☆御礼☆3 2014/03/29
潤子さん、東京の桜は昨日が満開でしたが、冷たい雨模様でした。
今日は一転して雲ひとつない快晴で暖かかったですね。 洗足池は春休みということで子供連れの
お母さんが多かったです。 餌をもらおうとスワンボートを追うキンクロハジロ、飛び交うユリカモメ。
池畔はまさに春でした。 その後ぼくの自転車は中原街道を丸子橋方面に向かいます。
後ろからついて来る家人は 「多摩川に行くの?」 と。 「いや、奥沢」、「何しに行くのよ」 と怪訝そうな家人。
「奥沢神社へ行ってみたいんだ。 君が奥沢病院に入院したとき、帰りにお参りしたんだよ。」
この気持に嘘偽りはないのですが、本心は奥沢2丁目の 「山本邸跡」 を再度訪ねてみたかったのです。
古い住宅地図を見ると山本俊彦と記載されている場所に。 中原街道から呑川沿いに緑が丘駅を目指します。
潤子さんもご存知の桜並木は満開の花で、なぜか西行の和歌
~ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ~が思い出されるのです。
山本俊彦ご夫妻が歩いたであろう、ぼんぼりに灯りが入る頃の夜桜を想像しながら。
まず奥沢病院の50m先にある奥沢神社に参拝。 門口に左目黒道、右品川道という道標がありました。
奥沢神社からの帰りに、「棕櫚のある家があったら教えて」 と家人に呼び掛けます。
「棕櫚がどうしたのよ。 わたしの家にもあったのよ」。 奥沢海軍村のことを説明しました。
そしてすぐ見つかりました。 家人はここよと叫んでいます。 ぼくのお目当ては手前の家の敷地。
手招きして家人を呼び寄せると、ここがどういう場所だったか初めて打ち明けました。
「そうなの!」 と目を丸くする家人。 道路の突き当たりを大井町線の列車通り過ぎて行きます。
今日ここに立つと、裸一貫で大阪から出て来たご主人が潤子さんと出勤していく後姿が目に浮かぶのです。
この場所を再訪したくなったのは、昨日初めてご主人の逝去を伝えるNHKのニュースを視聴したからです。
ハイファイセットというグループを知ったのは妹が買った一枚のLPでした。 でもそのレーコードは聴きませんでした。
ジャケ写とハイファイセットという名前が印象に残っただけ。 潤子さんのブログにおじゃまするようになって
赤い鳥やハイファイセットを知りました。 勿論、メンバーの山本俊彦さんがご主人であることも。
音楽活動の第一線から退かれていたこともあり、山本潤子さんのご主人という認識で。
でも、ニュースのなかに潤子さんの名前が出てきませんでしたね。
これって、ある意味すごいことでぼくは感動してしまうのです。
好きな曲はたくさんありますよ。 けど、NHKのニュースの取り扱いでご主人の人柄と才能を客観的に
知ることができました。 すばらしいリーダーだったのですね。 ニュースを観たらあの場所に立ってみたくなり
なりましたよ。 潤子さん、しっかり食事をしてくださいね。 そして週末の茅ヶ崎と浜松では元気な姿を見せて
ください。 それが何よりの供養になるのかもしれません。
今日は一転して雲ひとつない快晴で暖かかったですね。 洗足池は春休みということで子供連れの
お母さんが多かったです。 餌をもらおうとスワンボートを追うキンクロハジロ、飛び交うユリカモメ。
池畔はまさに春でした。 その後ぼくの自転車は中原街道を丸子橋方面に向かいます。
後ろからついて来る家人は 「多摩川に行くの?」 と。 「いや、奥沢」、「何しに行くのよ」 と怪訝そうな家人。
「奥沢神社へ行ってみたいんだ。 君が奥沢病院に入院したとき、帰りにお参りしたんだよ。」
この気持に嘘偽りはないのですが、本心は奥沢2丁目の 「山本邸跡」 を再度訪ねてみたかったのです。
古い住宅地図を見ると山本俊彦と記載されている場所に。 中原街道から呑川沿いに緑が丘駅を目指します。
潤子さんもご存知の桜並木は満開の花で、なぜか西行の和歌
~ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ~が思い出されるのです。
山本俊彦ご夫妻が歩いたであろう、ぼんぼりに灯りが入る頃の夜桜を想像しながら。
まず奥沢病院の50m先にある奥沢神社に参拝。 門口に左目黒道、右品川道という道標がありました。
奥沢神社からの帰りに、「棕櫚のある家があったら教えて」 と家人に呼び掛けます。
「棕櫚がどうしたのよ。 わたしの家にもあったのよ」。 奥沢海軍村のことを説明しました。
そしてすぐ見つかりました。 家人はここよと叫んでいます。 ぼくのお目当ては手前の家の敷地。
手招きして家人を呼び寄せると、ここがどういう場所だったか初めて打ち明けました。
「そうなの!」 と目を丸くする家人。 道路の突き当たりを大井町線の列車通り過ぎて行きます。
今日ここに立つと、裸一貫で大阪から出て来たご主人が潤子さんと出勤していく後姿が目に浮かぶのです。
この場所を再訪したくなったのは、昨日初めてご主人の逝去を伝えるNHKのニュースを視聴したからです。
ハイファイセットというグループを知ったのは妹が買った一枚のLPでした。 でもそのレーコードは聴きませんでした。
ジャケ写とハイファイセットという名前が印象に残っただけ。 潤子さんのブログにおじゃまするようになって
赤い鳥やハイファイセットを知りました。 勿論、メンバーの山本俊彦さんがご主人であることも。
音楽活動の第一線から退かれていたこともあり、山本潤子さんのご主人という認識で。
でも、ニュースのなかに潤子さんの名前が出てきませんでしたね。
これって、ある意味すごいことでぼくは感動してしまうのです。
好きな曲はたくさんありますよ。 けど、NHKのニュースの取り扱いでご主人の人柄と才能を客観的に
知ることができました。 すばらしいリーダーだったのですね。 ニュースを観たらあの場所に立ってみたくなり
なりましたよ。 潤子さん、しっかり食事をしてくださいね。 そして週末の茅ヶ崎と浜松では元気な姿を見せて
ください。 それが何よりの供養になるのかもしれません。