暇人のぐうたら日記

暇人がぐうたらな日々をつづる

無駄を排除した後に残るもの

2019-01-01 17:47:22 | たわごと
やることも無く暇なので今年の課題でも考えてみようと思った。特に自分の事でなくとも何かしら暇つぶしができれば良い。すると、社会の問題として排除と言う言葉が昨年来の課題として未だ答えが得られていないことを思い出した。排除とは、社会に必要にないものは切り捨てると言う考えである。理屈として排除は理にかなっている様に思えるから、支持も得られやすい。恐らく今年もこの考えは優先課題として実効されることだろう。しかし、果たして無駄を排除した社会に何が残るのかと言う疑問が浮かんだ。人が生きるのもある期間であるから、生きる為の活動に価値はない。人が生きる上で必ず廃棄物が放出されるのだから。経済も自然を破壊するという観点からすれば排除に値する。人は人の為に生きるのだとすれば、排除の理屈が矛盾する。何故なら、前提として社会に必要ないものが排除の対象だからである。となると、排除の理論とはある人たち、例えば、健康で元気でお金持ち、の観点から観た一方的な観点であることがわかる。しかし、彼らもいずれは排除される側に回るのだから自己矛盾を内包している。となれば、排除と言う課題は事故みたいに偶然、偶発的なもので、そこにたまたま当たった人の災難みたいなものだ。答えがない課題は、永久に解が得られないから、課題として残るのだろう。無駄を排除したらやはり何も残らないのだろう。今年も無駄な人たちが、排除されて消えて行く事になる。今年は誰が消えていなくなるのだろうか。?それが課題た!

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