私はリビアの派遣の期間でも、りビヤ人の生活などに興味があり、色々な同じ職場のメカニックなどの、
家に招待されたりして、興味深く観察するのが好きであった。
タイに遊びに行きだしても、仲良くなった女性の住処を尋ねるのが、興味があり、
家に案内して貰っていたのであるが。
イサーン出身の女性と仲良くなり、どんな所に住んで、どんな生活をしているのか、
興味がわき案内させて、部屋を見る事ができたのでるが、
ラチャダー地域のマンションと言うか、門番が居る5階位の部屋に住んで居た。
部屋に入るとベット、冷蔵庫、テレビ等がが有って、
タイ人にしては良い生活をしているなと思ったが、
部屋には窓が無いのである、窓のない部屋を見るのは初めてである。
何か閉塞感を感じ、長いは無用と自分のホテルに帰ったのであるが、
次に有った時、チェンマイを観光して、その娘の実家の近くの遺跡に行く事になっていた。
チェンマイ観光の時、友達と言う観光案内人の夫婦と、同行する事になったのである。
色々な名所は見て歩けたが、経費も思ってより掛かり、バンコクに帰っても、
予定と違い向こうの思うつぼに、引っかかってしまっと思っていた、
イサーンの遺跡旅行には、娘の実家に泊まる事になっていたが、
姉が実家の親の面倒を見ているのだが、テレビや冷蔵庫も無いので、私が買ってやると言う話が付いていた。
今考えれば馬鹿で甘い話であるが、その時は人を助けても良いと思っていた。
だけど実家の姉から家には、泊まれないと電話が有り、ホテルに泊まって欲しいと言う事で有った。
その後家に寄ってくれと言うのである。
私はその時は状況を理解できなかった、多分私の事が気に入らないのだろうと思っていた。
私はイサーンに行かないと言い、喧嘩となったが、約束の冷蔵庫とテレビを買うお金は渡した。
娘一人でイサーンの実家に帰って行った。
娘が帰るまでバンコクで待っているとの約束であったが、別の飛行機のチケットを買い、
娘が帰るまでに日本に帰っていた。
娘からは私が帰る正規の予定の日に、飛行場で貴方を探したがいなかったと、連絡が有ったが、
勿論無視をしたので有るるが、今考えるとタイの貧困家庭の家は、
外国人を泊める余裕も無い酷い所で有ったと、思うのであるが。
縁が切れて、返って良かったと思うこの頃である。
「なんで?、僕は良いことしてるのに、この人たちは恩を仇で返すなんて…」という図式(x_x)
その幾つかには、自動車が有ったりして・・
モタサイも無い家で、3日位、一緒に暮らしてみたい~~♪
カラハリ砂漠のブッシュマンが、貧困だとは思えない~~♪
小さな窓は有りましたが鉄格子付きで暗い部屋に「牢獄みたい」って思いましたね。
タイの貧困家庭の家に留まった事は無いですが、中流の下の義両親宅でも先進国の人には厳しいでしょう。
日本に比べたら田舎の家は、初めは家の中を見て驚きましたね。