風のたより

電子計算機とは一極集中の現象が大であるが、その合間を縫って風の一頁を

赤木俊夫氏が遺した「手記」

2020-04-05 18:55:27 | 世評
先日の土曜日、TBSラヂオを聞いていた。見覚えのある、いや聞き覚えある声が流れてきた。永六輔が健在の頃は、毎週土曜日には「永六輔の土曜ワイド」を放送していた。その永さんの亡くなった奥さんと同じ名前の昌子さん(仮名)と聞こえてきた

聞いていく内に久米宏だと分った。「久米宏 ラジオなんですけど」の番組であった。週刊文春の3月26日号での相澤冬樹さんが記述した、赤木俊夫氏が遺した「手記」の件を語っていた。ラヂオでもテレビでもプロデューサーやディレクターがいるだろうし、司会者の権限はどこまであるか知らない。久米宏の意向がどこまであるのか知らない

久米宏は、TBSに入社したが昔は軽かった。あるいは軽い男を表現していた。テレビに携わるようになって、この軽さが受けるんだな。森本兄弟の兄の哲郎は東大の哲学科出身の重厚さ、弟の毅郎は軽い。軽いゴルファーが良いな。テレビだけでなく、報道とは軽い人、むしろ軽薄気味がいいんだな。吉行淳之介も若かりし頃、「軽薄のすすめ」を記していた

久米宏は報道に携わる人であるので、コマーシャルには出演しないと語っていた。軽さはあるが、筋は通すんだな。テレビ朝日の「ニュースステーション」はプロダクション(オフィス・トゥー・ワン)と広告会社(電通)と放送局(テレビ朝日)の合作であった。

報道のTBSでなく、テレビ朝日だから出来たとも言えた。「ニュースステーション」は1985年に始まった。古山高麗雄は久米宏を称して「陰間のしなつくり」と一蹴したが、所詮は映像なんだな。あるいは声なんだな

そのニュースステーションで1993年に政権党である自民党の梶山静六幹事長が番組に登場すると、久米宏は「通産大臣のとき、自動車メーカーのトップを集めて、当番組のスポンサーを降りるよう求めたという報道は本当か」と質問をした。その場では梶山静六はそんなことはありませんと整然と答えたと

しかし、退席する途端に廊下にあったバケツを足蹴りしたと。しかし、この話題は週刊誌で既に書かれていたことなので、話題にしたと。私が初めてでないと。後日、このスポンサーであったトヨタの車は買わないことにしたと。しかし、ある番組でトヨタ自動車の秘書官が美人だったので、またトヨタ自動車に乗り換えたと

今回の赤木俊夫氏が遺した「手記」の件も既に文春で報道していたので、番組で取り上げたのだろう。しかしその後の資本主義の話題でも痛烈なことも語っていた。今では資本主義とは本来は自由主義であろうが、国家が管理する証券取引所があり、国家で管理する賭博場とも言えると。何せ、株価が下落すると、国家が買い支えることもあるんだな

梶山静六がニュースステーションに登場した後は、自民党は下野した。その後、軍人・凡人・変人と田中真紀子は称したが、変態と言われた小泉純一郎が自民党総裁、総理になった。絶大な人気であった小泉純一郎であったが、報道陣の尽力もあったであろう

あの頃から変態が状態になり、「おたく」が出没してきた。いや変態が変態で無くなってきたな。トランプにしてもイギリスの総理になった男にしても、安倍晋三にしても、指導力があり過ぎるんだな

かって、三島由紀夫は「わが友ヒットラー」で政治とは妥協の産物であると。昔は周旋屋と言われたように妥協だった。しかし今じゃ率先して我が後に続けだな

かって、渡辺淳一は「鈍感力」を描いた。養老猛司は「バカの壁」を描いたと。その時だったかな小泉純一郎は鈍感力を身に付けなければと語った。これ以上鈍感になる訳はないのに、小泉純一郎はもっと、一種鈍感にと語った。政治家とは鈍感力は持って生まれた、あるいは政治家とは次第に鈍感になるのである。それさえも分からん人間であろう

歩きながらの立ち話で憲法改正を語る、あるいは一線を退いてから、かって推進した原子力発電所の廃止を唱える。おめでたい男である。いや人の上に立つ、立てるとは軽さ、軽妙さ、鈍感力を必要とする面を持つが、それは構えなんだな

やくざ映画をみると、あるいは893の世界では人を殺しちゃ、堅気の衆を殺めちゃお終いだと。亡くなった赤木俊夫氏は私の契約者は国民だと常々語っていたと。公務員とは全体の奉仕者である。考えようによっては、私は便所の中だけであろうな

人を殺しちゃいけないな。死者を出してはいけないな。山田風太郎は「これでお終い」を描いた。植木等は「ハイ、それまでよ」と歌った。表にでちゃ、報道をされちゃ立つ瀬がないなあああ・・・・・・
コメント (6)
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