、信州には酒病院と言われた佐久病院がある。若月俊一は口の重い北国の農民たちと酒を通して農民の本音を引き出して懐に飛び込んだ。酒は口が滑らかになるんだな
菅義偉の記者会見の前に酒でも飲ませたら良い。下戸か。じゃパンケーキでも腹一杯食わせるんだな。お汁粉で酔っぱらう者もいると。菅義偉に任命拒否された日本学術会議の会員候補候6人が、政府に情報開示請求した自身の拒否理由に関する文書が不開示とされたことに対して、行政不服審査法に基づき審査請求する方針を決めたと。この菅義偉内閣だけでなく、安倍晋三内閣からずっと理由を言わない理由を言えない内閣だな。菅義偉が味方としていた心を許していたNHKのニュースウォッチ9で日本学術会議の会員候補任命拒否に対して「説明できることとできないことってあるじゃないでしょうか」と話したと。口が足りないだけあって突かれるとポロリと本音が出る。説明できない事は致命的な欠陥だな。致命的な欠陥を侵してもまだ政権が続いていることは異常だな。政治とは感情ではないな。論理だな。論理でやるべきだな。論理で説明出来なければお終いだな。山田風太郎の遺作は「コレデオシマイ」。感性を求める世界でも辞世はある。ましてや云々。記者会見でもはぐらかす。論点をずらす。政治家も変わったな
東京都議選があった。様々な政党から立った。その中に東京・生活者ネットワークがあった。議員は最長でも3期12年で交代すると。政党の綱領か不文律かは分からないが、3期12年で交代するとは本来の政治家のあるべき姿であろうな。当たり前のことが出来ない世になった。さいわい1名当選したようだが。政府の広報者の田崎史郎が、自民党は保守に弱いと。図星だな。大都市では大阪では維新、東京では都民ファーストが地方議会の選挙ではそこそこいる。中選挙区も幸いしているが、今の自民党では不安があるので亜流でも、まあ代わりになるんだろうな
世論調査がある。大抵世論調査に答えるのは半分だな。半分では世論調査にならないと思うがな。選挙に関して政党や政治家への支持率を調査する。特に政治家は世論調査の結果を重視すると。半分程度の調査では分からないと思うが、考えたら半分で十分だな。調査に答えない、選挙でいえば白票は、投票しないんだな。元々投票しない者の意識などは関係ないと。じゃ投票した者の出口調査、これも正直なんだな。素直に投票した者を答えるようだな。ひねくれ者、へそ曲がりは居なくなったな。尾崎士郎は山本周五郎に対して曲軒と称したとか。
山本周五郎はただ大衆の庶民の見解だけであったろうな
大坂なおみがオリンピックに出場したいと。記者会見の形式自体が時代遅れで、刷新が必要と。人生は旅だと。たまにはメディアの目を離れ、精神的な休息を取る権利をアスリートに与えるべきだろうと。選手が会見などを免除される病欠制度の導入を提案と。
人は話しながら考えるタイプと考えてから話すタイプがある。大坂なおみは典型的な考えてから話すタイプのようである。考えないと口を動かせないようである。内省的もあろうが、文章での発信は出来るし、テニスは人一倍出来るんだな。鬱病とは分からないが、他者から聞かれる質問されることが嫌いなんだろうな。人前で自分の考えが即座に発信出来ないようだ。それなら時間など気にしなくて無制限の記者会見を受けてみたら、鬱病も直るかも知れない
熱海市伊豆山が土石流でやられた。熱海は坂の町、坂の上に家屋が街が立っている。どこの市町村でも統計資料を公表している。熱海市のHPによると令和元年現在人口36,607人、21,517世帯である。その内伊豆山地区では人口3,404人、2,164世帯である。あくまでも住民登録している統計資料である。伊豆山地区で65歳以上の人口は1,847人である。実に54%の老人人口である。多分一人暮らしの老人も多いだろうな。尾道も坂の町。坂の町は老人になると辛い。ましてや一人暮らしだと
社会学者・大野晃は65歳以上の高齢者が人口の過半数を占める集落を限界集落と言うと。限界集落とは共同体の機能維持が限界に達している集落を言うと。高齢化により住民自治、冠婚葬祭などの共同体機能が急速に衰え、やがて消滅に向かうと。新宿区の戸山団地もその虞があると
共同体意識が無くなるか。薄くなるか。自治意識が無くなるか。年を重ねることには苦難の道が待ち構えてるな
最後の限界集落の話は他人事ではないですね。身につまされます。
今日のような少子化に歯止めがかからない限りは高齢化がますます進んでいくのは当たり前でしょうから。
私の住んでいるところでも自治会の役員や班ごとのゴミ仕分け当番が回ってくるのですが、同じように割り当てられると人がいないから出来ないという班が増えました。
空き家が増え、また80歳以上の人ばかりで体が動かないとか…要するに動ける人がいないから割り当てを外して欲しいと…
でも、何処も似たり寄ったりで、いずれは同じようになりますもの。新しい人が転入してこない限りは。
以前住んでいた団地などは、出来たときは同世代が多くて子供会も溢れるほどでしたが…
今や40~50年も経って閑古鳥が鳴いています。まさに限界集落の団地ですよ。そもそも若い人が帰って来ないんですから。
ところで、1960年ごろ…樺美智子さんや社会党の浅沼委員長が刺されて亡くなったという話、覚えています。
でもまあ、いろいろとあった年なんですね。こんなに詳しく細々と…調べられたのですか?
さすがは風の盆さんですね!
いろいろと勉強になりました。あの頃の私は世の中のことなんかこれっぽちも考えたことなかったし、勿論知ろうともしなかったんでしょうが。
でも、東京オリンピックは初めてワクワクしてテレビをしっかり見ていましたから忘れられないですね。
あれからスポーツが好きになり…自分では出来ませんが…いや出来ないからこそ却って応援するのが楽しかったのかも知れません。
今回のオリンピックの開催は…我が国にとって、日本国民にとって…プラスなんでしょうか?それともマイナス?
こんなコロナ禍の中で…さすがは日本だ!と言われるような足跡を歴史に残せるのでしょうか。
せめてアスリートの方々の素晴らしい成績だけでも残して…と願わずにはおられません。
久しぶり、梅雨も明ける、明けたかな
梅雨が明ければ夏、真夏だな
世界的に気象異常が起こっていると、異常とは普通じゃない、予期せぬことのようである、自然現象を人為的に治めることが出来ないようである
昔は治水と言って、水を制する者が国を治めることが出来たが、水は無くても困る、ありすぎても困るな
限界集落とは誰が言い始めたか、限りがあるか
平家物語だったかな、仏教では無常と言うが何でもあるが
極限、限界とはいずれは消滅するか
オリンピックあるいはスポーツによって目が覚めることはあるかな
テレビのスイッチをひねれば大谷大谷だな
Tシャツも大谷だらけのがある。まさに指名手配者のようだな
運動、スポーツは英雄あるいは特定な人に焦点をあてる
ことはあるな
もちろん、特定な人が特定な集団と戦うから特定な人に日が当たることは当然だな
しかし、社会とは組織とは政治とは特定な者に焦点が当たるようではまだまだだろうな
社会とは人が少なくなると、減少すると消滅に向かう。それにコロナが拍車をかけるようである。コロナ禍では人の密集を避ける
マンションで良いマンションとは、皆同じような年齢考えを持っている方がうまくいく
しかし、社会とはその反対だな
色んな人種がいる、色んな考えがあるな、それらは何だな、そこにはスターの存在はいらない
blogへの再コメントありがとうございます。
お返事になるかどうか分かりませんが、返信しておりますので、よろしかったら読んでみて下さい。
タイプ打つより、書くより喋る方が早いと…
あれだけ書かれるのに、喋る方がもっと上だということは…どんなんでしょう。機関銃のように喋るのですか?
私も喋りすぎと何時も言われています。
だから〝男は黙って…〟の俳句に惹かれたのかも知れません。
風の盆さんもいかがですか?
ここに書かないと返信したことが通知できないようですので書きました。
〝達者でな〟…とは、まるでどこか遠くへ行かれる人のような…。では、また。