3・11東日本大震災後の町内活動の記録を掲載しました。
これは木村俊一会長が綴った日誌から、震災関係を抜粋したものです。
前に、島崎藤村を引き合いに出したが、仙台といったら、仙台出身の詩人、土井晩翠を欠かせない。広瀬川が登場する土井晩翠の詩は、私の知るかぎりでは2編ある。どちらも詩集「天地有情」におさめられている。
都の塵を逃れ來て
今わが歸る故郷の
夕涼しき廣瀬川
野薔薇の薫り消え失せて
昨日の春は跡も無き
岸に無言の身はひとり
土井晩翠「廣瀬川」部分 [1]
同じ昨日の深翠り
廣瀬の流替らねど
もとの水にはあらずかし
汀の櫻花散りて
にほひゆかしの藤ごろも
寫せし水はいまいずこ。
土井晩翠「哀歌」部分 [2]
これらも七五調の古格の詩である。藤村とは異なり、この地を故郷とする詩人らしい。「都の塵」と「故郷の/夕涼しき廣瀬川」の対比とか、「廣瀬の流替らねど/もとの水にはあらずかし」とあるのは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」 [3] という古典「方丈記」を下敷きにしていることなど、高い教養を共有する時空で表現が成立しているように見えるのは、明治近代詩の特徴なのかも知れない。あるリアリティ表現があって、そこから突き抜けて(昇華して、あるいは抽象化作用があって)間主観的な時空を形成するのが、文芸表現なのではないかと思っている私には、このような格調高い詩は、若干、苦手なのである(単に私の教養の問題ではあるのだけれども)。
「岸に無言の身はひとり」とあるのは、時には仕事も忘れて、広瀬川で一人釣りをしていた身と重ね合わせると、いくぶん物悲しいものがある。
時を得てむかしの友は榮ゆらん釣する翁見れば悲しも
正岡子規 [4]
この翁は、きっと私だ。
[1] 土井晩翠「天地有情」『世界名詩集大成16 日本I』(平凡社 昭和34年) p. 109。
[2] 土井晩翠「天地有情」『世界名詩集大成16 日本I』(平凡社 昭和34年) p. 101。
[3] 「日本の古典 37 方丈記 徒然草」(小学館 昭和61年) p. 17。
[4] 正岡子規「子規歌集」(岩波文庫 昭和3年) p. 21。
(HP 『ブリコラージュ@川内川前叢茅辺』から抜粋、転載しました)