潤子さん、こんばんは 冬の戻りのような気候ですが、お元気でお過ごしでしょうか。
27日~30日まで関西方面へ独り旅に出ていました。 順次旅の模様をご報告します。
3年前の3月27日にご主人を亡くされましたね。 あの日ぼくと家人は甲子園球場で
高校野球を観ていました。翌日大阪の海遊館を見学中に家族から訃報が届きました。
そんなことで、毎年春の高校野球が始まると3年前の旅を思い出すのです。
今回はセンチメンタルジャーニー?
早朝の新幹線を利用して①9時半に野球日和の甲子園に到着。 三塁側のアルプススタンド
で観戦しました。 第一試合は熊本の秀岳館と栃木の作新学院で、3対2で秀岳館の勝ち。
②ぼくの席は作新学院の攻撃の回は、スーザフォンンが視界を遮り球筋が見ずらかったけど、
小気味の良い試合でした。 ③風向きからか秀岳館のブラスバンドの演奏が小編成にもかか
わらず冴えわたり好印象。 ④応援のパターンはいろいろあって、ある時はリーダーの一人
が選手の名前が書かれたカードを掲げると、”頑張れ、頑張れ、ジュン”と声援を送るのです。
近くに家族の方や友人がいるのでしょうか、”ジュンチャーン”という黄色い声もして、ぼくの
脳には”ジュン”が”潤”に変換されて届くのが不思議でした。
作新学院の演奏では 【アフリカン・シンフォニー】 が良かった。 吹奏楽の定番なんですが、
これを 【応援歌・アフリカン・シンフォニー】 として甲子園に持ち込んだのは智弁和歌山でした。
ご存知でしたか?。。 この曲を聞きながら映画 「陽のあたる教室/ Mr. Holland's Opus」 の
ラストシーンで演奏される【アメリカン・シンフォニー】が耳によみがえるのでした。
① ② ③ ④
試合が終わると作新学院の応援団に代わって早稲田実業の生徒と関係者が入って来ます。
ぼくの前には早稲田実業のタオルを被った女性が二人座り、右隣で作新学院を応援していた
男性はこれからが本番という感じで上着を脱ぐではありませんか。 そして早実の応援に精通
しているのです。 ノリノリの応援に前出の女性が降り返り 「早実の卒業生ですか?」 と問うと
「いや、大学を三年前に卒業しました。 名古屋に住んでるけど休暇を取って東京まで応援に
行くんですよ。」 とにっこり。後輩が隣にいたんですね。 三回の表に早実が先取点をあげると
大歓声のなか件の女性は振り返ると、彼とハイタッチ、周囲のテンションが一気高まります。
昔日の早慶戦を想いながら 【紺碧の空】 を歌い彼女にカップを向けて喜びを分ち合いました。
応援もむなしく早実は負けたけど清宮君人気でしょうか、観客席は溢れんばかりでしたよ。
勝ったのは福岡県の東海大福岡。 福岡県といえば潤子さんのブログを介して浅からぬご縁
があった女性が在住する県で、東海大福岡に”星野”という名の選手が出場しているのを知り
何年か前、潤子さんのコンサートを追って福岡に行ったついでに、星野村を訪れたことが思い
出されるのでした。 第三戦は大阪桐蔭が静岡を下しました。
甲子園から阪神電鉄と近鉄で近鉄難波駅に出て、難波ウォークを歩いて日本橋へ出てから、
黒門市場を訪ねました。 潤子さんが行儀見習いのため黒門市場にある親戚にいたことが
あると話していましたね。 朝ドラ 「ごちそうさん」 の舞台にもなった黒門市場は8割くらいは
外国人観光客でした。 東京のアメ横や京都の錦市場みたいな感じで、ぼくは300円のうどん
を食しました。 うどんのモチモチ感は絶品で遅い昼食になりました。 熟成させた麺を使って
いるそうで、今回の4日間の旅行で一番うまかったのがこれでした。
空腹を満たしてから堺筋をホテルまで歩きました。 休息後地下鉄堺筋線の日本橋駅から
南森町下車、天神橋筋商店街にある寄席を目指します。 18時30分開演で間があるので
隣接した天満宮にお参りしてから商店街を歩いたけど、日本一長いアケード街らしいですね。
南北2.6km。 潤子さんもご存知の都内で一番長い武蔵小山 「パルム」 が800mですから、
その長さが分かるというものです。
落語の方は桂文三師匠の独演会で、東京から客演者として春風亭一之輔師匠が駆け付け
ました。 春風亭一之輔?・・だったけど顔を見て新宿末廣亭で彼の落語を聞いたことを思い
出しました。 達者な話ぶりで、なにか拾い物をしたような心地でしたよ。
晩飯は天神橋筋商店街で穴子の一本付け定食1100円でした。
今日の一席は大阪天満宮にちなみ春風亭一之輔で【初天神】をお届けします。
27日~30日まで関西方面へ独り旅に出ていました。 順次旅の模様をご報告します。
3年前の3月27日にご主人を亡くされましたね。 あの日ぼくと家人は甲子園球場で
高校野球を観ていました。翌日大阪の海遊館を見学中に家族から訃報が届きました。
そんなことで、毎年春の高校野球が始まると3年前の旅を思い出すのです。
今回はセンチメンタルジャーニー?
早朝の新幹線を利用して①9時半に野球日和の甲子園に到着。 三塁側のアルプススタンド
で観戦しました。 第一試合は熊本の秀岳館と栃木の作新学院で、3対2で秀岳館の勝ち。
②ぼくの席は作新学院の攻撃の回は、スーザフォンンが視界を遮り球筋が見ずらかったけど、
小気味の良い試合でした。 ③風向きからか秀岳館のブラスバンドの演奏が小編成にもかか
わらず冴えわたり好印象。 ④応援のパターンはいろいろあって、ある時はリーダーの一人
が選手の名前が書かれたカードを掲げると、”頑張れ、頑張れ、ジュン”と声援を送るのです。
近くに家族の方や友人がいるのでしょうか、”ジュンチャーン”という黄色い声もして、ぼくの
脳には”ジュン”が”潤”に変換されて届くのが不思議でした。
作新学院の演奏では 【アフリカン・シンフォニー】 が良かった。 吹奏楽の定番なんですが、
これを 【応援歌・アフリカン・シンフォニー】 として甲子園に持ち込んだのは智弁和歌山でした。
ご存知でしたか?。。 この曲を聞きながら映画 「陽のあたる教室/ Mr. Holland's Opus」 の
ラストシーンで演奏される【アメリカン・シンフォニー】が耳によみがえるのでした。
① ② ③ ④
試合が終わると作新学院の応援団に代わって早稲田実業の生徒と関係者が入って来ます。
ぼくの前には早稲田実業のタオルを被った女性が二人座り、右隣で作新学院を応援していた
男性はこれからが本番という感じで上着を脱ぐではありませんか。 そして早実の応援に精通
しているのです。 ノリノリの応援に前出の女性が降り返り 「早実の卒業生ですか?」 と問うと
「いや、大学を三年前に卒業しました。 名古屋に住んでるけど休暇を取って東京まで応援に
行くんですよ。」 とにっこり。後輩が隣にいたんですね。 三回の表に早実が先取点をあげると
大歓声のなか件の女性は振り返ると、彼とハイタッチ、周囲のテンションが一気高まります。
昔日の早慶戦を想いながら 【紺碧の空】 を歌い彼女にカップを向けて喜びを分ち合いました。
応援もむなしく早実は負けたけど清宮君人気でしょうか、観客席は溢れんばかりでしたよ。
勝ったのは福岡県の東海大福岡。 福岡県といえば潤子さんのブログを介して浅からぬご縁
があった女性が在住する県で、東海大福岡に”星野”という名の選手が出場しているのを知り
何年か前、潤子さんのコンサートを追って福岡に行ったついでに、星野村を訪れたことが思い
出されるのでした。 第三戦は大阪桐蔭が静岡を下しました。
甲子園から阪神電鉄と近鉄で近鉄難波駅に出て、難波ウォークを歩いて日本橋へ出てから、
黒門市場を訪ねました。 潤子さんが行儀見習いのため黒門市場にある親戚にいたことが
あると話していましたね。 朝ドラ 「ごちそうさん」 の舞台にもなった黒門市場は8割くらいは
外国人観光客でした。 東京のアメ横や京都の錦市場みたいな感じで、ぼくは300円のうどん
を食しました。 うどんのモチモチ感は絶品で遅い昼食になりました。 熟成させた麺を使って
いるそうで、今回の4日間の旅行で一番うまかったのがこれでした。
空腹を満たしてから堺筋をホテルまで歩きました。 休息後地下鉄堺筋線の日本橋駅から
南森町下車、天神橋筋商店街にある寄席を目指します。 18時30分開演で間があるので
隣接した天満宮にお参りしてから商店街を歩いたけど、日本一長いアケード街らしいですね。
南北2.6km。 潤子さんもご存知の都内で一番長い武蔵小山 「パルム」 が800mですから、
その長さが分かるというものです。
落語の方は桂文三師匠の独演会で、東京から客演者として春風亭一之輔師匠が駆け付け
ました。 春風亭一之輔?・・だったけど顔を見て新宿末廣亭で彼の落語を聞いたことを思い
出しました。 達者な話ぶりで、なにか拾い物をしたような心地でしたよ。
晩飯は天神橋筋商店街で穴子の一本付け定食1100円でした。
今日の一席は大阪天満宮にちなみ春風亭一之輔で【初天神】をお届けします。