さて平の高房に出掛けた小生だが、行きがけにどこかに立ち寄りたいと思い、思い出したのが、以前ぶっちゃけ寺で紹介されていた「輪王寺」のこと。
日光というと東照宮のイメージがあまりに強いが、実は勝道上人が日光山輪王寺として奈良時代に開山したことが元になっている。
家康の死後、東照宮をそこに設置したのは江戸時代になってからだから、日光の山中では東照宮は新参者ということになる。
現在は二荒山神社と二社一寺で日光山の社寺を形成しているが、いずれにせよ小生これまで輪王寺にも二荒山神社にも行ったことがなかったので・・・
いや正しくは東照宮に隣接している鳴龍のあるお堂には行っていたが・・・さて到着してみて、改めて二社一寺が入り組んでいることに気付いた。こちらをご参考に・・・
さて、まずは大猷院に向かう。こちらは三代将軍家光廟として作られたものだ。生前から家康に対してはリスペクトしていた家光が、東照宮よりわずかに劣るよう作ったという。
とはいえ、本当にここってお寺なの? というくらいに絢爛豪華。手水舎もこのきらびやかな佇まい(上左写真)だし、東照宮ですと言われてもわからないかも。
こちらの右写真が家光公の墓所の入口だという。13年前に350回忌で公開されたそうだが、次回は400回忌なのであと37年・・・絶対に無理だ(汗)
だが、今は家康没後400年の記念行事で特別公開されているものがある。それが家康公の位牌であり、大猷院の拝殿にある。こちらを見ながら、日光名物特別お守りのセールスに・・・
さて、こちらを満喫した後に、二荒山神社にお参りし、さらに三仏堂に回る。こちらは輪王寺の本堂というべきもので、東日本では最大の木造建築らしい。
だが、今はちょうど大修理の最中で建物は見られない。逆に、本尊の足元などを見ることができたり、屋根の修理状況を天空回廊という臨時施設から見ることができた。
ちなみにその本尊は堂の名前どおり本尊は三体あり、その三仏は千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音で、黄金に輝く大きなものだった。
その他の施設もたくさんあったが、ゆっくり回っていると宿のチェックインに影響するので今回はここまで・・・と。
いやあ、今まで東照宮だけを見に行っていて、まったく気づかなかった日光の奥行きがさらに見えてきたぞ。それにしても輪王寺のスケールの大きさがこれほどとは・・・
天海和尚の大きな声が今でも聞こえてきそうな・・・
日光というと東照宮のイメージがあまりに強いが、実は勝道上人が日光山輪王寺として奈良時代に開山したことが元になっている。
家康の死後、東照宮をそこに設置したのは江戸時代になってからだから、日光の山中では東照宮は新参者ということになる。
現在は二荒山神社と二社一寺で日光山の社寺を形成しているが、いずれにせよ小生これまで輪王寺にも二荒山神社にも行ったことがなかったので・・・
いや正しくは東照宮に隣接している鳴龍のあるお堂には行っていたが・・・さて到着してみて、改めて二社一寺が入り組んでいることに気付いた。こちらをご参考に・・・
さて、まずは大猷院に向かう。こちらは三代将軍家光廟として作られたものだ。生前から家康に対してはリスペクトしていた家光が、東照宮よりわずかに劣るよう作ったという。
とはいえ、本当にここってお寺なの? というくらいに絢爛豪華。手水舎もこのきらびやかな佇まい(上左写真)だし、東照宮ですと言われてもわからないかも。
こちらの右写真が家光公の墓所の入口だという。13年前に350回忌で公開されたそうだが、次回は400回忌なのであと37年・・・絶対に無理だ(汗)
だが、今は家康没後400年の記念行事で特別公開されているものがある。それが家康公の位牌であり、大猷院の拝殿にある。こちらを見ながら、日光名物特別お守りのセールスに・・・
さて、こちらを満喫した後に、二荒山神社にお参りし、さらに三仏堂に回る。こちらは輪王寺の本堂というべきもので、東日本では最大の木造建築らしい。
だが、今はちょうど大修理の最中で建物は見られない。逆に、本尊の足元などを見ることができたり、屋根の修理状況を天空回廊という臨時施設から見ることができた。
ちなみにその本尊は堂の名前どおり本尊は三体あり、その三仏は千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音で、黄金に輝く大きなものだった。
その他の施設もたくさんあったが、ゆっくり回っていると宿のチェックインに影響するので今回はここまで・・・と。
いやあ、今まで東照宮だけを見に行っていて、まったく気づかなかった日光の奥行きがさらに見えてきたぞ。それにしても輪王寺のスケールの大きさがこれほどとは・・・
天海和尚の大きな声が今でも聞こえてきそうな・・・
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