川内の歴史を地図の変遷でたどります
(現代から江戸まで古地図で遡っていきます)
(現代から江戸まで古地図で遡っていきます)
平成28年(2016)年
ゼンリン地図「いつもNAVI(PC)」から
昭和27年(1952)年
『仙台市街明細地図』(金港堂、昭和27年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
仲の瀬橋が「中澱橋」と記されています。
昭和4年(1929)年
『大日本職業別明細図』(宮城県、昭和4年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
仲の瀬橋の位置が「大橋」とされていて、大橋には橋名がありません。
大正15年(1925)年
『仙台市全図』(川名文明堂、大正15年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
大正6(1914)年
『大日本職業別明細圖』(宮城県、大正6年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
明治44(1911)年
『地図名不詳』(東洋造畫館、明治44年)
明治20(1889)年
出典不明(明治20年頃)
天明6(1786)年
『仙台城下圖』(天明6(1786)年~寛政元(1789)年頃)
正保2(1645)年
『奥州仙台城絵圖』(正保2~3(1645~46)年頃)
もっとも古い仙台城下の地図ということです。現在の川内大工町の付近に
「侍屋敷」のほかに「中間屋敷」、「職人屋敷」が記されています。
「中間」は「小人」とも呼ばれていました。
「侍屋敷」のほかに「中間屋敷」、「職人屋敷」が記されています。
「中間」は「小人」とも呼ばれていました。