歌手・山本潤子さんのオフィシャルブログを読んで

写真付きで、コメント、メッセージ、随想等を記す

満開の桜

2014-03-31 22:33:08 | 日記
御礼☆3 2014/03/29

潤子さん、東京の桜は昨日が満開でしたが、冷たい雨模様でした。
今日は一転して雲ひとつない快晴で暖かかったですね。 洗足池は春休みということで子供連れの
お母さんが多かったです。 餌をもらおうとスワンボートを追うキンクロハジロ、飛び交うユリカモメ
池畔はまさに春でした。 その後ぼくの自転車は中原街道を丸子橋方面に向かいます。 
後ろからついて来る家人は 「多摩川に行くの?」 と。 「いや、奥沢」、「何しに行くのよ」 と怪訝そうな家人。
「奥沢神社へ行ってみたいんだ。 君が奥沢病院に入院したとき、帰りにお参りしたんだよ。」

この気持に嘘偽りはないのですが、本心は奥沢2丁目の 「山本邸跡」 を再度訪ねてみたかったのです。
古い住宅地図を見ると山本俊彦と記載されている場所に。 中原街道から呑川沿いに緑が丘駅を目指します。
潤子さんもご存知の桜並木は満開の花で、なぜか西行の和歌
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ~が思い出されるのです。 
山本俊彦ご夫妻が歩いたであろう、ぼんぼりに灯りが入る頃の夜桜を想像しながら。
まず奥沢病院の50m先にある奥沢神社に参拝。 門口に左目黒道、右品川道という道標がありました。

奥沢神社からの帰りに、「棕櫚のある家があったら教えて」 と家人に呼び掛けます。
「棕櫚がどうしたのよ。 わたしの家にもあったのよ」。 奥沢海軍村のことを説明しました。
そしてすぐ見つかりました。 家人はここよと叫んでいます。 ぼくのお目当ては手前の家の敷地。
手招きして家人を呼び寄せると、ここがどういう場所だったか初めて打ち明けました。
「そうなの!」 と目を丸くする家人。 道路の突き当たりを大井町線の列車通り過ぎて行きます。
今日ここに立つと、裸一貫で大阪から出て来たご主人が潤子さんと出勤していく後姿が目に浮かぶのです。


この場所を再訪したくなったのは、昨日初めてご主人の逝去を伝えるNHKのニュースを視聴したからです。
ハイファイセットというグループを知ったのは妹が買った一枚のLPでした。 でもそのレーコードは聴きませんでした。 
ジャケ写とハイファイセットという名前が印象に残っただけ。 潤子さんのブログにおじゃまするようになって
赤い鳥やハイファイセットを知りました。 勿論、メンバーの山本俊彦さんがご主人であることも。
音楽活動の第一線から退かれていたこともあり、山本潤子さんのご主人という認識で。
でも、ニュースのなかに潤子さんの名前が出てきませんでしたね。  


これって、ある意味すごいことでぼくは感動してしまうのです。
好きな曲はたくさんありますよ。 けど、NHKのニュースの取り扱いでご主人の人柄と才能を客観的に
知ることができました。 すばらしいリーダーだったのですね。 ニュースを観たらあの場所に立ってみたくなり
なりましたよ。 潤子さん、しっかり食事をしてくださいね。 そして週末の茅ヶ崎と浜松では元気な姿を見せて
ください。 それが何よりの供養になるのかもしれません。

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The Three Bells

2014-03-30 12:48:40 | 日記
御礼☆2 2014/03/29

潤子さん、一部報道によれば、きょうが葬儀告別式だそうですね。 東京は朝から冷たい雨。
関西旅行中に紹介していただいた 「芥川家の人々」 を読み終えました。 著者によって
芥川家の人々の死が綴られていましたね。 出生、出会い、そして別れ。
著者の瑠璃子さんによると、芥川家の人々は見た夢だとか、ちょっとしたハプニングを家族
の吉凶に結びつけて考えていたようですね。 母がその傾向がつよくぼくもその影響を受けて
いるのです。 今回の旅行中に山本珈琲という名の喫茶店を大阪と神戸で見かけました。
かさなる偶然が気になって、三回目、近鉄奈良駅前にあった店を写真にとりました。

翌日、大阪港の海遊館ペンギンの前でご主人の訃報に接し、喫茶店の写真を撮ったときは
もうお亡くなりになっていたのだと。 ぼくたちが27日の午後神戸市立博物館のターナー展
観ていたときはお元気だったのに。 同日の夜、阿倍野駅前の歩道橋をわたりながら、かって
潤子さんとご主人もここを歩かれはずと、なぜかなつかしかったのに。
潤子さん、こういうのを古人は虫の知らせというのでしょうか。
3月15日で家人が仕事をやめ、朝ドラの甲子園の話や先日、多摩川の兵庫島で美しい花を見かけた
ことにかけて、洒落れで兵庫県の甲子園へでかけただけなのに。 旅先に悲報が届くなんて!

いずれ旅の報告は日をあらためてさせていただきます。
今日は旅先で山本珈琲店を三回も見かけたことに因み、子供の頃耳にした 【The Three Bells】 を
お届けします。 歌詞の And there, twenty years thereaftertwentytwenty two に、
Jimmy BrownToshihiko Yamamoto に、to meet his loveloveJunko Arai に置き換え。
ご主人様のご冥福をあらためて、ここらからお祈りしています。   【歌詞

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よりそって二人

2014-03-29 23:57:35 | 日記
御礼☆ 2014/03/29
この度は、故山本俊彦の逝去に沢山のお悔やみメール、電報、お花などが届きました。
心から御礼申し上げます。
27日の夜、虚血性心不全により亡くなりました。
倒れた夜に気が付いていたら生還していたのでは……と悔やまれます。
彼の人柄と生み出した名曲の数々は本当に多くの人に愛されていたのですね。
語り継ぎ、聴き続けてください。
ありがとうございました!


潤子さん、なんと申し上げたらいいのか言葉が見つかりません。
今日昼前に家族から家人の携帯にご主人様の訃報が入りました。 大阪港の海遊館というところを見学中でした。
報に接して、小さなペンギンたちの前で立つ尽くしました。 27日の横浜高校の応援に甲子園に駆けつけました。
試合終了後、神戸の三宮に出てぶらぶらしていると、市立博物館で英国の風景画家ターナーの展覧会が。
二人は吸い込まれるように館内に入りました。 二人ともご主人の作曲された 【美術館】 は好きな曲なのです。
観賞し終わって出口にあるショップでターナーの絵葉書を一枚購入。 館内の喫茶店で簡単なコメントを添えて
潤子さんに出しました。 そして今日、今頃着いたかな、と思った矢先に子供から訃報が入りビックリしたのです。

突然のことで本当にびっくりされたと思います。 心からお見舞い申し上げますともにご主人様のご冥福をお祈りします。
帰りの新幹線で、家人とハイファイセットのライブ盤 COLLECTION DISC-2 を聴きながら在りし日のハイファイセットを
偲びました。 【よりそって二人】、【美術館】、【下町 Love ルネッサンス】、【フィッシュ・アンド・チップス】、
【ファッショナブルラバー】、【Day Light】。
いずれも山本俊彦さんの作曲、大好きです。 そして彼のボーカル、コーラスワーク、コーラスアレンジも。
潤子さんの Day Light が突然ひとつ消えてしまったこと、ただただ、お察し申し上げます。

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兵庫島の花たち

2014-03-26 18:39:46 | 日記
我が家の庭の花☆ 2014/03/26
近所のスノーフレークは随分前に開花したけれど、我が家の遅咲き。 サザンカは後二、三日で開花。
チューリップの苗を昨年遅くに地植え。 期待していなかったけれどもうすぐ開花しそうです。 嬉しいなぁ。 
近所の木蓮やユキヤナギも満開でした。 今日は夕方から雨になりそうな雲行きです

  

潤子さん、雨が降りそうにもないので午後からお話した和菓子店・ちもとに行ってきました。 ご案内のあった本に
大正時代に「ちもと」という和菓子店が出て来たのも何かの縁でしょうから。 生前の母は毎朝仏壇の過去帖を捲り
幼い子が出てくると甘いものを買ってきて、お供えしたものでした。 芥川瑠璃子さんのご家庭も何か到来ものが
あると先ず仏前にお供えして、主が帰宅するまで手をつけられなかったと書いていましたね。
桜餅、胡桃餅、八雲餅の三種でとくにここは八雲餅で知られています。
   

西の空に青空がのぞいたので一気に兵庫島まで足をのばしました。 茶店が開店の準備をしていてご主人に挨拶。
兵庫島にはこんな花が咲いていました。 そして少し先をいったグランド脇のユキヤナギも満開でした。
     

その近くでノビルの群生を見つけたのですが、掘る物がなくて残念! 
アップされた写真を拝見しても、ほんとうに春らしくなってきましたね。
我が家のチューリップはハコ植えで、ノビルに養分を取られているためか潤子さんのに比べると遅れています。
でもどんな花が咲くか楽しみです。 まったく判らないのです。
帰りに瀬田二丁目のパン屋に寄ったのですが、バケットは売り切れなので上野毛駅前の店でゲットしました。

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芥川家の人々

2014-03-26 12:18:06 | 日記
福岡〜熊本☆2 2014/03/14

潤子さん、こんにちは 暖かいけど雨のち曇りですね。
芥川家の人々、半分ほど読みました。 面白いですねぇ。 芥川瑠璃子さんは芥川比呂志氏の奥様で
4歳年上の従姉だったのですね。 大正5年生れなので、ぼくの父や串田孫一さんより一つ年上でした。 
関東大震災のとき小学一年生の彼女が火事で空が赤く染まるのを 「まるで夕焼けのよう」 と驚嘆して
母親に叱られる場面がありました。 ぼくの父は栃木県の足利からその夕焼け空を見ていたそうです。
おさななじみとはいえ、従姉弟の境遇で結婚に至ったなんて相当のことだと思うのですが、幼少時に
父親が相次いで自殺したということもあるのでしょうね。 結婚してから彼女が13歳の頃書いた
「蚤(のみ)」という作文を夫の比呂志が読む場面がありましたね。 ぼくはあの作文はよく出来ていた
と思うのですが、比呂志は笑いながら 「お前の少女時代は、この程度だったんだよ」 と。
二人の夫婦関係をそれとなく想像させるいい描写でしたね。

それと11ページに和菓子の老舗 「ちもと」 が出て来てびっくりしました。 都立大学駅前の目黒通りに
ありますが、前を通るといつも人が並んでいて和菓子はお茶会だとか、お使いものになのでしょう。
町に和菓子店があるとなぜかほっとするのはぼくだけでしょうか。
ちもと?ですよね。 ①鉤元・鈎元。 ②千本、樹木などが数えきれないほど多いこと。 わけぎの別称。
多摩川で採取してヌタにして食したノビルも”わけぎ”の一種なのでしょう。 
我が家のチューリップのプランターは次から次へとノビルが、まさにちもと。
洋菓子よりも和菓子が好き。 できれば日曜日に草餅を作って食べたいです。
いずれにしても、この本を読むと大正時代の様子とというか、人間模様が伝わってきますね。
後半が楽しみです。

きょうの一曲は芥川也寸志さん作曲の 【赤穂浪士】 のテーマ曲をお届けします。 ボレロタッチ、なつかしいですね。

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