日本戦略研究所

日本再興の砦

原爆投下や東京大空襲による民間人大量虐殺はアウシュヴィツより悪質であった

2005-08-21 16:30:41 | Weblog
米国による大量虐殺の被害国 日本を裁いた東京裁判の欺瞞  上智大学名誉教授・渡部昇一 【産経新聞 2005/08/21】

 ≪謝罪を忘れたアメリカ文明≫
 「私たちは広島に原爆を投下したことを後悔していない」と、その時の飛行士たちが声明しているということをテレビのニュースで知った。同じ話を聞いたのは十数年前のハワイであった。その時は日米開戦50周年で、ブッシュ大統領(今の大統領の父)が本土からハワイにやってきて、半分以上沈んでいる戦艦アリゾナの上で追悼式をやったのであった。そこで記者から質問を受けた。

 「あの戦争が原爆で終わったことをどう思っているのか」これに対してブッシュ大統領は「アイアム ノットソリー」と答えたのであった。私もたまたま開戦50周年記念で日系市民に講演するためハワイにいたので、現地のテレビ中継で見たのである。

 通常ならば、一発で十万人以上もの市民を殺したことに対して“ソリー”と感ずるのが正常である。ところが悪いと内心では思っていても、謝らないのがアメリカ文明-あるいは国際的慣習-である。そのことをわれわれも「自動車事故のときに絶対謝るな」という形で戦後教えられてきている。自分は謝らないで何とか相手の落ち度を見つけて逆襲するのである。原爆を落としても、悪いと思わないと主張するアメリカ人たちの論拠はいつも同じである。

 「もし原爆を落とさなかったら、もっと多くの人たちが死ぬような戦争が続いたことであろう」

 私もこれと同じことを聞かされたことがある。それは政治と関係のない学会がベルリンで行われたときの、自由時間における雑談の中でであった。私はこう答えた。

 「もし戦争を早く終わらせるために、普通の市民を大量虐殺してもよいというならば、毒ガスでもよかったのではありませんか。なぜそうしなかったのです」

 その人はアッと気付いた様子だった。そして「そういう見方があるとは知りませんでした」といった。この人には良心が正常に働いていた。


 ≪市民攻撃の思想ない日本軍≫
 日本の真珠湾攻撃から日米の戦いが始まったことは確かである。無通告攻撃の非難はあったが、それは日本政府や軍首脳部の意図でないことが明らかであったので、東京裁判でも問題にされなかった。真珠湾攻撃は奇襲であったにせよ、一般市民を攻撃の目的にはしていない(多少の被害者が出たといわれるが、それは米軍の高射砲の破片のせいだとされている)。

 他の戦場でも日本軍が市民の大量虐殺の計画を示したことはない。シナ大陸の戦場でも、北京、上海、漢口などの大都市でも市民への虐殺行為などは皆無といってもいい。

 南京だけは日本軍のオープン・シティーの勧告を無視して市街戦をやることにした敵側に責任がある。市街戦をやれば市民にとばっちりがかかる。しかも敵は便衣兵(市民の服装をした不法戦闘員)が多くいた。

 そのような事情の下で一般人が被害を受けることは、アメリカもベトナムや、イラクのファルージャで体験していることだ。こういう場合の一般人の被害と、初めから市民虐殺を計画したのとでは根本的に異なる。日本軍には市民大量虐殺の思想はなく、ヒトラーやルーズベルト、トルーマンにはそれがあったと断言できる。

 原爆に限らず、三月十日の東京大空襲でも、一晩に十万人もの一般市民が殺された。十万人殺すのにアウシュヴィツでは何カ月必要だったろう。


 ≪「二度と戦争を…」の方便≫
 こんなことを私がいうのは、反米思想を煽(あお)るためではない。東京裁判の根本的な不正を指摘したいためである。

 東京裁判におけるキーナン首席検事の論告を読んでいたら、それはまさにアメリカに向けられるべきものであることが明白であった。彼は文明の裁判といいながら、事後法を使い、裁判管轄権をも明らかにしえない裁判で、ソ連をも民主主義国といい、大量虐殺の被害国を裁いたのである。

 それは二度と戦争が起きないようにするため、と彼はいったが、裁判終結後、2年もたたぬうちに朝鮮戦争が始まり、次いでベトナム戦争…と続いている。東京裁判をやらせたマッカーサー元帥は、アメリカ上院で「日本が大戦に突入したのは自衛が主たる目的だった」と証言してくれたが、日本のマスコミはそのことを国民から隠し続けている。

 そして原爆も日本が悪かったからだという市長もいる。東京裁判を弁護する大新聞*もあり、政治家もいる。嗚呼。(わたなべ しょういち)

*朝日新聞