
1936年・昭和11年2月26日


庭に来た 白鼻芯

2.26事件 85年前である
健全財政主義者で
軍部の要求する予算を
常に削った
大蔵大臣・高橋是清は
決起将校らの凶弾に倒れた
83歳であった
是清は1854年
狩野派の絵師と
行儀見習奉公の少女との
間に生まれた
妻は是清を憐れみ
その子を
仙台藩足軽・髙橋家へ
里子に出し 後実子となる
仙台藩士である
幕末 仙台藩は
足軽の子弟を選んで
横浜のヘボン博士に就かせ
英語を学ばせた
是清 11歳 その後14歳で
アメリカ🇺🇸留学もさせている
幕府瓦解の報で帰国
明治17年「共立学校」
〈現在の開成学園〉を創立
「大学予備門」
〈後の東京大学〉の
受験生の為の英語の
補習校であった
正岡子規が大学予備門を
受験すべく 松山中学を中退し
共立学校に入学
是清に学んでいる
また 落語家
五代目 柳家小さんは
2.26事件に徴兵され
同事件を体験している
「実弾を渡され ことの重大さに
慄然とした」と述懐している
たった 85年前の
出来事である

瓦山町内に 白鼻芯 出没
町内に空家もポツポツ増え
格好の棲みかになっている様子
・猫🐈の小型
・鼻筋に白い白粉を引いた様に
線が一本
身軽にピョンピョン
フェンスの上を渡り歩き
運動会宜しく 我物顔
屋根裏や軒下に棲みつかれると
糞や菌🦠の被害にあいます
ご注意下さい

庭に来た 白鼻芯

岡本太郎氏の父君
岡本一平氏が描いた
達磨さん と呼ばれていた
高橋是清
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