川内町内会

仙台市青葉区川内
中ノ瀬町、大工町、川前丁、明神横丁、澱橋通、元支倉(一部)
HP & Blog

古地図で見る川内

2016年09月28日 | 川内〈昔〉アーカイブ

 

川内の歴史を地図の変遷でたどります
(現代から江戸まで古地図で遡っていきます)
 
 
 
平成28年(2016)年


ゼンリン地図「いつもNAVI(PC)」から


昭和27年(1952)年


『仙台市街明細地図』(金港堂、昭和27年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
仲の瀬橋が「中澱橋」と記されています。



昭和4年(1929)年


『大日本職業別明細図』(宮城県、昭和4年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
仲の瀬橋の位置が「大橋」とされていて、大橋には橋名がありません。


大正15年(1925)年

『仙台市全図』(川名文明堂、大正15年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)


大正6(1914)年


『大日本職業別明細圖』(宮城県、大正6年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)


明治44(1911)年


『地図名不詳』(東洋造畫館、明治44年)


明治20(1889)年


出典不明(明治20年頃)


天明6(1786)年


『仙台城下圖』(天明6(1786)年~寛政元(1789)年頃)


正保2(1645)年


『奥州仙台城絵圖』(正保2~3(1645~46)年頃)
もっとも古い仙台城下の地図ということです。現在の川内大工町の付近に
「侍屋敷」のほかに「中間屋敷」、「職人屋敷」が記されています。
「中間」は「小人」とも呼ばれていました。



 

 

 


2016/9/19 敬老の日

2016年09月19日 | 活動・行事報告
敬老の日
ご長寿、おめでとうございます!

 
今年は、町内の8人(男性5人、女性3人)の方が
満80歳のご長寿となられました。
各地区の役員がみなさんのご自宅に
お伺いして長寿のお祝いを申し上げ、
町内会からの「敬老お祝い金」を
お贈りいたしました。
 
 
町内の最高齢は、112歳というご長寿の
川内川前丁の松下しんさんです。

木村会長と工藤副会長がしんさん宅を訪問し、
花束を贈ってご長寿をお祝いいたしました。

松下しんさんは、昨年までは仙台市の最高齢でしたが、
今年は宮城県の最高齢として敬老の日を迎えられました。


木村会長と松下しんさん


右から、木村会長、松下しんさん、工藤副会長
小野寺順子
さんしんさんの三女)と愛犬イオ

 


ハザードマップ

2016年09月15日 | 防災情報

 

川内近辺のハザードマップを確認しておきましょう
 
8月22日には台風9号、つづく29日の台風10号は、各地に被害をもたらしました。
町内会でも広瀬川の増水に備えて避難準備体制をとって備えておりましたが、幸いなことに大きな被害もなく過ぎました。
これからの防災のために、仙台市による『水害・土砂災害ハザードマップ』から川内近辺を抜粋して紹介します。





 

散策スポット:「林子平の墓(龍雲院)」

2016年09月05日 | 川内近辺散策スポット

 「林子平、名を友直、六無斎と号し、仙台の川内に住み、寛政の三奇人の一人で憂国の先覚者であり」と、仙台市博物館敷地内に建てられている林子平の碑に刻まれています。
 林子平は、『海国兵談』や『三国通覧図説』を著し、早くから海防の重要性を説いた学者です。また、1785年の著作である『三国通覧図説』には、小笠原諸島が1593年に小笠原貞頼に発見されて日本領とされたことが記されており、この記述が小笠原諸島の帰属に関してもっとも古いことが確認され、国際的に日本領として認められる根拠となりました。

 林子平の墓は、仙台市青葉区子平町の金臺山龍雲院に祀られています。川内から龍雲院へは、澱橋を渡ってまっすぐ北へ歩いて、15分ほどで行くことが出来ます。澱橋から尚絅学園の前の坂を上り、国道4号(作並街道)を越え、土橋通りの道を上っていけば龍雲院の門前に突き当たります。

龍雲院の山門と本堂

 


(2016/6/1 6:03, 6:05)

 伊達政宗によって開かれた龍雲院は、政宗に従って米沢、岩出山を経て現在地に移された寺院です。この寺には、伊達藩隠密組織「鴉組」の大将だった細谷十太夫や、歌謡曲の作曲で知られる万城目正の墓もあります。

六角堂と並ぶ鞘堂


(2016/6/1 6:05)

  鞘堂と墓石


(2016/6/1 6:06, 6:07)

 本殿の左に林子平木像を安置する六角堂や墓をおさめる鞘堂が並んでいます。鞘堂の中には本当に質素で小さな林子平の墓石が安置されています。この墓地は、国指定の史跡となっています。

林子平の日時計


(2016/6/1 6:07)

  六角堂の前には、「林子平先生長崎遊学から書写、持ち帰った日時計」があります。

六無斎の碑


(2016/6/1 6:06)

 子平は、寛政3(1791)年に「海国兵談」を著したことで、人心を惑わした咎で幕府から仙台藩での蟄居を命じられ、本は発禁処分、木は没収されてしまいました。その時に詠んだ歌が「親もなし、妻なし、子なし、はん(版)木なし、かねもなければ、死にたくもなし」で、この碑に刻まれています。これが「六無斎」を号した由来になっています。
 子平は、寛政5(1793)年に56歳で亡くなり。この墓に納められました。

 龍雲院にある一帯から北山にかけてはたくさんの寺院が並んでいて、古い寺町の趣があります。龍雲院の山門の右手奥から裏に抜ける細道があって、隣接する江巌寺と正圓寺の間の道に出られて、寺町散策の起点にすることもできます。



 

「川内ガイド」目次に戻る

トップページに戻る