潤子さん、こんばんは
向田和子著 「向田邦子の恋文」 を読みました。 恋人のN氏は13歳年上のカメラマンで彼女
が24、5歳の頃から35歳まで、N氏が自死するまでの10年間続いたようです。 本を読んで何
かホッとしましたよ。 向田さんの直木賞受賞のお祝いパーティーで、森繁久弥のスピーチを
思い出すからでしょう。
「向田さんとは、一番古い仲でして。 二人の間には事件も・・・・(エヘン・エヘンと咳ばらいを
した)・・・・ありましたので、一番先に挨拶というのも適当かなと。 三十年のつきあいになりま
す。 あの頃この人は、処女であったように思います。 つまびらかでは、ありませんが。 で、
暇を見つけては 『一晩でいいんだけど』 と、いいよりまして。 下品な言いかたでした。 直木
賞のかたに、こういういいかたするなんて、ダメに決まってますんですけど、向田さんは軽く、
うけ流して 『まあ、そのうちにね』・・・」
森繁との出会いは30歳前後のことだと思います。 30歳で処女のおもむきがあったなんて
凄いとおもいませんか。 家族にも秘密だったN氏との交際。 向田家の実家から歩いて30分
の距離にあるN氏の家。 N氏の日記からは脳卒中の後遺症で最後の2年間は仕事も出来き
ない、彼の許を夕方食材を持って訪ね、夕食を共にしたあと、10時過ぎに実家に戻ることが
多かったみたいです。 妹の和子さんは没後20年後に姉のアルバムを開くとN氏が撮ったと
思われるポートレートがたくさん出てきたのだとか。 チェックのプリーツスカートは邦子さんの
お手製で、9歳年下の和子さんは見覚えがあったそうです。

二十代のポートレートを繰り返し、繰り返し見た。 一枚の写真にドキっとした。 旅先の宿で
姉は窓際の籐椅子に腰掛けている。 その前の小さなテーブルの上に二つの茶碗があり、
一枚の皿に二本のフォークがきれいに並んでいる。 おびただしい数のポートレートを
何度も見ながら、小さな疑問はいくつもあった。 でも私自身がピンボケで、違和感
を持つだけだったが、この一枚の写真が、この一枚の写真がモヤモヤに鋭い
亀裂を走らせた。 えっ、これって。 そうだったのか。 カメラマンN氏と
二人旅だったのだ。 二人の仲を一枚の写真が静かに物語る。

暗闇を切り裂き、光があたって、少しずつ見えてきた。 N氏のことは誰に聞くともなく聞いて
いたが、興味もなく、視野の外にあった。 自分には関係のないことだった。 ところが亀裂
の走った瞬間、母の話や中学生頃の家庭環境、それに小さな疑問のいくつかが一つに集約
されて迫ってきた。 涙がこみあげ、どうしようもなく泣けて仕方がなかった。
「お姉ちゃん、そんなに好きだったんだ。 どんなに障害があっても、何年かかっても、駆落ち
したって、よかったのに。 お姉ちゃん、情熱家だったじゃない。どうして踏み切れなかったの。
なぜ家を出なかったの・・・・」
潤子さんとの縁で向田さんのエッセイを何冊も読んで感じたことは、結婚相手を見つけるのは
難しかっただろうなということ。 精神年齢が高そうで、それに見合う男性はそういないだろうし、
恋愛対象は一回り以上年上の男性だろうなと考えていましたから。 それもカメラマンでした。
知り合った経緯は定かでありませんが、プライベートでポートレートをとってもらうなんて、
好意をもっていなくてはありえませんからね。 父のアルバムにも女性のポートレートがあって、
影響を受けましたよ。 学生時代に55ミリのレンズで仲間のポートレートをたくさん撮りました。
公開できなくて残念。 ぼくの宝ものですから。 向田邦子さんの恋を知ってほっとしたというか
仕合せでした。
今夜は子供から父の日にもらった 「プレミアム・モルツ」 で潤子さんと一緒に向田邦子さんの
恋に献杯しましょう。

プレミアムといえば6月29日にBSプレミアムで「マダムと鉄道と大自然 二子玉川」という番組が
あるそうです。 ニコタママダムの潤子さん、ダイジェストをご覧になりませんか。
向田和子著 「向田邦子の恋文」 を読みました。 恋人のN氏は13歳年上のカメラマンで彼女
が24、5歳の頃から35歳まで、N氏が自死するまでの10年間続いたようです。 本を読んで何
かホッとしましたよ。 向田さんの直木賞受賞のお祝いパーティーで、森繁久弥のスピーチを
思い出すからでしょう。
「向田さんとは、一番古い仲でして。 二人の間には事件も・・・・(エヘン・エヘンと咳ばらいを
した)・・・・ありましたので、一番先に挨拶というのも適当かなと。 三十年のつきあいになりま
す。 あの頃この人は、処女であったように思います。 つまびらかでは、ありませんが。 で、
暇を見つけては 『一晩でいいんだけど』 と、いいよりまして。 下品な言いかたでした。 直木
賞のかたに、こういういいかたするなんて、ダメに決まってますんですけど、向田さんは軽く、
うけ流して 『まあ、そのうちにね』・・・」
森繁との出会いは30歳前後のことだと思います。 30歳で処女のおもむきがあったなんて
凄いとおもいませんか。 家族にも秘密だったN氏との交際。 向田家の実家から歩いて30分
の距離にあるN氏の家。 N氏の日記からは脳卒中の後遺症で最後の2年間は仕事も出来き
ない、彼の許を夕方食材を持って訪ね、夕食を共にしたあと、10時過ぎに実家に戻ることが
多かったみたいです。 妹の和子さんは没後20年後に姉のアルバムを開くとN氏が撮ったと
思われるポートレートがたくさん出てきたのだとか。 チェックのプリーツスカートは邦子さんの
お手製で、9歳年下の和子さんは見覚えがあったそうです。




二十代のポートレートを繰り返し、繰り返し見た。 一枚の写真にドキっとした。 旅先の宿で
姉は窓際の籐椅子に腰掛けている。 その前の小さなテーブルの上に二つの茶碗があり、
一枚の皿に二本のフォークがきれいに並んでいる。 おびただしい数のポートレートを
何度も見ながら、小さな疑問はいくつもあった。 でも私自身がピンボケで、違和感
を持つだけだったが、この一枚の写真が、この一枚の写真がモヤモヤに鋭い
亀裂を走らせた。 えっ、これって。 そうだったのか。 カメラマンN氏と
二人旅だったのだ。 二人の仲を一枚の写真が静かに物語る。

暗闇を切り裂き、光があたって、少しずつ見えてきた。 N氏のことは誰に聞くともなく聞いて
いたが、興味もなく、視野の外にあった。 自分には関係のないことだった。 ところが亀裂
の走った瞬間、母の話や中学生頃の家庭環境、それに小さな疑問のいくつかが一つに集約
されて迫ってきた。 涙がこみあげ、どうしようもなく泣けて仕方がなかった。
「お姉ちゃん、そんなに好きだったんだ。 どんなに障害があっても、何年かかっても、駆落ち
したって、よかったのに。 お姉ちゃん、情熱家だったじゃない。どうして踏み切れなかったの。
なぜ家を出なかったの・・・・」
潤子さんとの縁で向田さんのエッセイを何冊も読んで感じたことは、結婚相手を見つけるのは
難しかっただろうなということ。 精神年齢が高そうで、それに見合う男性はそういないだろうし、
恋愛対象は一回り以上年上の男性だろうなと考えていましたから。 それもカメラマンでした。
知り合った経緯は定かでありませんが、プライベートでポートレートをとってもらうなんて、
好意をもっていなくてはありえませんからね。 父のアルバムにも女性のポートレートがあって、
影響を受けましたよ。 学生時代に55ミリのレンズで仲間のポートレートをたくさん撮りました。
公開できなくて残念。 ぼくの宝ものですから。 向田邦子さんの恋を知ってほっとしたというか
仕合せでした。
今夜は子供から父の日にもらった 「プレミアム・モルツ」 で潤子さんと一緒に向田邦子さんの
恋に献杯しましょう。

プレミアムといえば6月29日にBSプレミアムで「マダムと鉄道と大自然 二子玉川」という番組が
あるそうです。 ニコタママダムの潤子さん、ダイジェストをご覧になりませんか。