暇人のぐうたら日記

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人の価値って何?

2018-08-06 06:42:35 | たわごと

最近、巷では生産性という言葉が流行っているようだ。生産性革命などと大して役に立たない言葉だけが躍ることを言い続けた責任である。一部政治家や産業界では、生産性=人の価値みたいなとらえられ方がされているようだ。では、生産性とは何なのか?この人たちには、個人がどれだけ稼ぐ力があるかということになる。

ここで、もし仮に稼ぐ人ばかりの社会が存在したとしよう。そうすると、健全な競争が生まれないと言うことになる。なぜなら、稼げる人がいるということは、必ず稼げない人も出てくるのが競争原理である。勝つ人がいれば、そこには負ける人もいる。当然の摂理である。

そもそも人の価値って何なのだろうか。多様性が人の価値みたいに言う人がいる。しかし、これもおかしな話である。多様性とはもともと存在しているはずのものであるから、敢えてそこに価値を持たせることに何の意味もないだろう。

さて、困った人の価値を測る尺度がなくなった。そうなのである、人の価値を図る尺度などないのである。人は生物として地球上に存在し、生まれては死んでいく。死ぬことは避けられないが、生物の本能として精一杯生きることを強いられる。その中で、生存競争が生まれ、ある者は富、ある者は落ちていく。ある者は他人のため、社会のために自己犠牲となることを厭わない。ある者は、自己の保身から他人を傷つけてまで生きようとする。

これも一つの多様性として、社会は容認している。しかし、あまりに寛容になりすぎると、自分の欲求を満たすために他人を騙したり、他人の物を奪ったりするものがいるから、犯罪という形で一定の節度を保つように法律が作られている。

問題は、この法律を作る人間が勝手に人の価値=生産性という短絡的思考に陥っていることである。そうなると、本来は個人が個人として生きることが制約され、いわゆる生産性がないと判断された個人は排除されることになる。

人の価値を図る尺度などないのに、そこにレッテルを貼り、「お前は価値のない人間だと言う。」価値がないと言われた人間は、価値がないと自ら判断し、命を絶つようになるものもいるだろう。

確かに、お金持ちは羨ましい。お金を稼ぎ贅沢をしたいと思う気持ちは分る。だからと言って、稼げる=人の価値ではない。

これが、悪まで一方的な立場から見た価値であり、そこには一方的な根拠しかない。

生きるのが人の価値という人もいるが、人は必ず死ぬ。精一杯努力することが人の価値という人もいるが、怠け者もいる。怠け者=悪というのは、多様性を無視したやはり一方的な見方でしかない。

人の価値って何?=人の価値ってないというのが結論だ。ヒトも生物の一種類として地上に存在しているに過ぎず、頭の中で各々の人生観を持って生きている。

夏の夜お寝床にうるさい蚊の羽音がすると排除したくなるのと同じく、自分と違った思想や生き方を持った人を排除したくなるのも理解できる。しかし、それを一方的立場から勝手に価値の判断基準を作り出し、排除しようとするのは、あまりにも自己中心的すぎる。それが、組織的に権力をゆうするものが行うということは、社会を破滅に導くだけである。許されることではない。

 


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