風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

大学の自治

2023-08-16 11:37:41 | 世評
八月や 六日 九日 十五日
ハチガツヤ ムイカココノカ ジュウゴニチ

おどま 盆ぎり盆ぎり~~~
盆から 先きゃおらんと・・・

八月は敗戦記念日とお盆が重なってくる。お盆とは盂蘭盆会とか。盂蘭盆会とは仏教では旧暦だった頃、7月15日を中心に7月13日送り火から16日迎え火までを言ったと。新暦になっても東京などは旧暦と同様7月13日から16日までと、旧盆、具体的には月遅れ盆として8月13日から16日までの地域に分かれる

東京などは旧暦の7月15日(新暦では8月30日)ではなく、新暦になっても7月15日を運用している。全国的には月遅れの8月15日にいわゆる旧盆として(旧暦では6月29日になると)、たまたま月遅れ盆が敗戦記念日と重なっただけである

盆とは先祖を、祖先を供養するのだが、先祖だけでなく、正月と盆ぐらいは亡くなった人を偲ぶ、思いを馳せる、弔うことであろう。ましてや先の15年戦争では軍人だけでなく多くの民間人も亡くなった。頭を垂れて亡き人に思いを馳せるのは良いことだろう

盆とは、月遅れ盆とは、民間会社では休業の所が多い。民間とは上下あるいは横の関係があるので、全国的に一斉休業となっている地域が多い。江戸時代からの藪入りの風習がいまだ延々と続いている。風俗風習とは中々消えないものだ。

8月12日の朝日新聞朝刊によると、これまで日本風力開発の脇坂正幸社長の弁護人は、前外務政務官の秋本真利衆議院議員への利益提供や風力発電事業に絡む賄賂ではないと説明してきた。しかし弁護人は11日になり、脇坂社長が国会質問への謝礼という特捜部の見解を受け入れ、秋本氏への賄賂と認める方針に転換したと明らかにした。その理由は「取引先まで捜索されたことや会社の経営への影響を考慮した」と述べたと

報道によると社長の弁護人と記載され、辯護士とは記載されていない。弁護人とは辯護士だろうな。いや辯護士を含むのであろうな。誰だったかな、辯護士とは何とか何とか言うのが辛いものとか語ったがな

昔は、弁の旧字体は辯であった。旧字体でもいまだに使用している文字もある。簡略された文字もある。曰く「縣」を「県」に。「眞」を「真」に。「釋を「釈」に。「淺」を「浅」に。浅川マキの浅川は淺川だったかな。倉本聰の「歸國」は旧字体であった。彼らに、帰還した彼らにあっては、帰国では無く、歸國でなければならない。しかし、点呼がいただけない。イチ、ニから始まって、シやシチなんだな。シはヨン、シチはナナじゃなければ、軍人いや軍隊の点呼じゃないな

昔、ヒサオという男がいた。漢字だと「壽夫」とはっきりと旧字体で書くんだな。良く書けるなと感心したら本名だからと

車寅次郎が言っていたが、桜の旧字体は櫻。ニカイのオンナがキにかかると

士業とはある意味専門家であろうな。いや独占的な職業である。しかし、依頼者がいる。民間人だから依頼者に頼まれて職を全うする。しかし依頼者の利益や損失に関わるのでは、専門家かなと疑問を呈する。中立的な第三者委員会には辯護士が委員になる場合が多い。しかし依頼者によって方針や主義主張が変わっては中立ではないだろうな。中立とは中に立つことであろうな

また裁判、法廷では検察が立件して辯護士が被告に寄り添い、判事が判決を下す。検察と辯護士の業務とは正反対である。最近では公職である検察官が民間の辯護士になるのが見受けられる。どうも小生から見ると違和感があるんだな

司法書士などは登記申請書類に依頼者から委任状を提出する。委任状とは本来依頼者が作成して受任者に渡す。しかし昨今では受任者が委任状を作成する。ここまでは良しとしよう。しかし受任者が作成した委任状に委任者から捨印をもらうんだな。自分で作成したが委任者から捨印をもらう。要求する。士業の退廃を感じざるを得ない

依頼者からの要求は依頼者である限り従うのは当然であるとも。ある予備校の経営者かな、親たちはいわゆる有名校、一流校を目指していると。それに対して教育とはとか唱え、本来の教育を語ることは、依頼者から批判されると。それも一理あるんだな。一理だけでなく、依頼者の要求に沿えないと継続できないと。難しいものだ

今の世は漫画ばやり。昔も漫画はあった。曰くサザエさん。白土三平のは劇画と呼ばれていた。忍者武芸帳やカムイ伝は面白かった。面白かったが、いわゆる忍びの世界を描いていた。忍びとは良く言ったものだ。昔、「忍」という名の男がいた。若い頃は自分の名が嫌だったと。小生の旧制中学、新制高校では戦前の流れであろうな、校訓が「忍」であった。ガロの雑誌もあったな。

漫画もさることながら画像、動画・映像の世になった。ラヂオよりもテレビ、一歩進んで電子機器の発達によって、携帯電話がスマ-トホンになって、映像化にますます拍車がかかった。電話よりも写真機なんだな。言葉から漫画へ、漫画からアニメーション、通称アニメと言うと。宮崎駿の「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」が奔りであろうし、興行的にも大成功をおさめた。興行的に成功すると世も注目され数々の映画賞を受賞するに至った

工匠の業 千載を照らす
俳優の業 一瞬を照らす

役者とは一瞬、一瞬に賭けていた。カメラも同じだった。待ちの土門拳はじっと待って、ただ一瞬のための出番を待った。昨今ではテレビなどは同じ映像を何回も何回も出す。商品の宣伝と同じだな。報道番組までも何回も何回も出回す。同じ映像をこっちのテレビ局からアッチのテレビ局までたらい回している

アニメや漫画は役者の首を絞めるかも知れない。現にアメリカの映画界ではAIによって一回写して使い回わしていると。映像だけでなく一瞬を大事にしなくちゃならないな

1965年に加藤和彦がザ・フォーク・クルセダ-ズを立ち上げた。そして軽井沢の万平ホテルで没した。翌日の朝日新聞には北山修の追悼文が掲載された。加藤和彦は一流だったと。音楽だけでなく、趣味も生き方も一流だったと、北山修が精神科医であるだけに無念であると、ソロ中心に偏ることは無く、バンド志向であったと

昨今の藝は、いや概して集団志向であるな。音楽だけでなく、歌にしてもテレビ宣伝にしても集団志向だな。個人の印象が薄くなっている。ただスポ-ツや競技では若者が一人卓越している。将棋はスポ-ツ分野では無いが、報道では競技・スポ-ツに近い。あるいは将棋や囲碁も勝負である限り、スポ-ツに近い、一種の体力勝負とも言える。勝負であるので勝ち負けが明確である。藤井聡太が10代でプロ入りしたが、大の大人がコロコロ負けるんだな。意地は無いんだろうか。負けて悔しさはあるんだろうが淡々としている。参っちゃうな

個人競技では無いが、団体競技でも報道機関は個人を追う。個人を断片的に扱う。当然視聴率は上がってスポンサ-は喜ぶと見ている。大谷翔平、前人未到を行くが報道機関、ゴミ箱は大谷翔平個人を追う。野球球団はトレ-ドを考えると、どこでもいいんだろうな。朝からテレビでは大谷君オオタニクンと叫んでいる

小生は朝日新聞を購読している。毎週土曜日に日曜版かな、発行される。各人が記載しているが山田洋次が3週間ごとぐらいに「夢をつくる」を連載している。自らの生い立ちから家族や生き方等について素直に記述している。山田洋次はひねくれてなく素直さが良い。相手もすんなり受け入れちゃう。その中で4月8日の記載が妙に頭に残っている

大学を出て松竹に入社した。映画監督はどうやって映画をつくるのか。助監督の仕事とはどういうことか。1954年助監督として松竹撮影所に入ったときからの疑問であったと。10人監督がいればみんな作り方が違うと。しかも熱心な監督がつくった映画が面白いかと言えばそうでもなく、いい加減な監督の作品が変に楽しかったりすると

ある時、新人助監督たちがうちそろって撮影所長に面談し、会社は何を基準に助監督を監督に昇進させるのか、つまり一本撮らせるのですか、と質問したことがあったと。所長は白髪頭をかきながら、「弱ったな。まあ、しいて言えば顔つきかな」と答えて、僕たちを大いに憤慨させたと

情景が手に取るようだ。現場が目に浮かんでくる。言葉によって情景が分かるんだな。下手な画像や役者よりも、言葉によってその現場が分かるな。問い詰めた若者、答えに窮した老人、いや壮年か。上手いな。

言葉で言い表すことが出来ない、あるいは言葉が徒労に終わることもあるな。あるいは真実を言うことは往々にして相手を傷つけることもある。難しいな。分からないことが多々ある

五木寛之が年を取って、年を重ねて、若い頃あれほど通った凮月堂のフウを「風」と思っていたと。そう言う事もあるな。事実と真実は違うと、とある新聞記者が言ったが、事実は一つであろうが、分からないことも多々ある

山田洋次は御年91歳、五木寛之は90歳。お互い満洲や朝鮮半島からの引揚げ。生命力とは持って生まれたものかも知れない

勝負なら勝ち負けは明確に分かる。記録競技なら記録によってはっきりする。しかし藝術の分野は基準が無い。基準はあるだろうが明確に無い。レコ-ド大賞のように売上高だと比較が出来る。しかし良し悪しだと必ずしも売上が多い方が良い作品では無い。良い作品でも売れない無冠の場合もあるだろうな

個人と集団、分からないことが多い。先日8日に日本大学で大麻事件があって、首脳部が記者会見した。ニチダイだと。英語表示ではニチダイなんだな。ポンダイじゃないと、日本テレビもポンテレでなく、ニッテレと言っている。ポンの方が響きが良いがの

日大のHPを見たが、理事会、評議員、学長とある。沿革によると総長制を創設したが、平成25年に総長制から学長制に移行している。また戦後、理事長制を創設している。良く分からないが、学長とは大学の、理事長とは系列も含めた日大全体の総括経営者であり、責任者だろうな

林真理子理事長は小説家だと。小生は林真理子の作品に接していないので、どういう人物か分からない。林真理子理事長は2日にマスコミの取材に対して、「違法な薬物が見つかったとかそういうことは一切ございません」と疑惑を全否定していた。しかしアメフト部の3年生部員が5日に覚醒剤と大麻を所持していた疑いで逮捕された。大学側は7月6日にアメフト部寮で植物片や錠剤を発見したが、警視庁に届け出たのは18日で、12日間の空白期間があったと

8日の記者会見では、林真理子理事長は8月2日に「違法な薬物は見つかっていない」という私の発言により混乱を招いてしまいました。その発言をした時点では違法な薬物かどうか警察において確認を進めていたところで、本学としては確認の結果を受けていないという趣旨の発言であったと。確かに私の発言は言葉足らずで唐突であったと反省していると。

記者会見で、記者から、これまで言葉を生業にされてきた理事長が「言葉足らずだった」と言うのは、違和感があるが・・・との問いに林真理子理事長は「祈るような気持ちで、その茶葉と思われるものが何とか大麻でないようにと、そればかり考えていましたので」と

記者会見での大学側と警察側の発言は違う。また昨年10月にアメフト部の部員の保護者から指導陣に対し寮の中で大麻を使用していないか調査してほしいと依頼があったとか。11月に部員が「大麻と思われるものを7月ごろ吸った」と自己申告したと。大学は口頭で厳重注意をしたと。今年6月に警視庁からアメフト部の寮で部員が大麻を使用している可能性があるとの連絡があり、大学側が調査したが不審物の発見には至らなかったと

保護者会とは何であろうか。大学生になっても保護者が前面に出てくるんだな。アメフト部だけでなく、文系の部も学生はどうなっているのか。分からない。昨今の大学では横文字の新しい学部がある。日本大学ではスポ-ツ科学部がある。スポ-ツ科学部と運動部・体育会は別だろうが分からない。あるいはスポ-ツ科学部とは現場、体育会に属するのだろうか。保護者会とは大学のか、体育会のか分からない

しかし昨年から大麻問題はくすぶっていた。体育会の寮とは寮長がいて監督も同居しているのか分からない。HPによると、アメリカンフットボ-ル部学生寮は二段ベッド、二人部屋に見える。よく青学の駅伝の原晋監督がマスコミで取り上げられるが、それによると監督夫婦が寮内に学生と一緒に生活しているようである。一緒に生活しているので学生の模様が分かり調子の良し悪し、性格まで分かると

大会社でも社長と副社長では雲泥の差があると。トップは人事と財政を采配できると。監督もスポ-ツのみならず映画監督でも、人選から始まって何から何まで決定できる。その変わり結果、責任がついてくる

体育会では特にそうだろうな。寮内の学生の模様は監督や寮長は把握出来る。また把握できないようでは指導者として失格であろう。まして各部屋は個室ではないだろう。同室の者は手に取るように分る筈であろうな

林真理子理事長は記者会見で、「私もお飾りの理事長であるという報道をなされているようでありますが、そのような評価はとても残念に感じております。(就任1年で)人事とか訴訟とかいろんなことをやってまいりましたが、本当にスポ-ツの方は少し後回しにしていたというのは事実です」と。スポ-ツに対して遠慮があったと

どうして大麻を隠さなかったのか分からないな。大麻は持っているだけで犯罪になる。法律にひっかかる。いままでは噂では隠してきただろうに、どうして大麻が出てきたのか不思議であるな。しかも一人の所持である。分からないことが多い

佐久市に佐久長聖中学・高校がある。名も無き高校であったが、地元に言わせると東大か甲子園だと。私学であるので経営も大事である。昔は脚光を浴びなかったが、今じゃ東大を目指すか、甲子園に出ることだと。一人の学生が文武両道ではなく、学校として勉強かスポ-ツかを分け、どちらかを目指すと

ポンダイも色んな学部があるが、組織は分からないが医学部と芸術学部で持っているのではないかな。それとスポ-ツ、甲子園。8月は高校野球がある。甲子園だな。各地域から49代表校が選抜されたと。昔は商業高校が多かったが、昨今では色々。その中で山形県の日大山形、茨城県の土浦日大、西東京の日大三と三つも日大の名称がついている。多分日大の系列であろうが、3/49とは大したものだ。星野が全国の旅館を制するのではないかと恐れられているが、日大も名の通り日本に多くの学校がある

医学部と芸術学部だけではないな。下手をすると日本のスポ-ツ界に君臨するな。林真理子理事長は分かっていないな。まずはスポ-ツ界から見てみたら

大学では産学共同路線は嫌われてきた。それは産業界とは往々にして利潤の追求を第一に考える。真理よりも学識よりも利潤だったから嫌われた。排除された。しかし昨今では大学も経営、継続であろうな。産業界の利潤追求を抜きに語れなくなった。また大学の自治も恩讐の彼方に追いやられるありさまである。今回の日大の騒動は学生の影が薄い。大学にとっては学生とはお客さんであるし、学生にとっても大学とは処世術の一過程になりつつある

マイナンバ-が話題になっている。立川談志の弟子に志らくがいる。普段は談志の弟子らしく保守的と言うか伝統重視と言うか談志と考え方が似ているんだな。その志らくがテレビで面白い事を言っていた。マイナンバ-は金で釣り出したからまやかし物だと、だから私は手を出さないと、そんなような事を喋っていた。談志同様時としてピシッとしたこともある。藝人とは恐ろしさを秘めている

マイナンバ-だと。個人番号、総背番号、横文字なんだな。確かに一つの書で全部を網羅出来れば国家にとって便利が良い。全て国民を把握できる。しかし何だな他人の情報が出たりすると、入力ミスか制度本来が悪いか分からない。分からないまま突進すると。猪突猛進すると。国家は独占だからな。法律を作って執行する。欠陥の原因を究明出来ないようだな。分からない。原因も分からないようだ

朝日新聞の日曜版に沢木耕太郎が連載している。「暦のしずく」。沢木耕太郎とは大学を出たら、不意ッと海外に飛び立った。あの時期渡航した者は意外と多かった。境港の足立倫行も渡航した。沢木耕太郎は、小説家は難しいが、トップ屋の梶山季之のようには書けるんじゃないかと。テロルの決算で世に出た。その沢木耕太郎が「暦のしずく」小説を記載した。いつしか司馬遼太郎は小説はしんどい、と随筆を描き出した。沢木耕太郎は小説を書き出した。その動機は人間国宝が出てきたと。藝によって国家から罰せられた者を調べたら一人だけいたと。面白いな。松本清張の「小説帝銀事件」を彷彿させるな。いつしか沢木耕太郎は取材方法を表してみたいと語っていたがその後は知らない


おどんが 打死だちゅて
誰が泣いて くりゅきゃ
裏の松山 蝉が鳴く~~~

つくつく法師が鳴き出した
もう秋の気配だな

今度の台風は猛烈だった。被害にあった物を、者を悔やむ


コメント (1)
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