the Laughing Gnome

スポーツ・音楽・美術に関する話題。
庭園めぐりのような老人趣味についても。

蘇る昭和末期~平成初期

2009-03-14 | 音楽の泉
カーネルが発見されたり石原マリコと玉置が復縁したり、なんとも不思議なことの多い世の中。

昨日、TBSの「金スマ」を途中からだったが見て、衝撃を受けた。

川村カオリ(TBS「キミハブレイク」)


友達が「川村かおり(当時の表記)」に似ているということで学校の話題になった。その人はハーフではないが、川村本人は中学時代日本と関係が悪いロシアとのハーフということでひどいいじめにあっていたという。友達(似ているといわれた人)はむしろそれで人気者になったのだが。まあ、彼女はハーフではないし、日ロ関係も全く違っていたけど。1990年前後だと私の育ったような田舎でもむしろハーフはかっこいい、と思われていたと思う。
木曜日の「テレビ東京開局45周年記念6夜連続特番第4弾『トンネルの向こうはぼくらの楽園だった』」エリザベス・サンダース・ホームの話(進駐軍兵士と日本人の子供(当時は蔑称の「あいのこ」)の養護施設の話でも思ったが日本社会の同調圧力と排他性というのは今も強いと思うが、昭和時代にはそれは今では考えられないような強烈さがあったと改めて思った。
TBSの番組に出ていたベッキーは「いやな目に合うこともあったがハーフはむしろ得なほうが多かった」今の世代だが、サンダースホームにいた人や川村カオリは「排斥される対象」だった、と。前に新聞の土曜版で読んだジェリー藤尾のエピソードもすごかったし。ということは1980年代後半ぐらいが意識の転換点だったのかなあ。海外との行き来も一般的になった時代だし。1ドル=170円ぐらいだったけど。それでも気分的にはかなり開放的になったのでは。もっとも川村カオリはロシア系ということもあったのでまた別の特殊な事情があったかもしれないが。

川村カオリはその後メジャー引退、インディ活動、DJ、モデル、再メジャーデビューとあるわけだけど、一方でガン、ガンの再発、転移と戦っている。

JAL I'LL アイル 川村かおり 60" 1991


私にとっては「川村かおり」といえばこのCM。

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