川崎フューチャー・ネットワーク(特定非営利活動法人)

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八ッ場ダム、64年の歴史に思う

2016-06-19 | 環境コラム

2016年6月10日(金)〜11日(土)に川崎フューチャー・ネットワーク(KF-net)メンバー有志で、
群馬県 利根川水系に建設中の「八ッ場ダム」を視察に行ってきました。

10日は国土交通省の見学ツアーに参加して、建設側のご案内とご説明を聞き、
11日は現地でダム建設に疑問を投げかけながら、
地域密着の活動をされている「八ッ場あしたの会」の方に、
水没予定地など、普段はあまり立ち入れない場所もご案内いただきました。

※文字サイズが小さい場合は、画面右上の「文字サイズ変更」でご調整ください。


現在、建設が進む八ッ場ダム。
計画から、あまりにも時間がかかり、
膨大な建設費も含めて、さまざまな問題があることで、ご存知の方も多いことでしょう。
これが、2016年6月10日現在の八ッ場ダムの姿です。
こちらは左岸側。緑が深い山の斜面に工事現場があります。
下からベルトコンベアでコンクリートの礫材をあげているところ、とのこと。


下からベルトコンベアで運ばれたコンクリート材が、ここに溜められます。
リフトも稼働しています。


これは、左岸側を対岸から見たところ。
斜面の様子がよく見えます。
青い印がついているところが、ダムの高さと、満水の時の水位になります。
また、左右の青い印の間が、実際のダムの幅になるとのこと。思ったよりも薄く感じられますね。


こちらが右岸側。同じく、青い印がついています。


こちらは、ダム湖の底になる部分。
橋脚についている赤い印がダムの高さ、青い印が満水位だそうです。
下にもコンクリートの礫材の貯留槽があります。
コンクリート打設は、本来、6月からの予定でしたが、
この時は、まだダム堤の掘削が完了していないので、もう少し先になるとのことでした。

 ※ 帰ってきて、ほんの3日後、
  14日からコンクリートを流し込む作業が始まった、との報道がありました。
  ただ、これはダム本体ではなく、
  減勢工という「ダムから落下する流水のエネルギーを弱めるための施設」で、
  ダム直下につくられるのだそうです。
  日一日と、八ッ場ダムの建設の進む足音が聞こえてきます…。
  (詳しくは、こちらをご参照ください)


ダムの概要。
ダムの模型は「なるほど! 八ッ場ダム資料館」という資料室にあります。無料です。
  余談ですが、ここにはペッパーくんという案内ロボットがいます。
  あまり会話は得意ではありませんでした(^^;が、胸の表示ボタンを押すとご案内してくれます。
      


ダムの底になる場所を上から見たところ。
群馬県埋蔵文化財事業団によって、遺跡の調査が行われています。

江戸・天明期(1783年)に起きた浅間山噴火で吾妻渓谷を泥流が流れ下り、
このあたりの縄文時代の遺跡が酸化せずに、そのまま保存されたため、
「日本のポンペイ」と言われているとか。
水に沈んでしまう前に、今、急ピッチで、その調査が行われているそうです。


実際に、ダム水没予定地に降りてみました。
このあたりは、すべて遺跡の調査中です。
この日は土曜日で調査は行われていませんでした。
作業を行っていない時は、出土面が風雨などで痛まないようシートがかけられています。
でも、調査が終われば、ここも、やがて水に沈みます。

奥に見える橋は、ダムから2番目の不動大橋です。


かつて、ここには家が建っていましたが、今は撤去されています。
揉めに揉めた八ッ場ダム。
補償金は全国一になったそうなのですが、高台の代替地の地価も日本一になったとのこと。
そこに移り住める人、住めない人など、コミュニティに亀裂が入る原因の一つにもなりました。


この先には不動大滝があり、観光の名所でした。
遊歩道の看板もありますが、今は立ち入りが禁止になってしまっています。
暮らしも文化も、すべて水に沈みます。


不動大橋の下部。工事現場入口。
旧道を進むと、ここで迂回になりますが、かつては、ここも町の生活道路でした。


橋脚に付けられたダムの高さを示す印です。
ダムの標高は586m、最高水位は583m。
この586mという数字が、補償金が支払われる基準になったそうです。
かつての居住地の道の途中に、標高を示す標識があるのは、
その補償地域の境界を明確にする意味があります。


工事現場入口の左手側。
かつて、この先に小学校があり(小学校は、一番先に高台に移転しています)、ここは通学路でした。
このあたり一帯も、やがて水に沈みます。


こちらが新しく建てられた小学校。
長野原町立第一小学校は明治6(1873)年からの歴史があるとのこと。
移転したのは平成14(2002)年。大変立派な学校です。
児童数は、2016年4月現在で、5学級23名(複式学級2)だそうです。


かつての川原湯温泉街。
ここは共同浴場で、ここで「湯かけ祭り」が行われていました。
舞台の下の温泉の源は、長らく「神聖な場所」として、
土地の人々から大事にされていた場所でした。
今は、すでに閉められており、共同浴場は代替地に建てられています。


この木にはムササビが棲んでいて、温泉を訪れる人たちに愛されていました。
今も、ムササビはいるそうですが、高い木から滑空して移動する動物なので、
高台に移ることができるのかどうか、気がかりなことの一つです。


長い長い逡巡の後に、川原湯温泉は閉められていきました。
高台の代替地で、今、3軒の宿が営業をしています。
(今回は、そのうちの1軒に泊まりました)
温泉は特殊なポンプで汲み上げているそうですが、
ダム完成後、メンテナンスが町に移された時、それらの経費が負担にならないのかなど、
将来的に不安なことは多々あるそうです。


温泉街の入口にある、趣のある神社。
水没は免れるらしいのですが、造成地に移転が決まっているそうです。


こちらは、すでに移転された真新しい不動堂(左)と神社(右)。
この不動堂の背後のどこかに、不動大滝があるのだと思います。
(橋に隠れて、今回は見ることができませんでした)


造成地に移転が終わった石仏たち(この奥にお墓がありました)。
新しい場所は、居心地が良いでしょうか。


旧吾妻線。
すでに高台に移設されているため、こちらに電車が走ることは二度とありません。
架線が垂れ下がり、線路は真っ赤に錆びていました。


道の駅「八ッ場ふるさと館」に、八ッ場ダムの計画からの経緯が貼られています。

 八ッ場ダムは1952(昭和27)年に、国によって計画されました。
 きっかけとなったのは、その5年前に起きたカスリーン台風による水害でした。
 洪水調節のための治水、それに増加していく首都圏の水源としての利水を目的とされていました。
 当初は、1964年に開催される東京オリンピックまでに建設される予定だったそうです。

 しかし、水没地帯に暮らす住民の反対や、難所工事のための工事費の増大(約4600億円)、
 地形的・環境的なさまざまな問題が噴出し、長い長い時間がかかるのです。
 経済成長期に向けて計画されていた巨大ダムでしたが、
 50年という時が過ぎた頃には、当初の目的であった水源としての水需要も下降線となり、
 また、ダムを建設しても洪水が防げないという昨今の研究もあり、
 そもそもの建設目的は希薄となりつつあります。
 そんな中で、何度も計画は中止されようとしましたが、
 さらにダムの目的(発電など)が加えられ、現在も工事が進められているわけです。
 ※末尾に少しだけ解説をつけています。ご参照ください。

現在、完成は2019(平成31)年度が予定されています。
次の東京オリンピックまでに、と考えられているようです。


新しく造られた付け替え道路。
こちらは県道に続く町道(対岸の高台に国道があります)です。
左手のプレハブは、ダム工事の方々の寮と現場事務所だそうです。


八ッ場ダムの建設の中で、ダム建設に直結しないような問題もさまざまに起きています。
吾妻渓谷は急峻で、代替地は盛り土が多いのですが、その工事の際に、
環境基準を超える六価クロムやフッ素を含む鉄鋼スラグが使用された場所があることが発覚しました。
スラグの一部は撤去が決まったそうですが、それ以外の代替地の造成にも使われている可能性が高く、
ここも路面が波打っており(膨張が疑われている)、住民は不安がっています。

ちなみに、あちこちの擁壁のコンクリートが赤茶けているのは、
アンカーボルトが打たれている斜面の地質が酸性熱水変質帯であるためだそうです。
山を切って、斜面が空気に触れたため、変質が起きています。

この場所は、道路の路面に有害な鉄鋼スラグが使われているため、
地質とスラグの複合的な要因で道路が変形しているという問題を抱えています。


八ッ場大橋の脇の地層です。
もともと浅間山の溶岩とみられる赤土や灰色の礫が多いそうで、
強度についても議論があるようです。

八ッ場ダムのように治水(洪水調節)を目的としたダムは、
洪水期には水位を下げる運用を行うことになっており、
毎年、水位を28メートル下げることになっています。
渇水年には、さらに10メートル以上、下げるのだそうです。
そういった水位上下による長期的影響は、誰にも予測することができません。


工事現場も礫が多そうです。


今、八ッ場ダム工事は24時間、
ほぼ不休(日曜もお盆も工事実施。休みは年末年始のみらしいとのこと)で行われているそうです。
夜中に八ッ場大橋の中央部まで出かけてみましたが、確かに夜間も照明がつき、工事音が響いていました。
真っ暗な山間に照らし出された谷の部分が、ちょうど実際のダムの部分にあたるとのことです。


国土交通省の工事現場見学ツアーに参加した際、ご案内の方が示されたダムの完成イメージ画像です。
こんなに広い地域がダム湖になるわけです。


不動大橋から、ダム水没地を一望できます。
遠方左手の山の上に見える突起物が、ダムの工事現場ですので、
このあたり一体は、すべてダム湖になるわけです。
手前に、うっそうとした森がありますが、
どうしても工事の妨げになるもの以外は、伐採せずに、そのまま水に沈めるとのことでした。
ここに暮らす人々、文化、生態系は、二度ともとに戻らないでしょう。

ぜひ一度、今のうちに現地を訪れてみてください。
そして、考えてみてください。

ダムは本当に必要でしょうか?


遠方に見えるのが、八ッ場大橋。
下に見えているのは、かつての町の跡です。
道路も、吾妻線も、学校も、住居も、ここにありましたが、
長い長い逡巡と交渉の果てに、これらは山の上の代替地に移されました。
でも、移すことができなかったものも、たくさんあります。
ダムが完成すれば、
見下ろしている谷間の一帯が、すべて(木々も含めて)ダム湖に沈みます。

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  「八ッ場ダム、64年の歴史に思う」

  ダムに関しては、生態系を破壊することから、もともと単純に反対でしたが、
  実際に、きちんとダムについて学び始めたのは、ほんの1年半ほど前からです。
  単純に自然保護の立場から「反対」と言うだけでは済まされない、
  複雑に入り組んだ問題があることをわかってきました。
  
  ある方が「川は地球の血管、ダムはその流れを阻害する大動脈瘤のようなもの」と言いました。
  今、東北大震災の被災地では、巨大防潮堤が建設されつつありますが、
  ダムも、巨大防潮堤も、自然の流れを分断するものであると、
  どちらも実際に現地を訪ねてみて実感しました。
  自然とのつながりが断たれると、自然への敬意も理解も遮られます。
  関西、東北、熊本と、立て続けに起こる地震を見ても、
  火山の噴火や台風などの例も見ても、
  自然は、簡単に人間の対応の範囲を超えてきます。
  ねじ伏せるのではなく、ともに生きる姿勢が必要なのではないでしょうか。
  そのためにも、自然とは、常に接点を持っているべきです。
  自然とつながり、自然から学び続けることが必要です。
  
  しかし、今、日本各地で、さまざまに自然と人を切り離す動きが起きています。
  人と人も、個別に分断されつつあるのを感じます。
  隣の人とも挨拶をしない「個室」での暮らし方、
  隣り合って座りながら、会話もしない「ゲーム」での遊び方、
  友達の作り方、会話の仕方すらわからない人が増えつつあります。
  それは、戦後の暮らし方の流れであり、
  ダム建設も、その中での正義の一つだったのではないでしょうか。
  そういった機械や個室を出て、自然の中に置かれれば、
  木々や川や海、生物(人も含め)などと、人は会話をするものです。
  人は、自然とつながり、人とつながりながら、生きていくしかありません。
  地球の上で、生きていくしかありません。
  自然を壊しては生きていけません。

  八ッ場ダムにおいては、建設の計画から64年が経ちました。
  長い長い時間の中で、何度も人と人が衝突してきました。
  ダムの建設を通して、
  人々は、自然との繋がりを断ち、人と人の繋がりも壊してしまいました。
  住民が去った水没予定地や温泉街を歩き、
  ムササビが暮らす木や、たわわに実る梅の木々を見ながら、
  どうして、引き返すことができなかったのか、
  なぜ、もっと早く、この長い時間の中で、
  広く学びあうことができなかったのだろうかと、考えていました。
  何を大切にすべきなのか、基準は間違っていないのでしょうか。

  日本の各地では、まだまだダムの建設が進められています。
  すべてのダムが不要とは言いませんが、
  今一度、立ち止まって考え直してみるべきではないかと思っています。

             (川崎フューチャー・ネットワーク 三枝信子)

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     代替地に移転した川原湯温泉宿「やまた旅館」前にて。

☆2日目のご案内は、
 「八ッ場あしたの会」の渡辺洋子さまに、大変お世話になりました。
 また、実際に出かけて行くまでには、
 同じく「八ッ場あしたの会」の川原さと子さまに相談に乗っていただきました。
 この場をお借りして、心から御礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。
 
「八ッ場あしたの会」では、
 これまでの工事の経緯だけではなく、現在も続くダムの問題について、現時点での八ッ場の様子について、
 丁寧に追いかけていらっしゃいます。
 今回、ご紹介した他にも、水利権や水力発電所、上流の品木ダムの強酸性水の中和事業、
 (品木ダムも訪問しましたので、本当はそれもご紹介したいのですが!)
 移転した先の町営住宅とクラインガルテン、温泉街、カザグルマの自生地破壊、などなどなど…。
 本当にさまざまな問題の集積場のようになっています。
 土地、人、文化、自然…。
 すべて、絡まり合って「八ッ場ダム問題」なのだと実感します。
 ぜひ一度、ウェブサイトをご覧になってみてください。

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学びあいエコサロン「ダムを知ろう(2016.5.24.開催)」資料より。
















☆参考:KF-net facebook「八ッ場ダム 研修旅行」
    画像・解説は、ほぼ同じですが、画像はこちらのほうが見やすいかもしれません。       

     
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