潤子さん、こんにちは ご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしのことと思います。
先日、家人の誕生日を機に帝劇で松任谷正隆演出の「朝陽の中で微笑んで」というお芝居を
観てきました。俳優やダンサーが劇を進行させる要所要所でユーミンが登場して14曲歌うの
ですが、ぼくの知っている歌は劇の題名にもなっている「朝陽の中で微笑んで」と「やさしさに
包まれたなら」の2曲だけ。14曲中、70年代の荒井由美時代に作ったのはこの2曲だけでした。
「朝陽の中で微笑んで」は1976年6月にリリースされたハイファイセットのセカンドアルバム
「Fashionable Lover」に収録されているので、知っていましたが、「やさしさに包まれたなら」は
後年、スタジオジブリの映画のテーマ曲として耳にしたのだと思います。
それにしても「Fashionable Lover」の11曲中、「ファッショナブル・ラヴァー 」を除いた10曲も
ユーミン(荒井由美)が作詞や作曲に関わっていたとは驚きでした。「ファッショナブル・ラヴァー 」
とは6年前の11月26日にはじめて潤子さんのソロコンサートに行ったときに出会いました。
「次は大川茂作詞、山本俊彦作曲のファッショナブル・ラヴァーを」との短いMCが文字通りの
ファッショナブルな容姿とともによみがえるのです。 貴ブログへの投稿を覚えておられますか。
日比谷公園の地下駐車場に車を留めて、帝劇に向かったのですが、池辺の紅葉や濠端の
銀杏並木の黄葉に、6年前の11月13日に日比谷の野音で潤子さんが歌う「卒業写真」を
初めてきいたことが思い出されて……。
今回は2度目のカーテンコールで「卒業写真」をうたいましたよ。ハイファイセットのファースト
アルバム名になっている「卒業写真」は後年自身がセルフカヴァーしているように、ハイファイ
セットと荒井由美という名を広く世に知らしめた原点だったのでしょうか。
いっぽう、劇中のテーマ曲になっている「朝陽の中で微笑んで」ついては、「私の作品の中でも
最も歌うのが難しい。カバーしてくれる方もスーパー歌唱力の人で、私は『この人は歌唱力以上
の曲を書く』と評価されていたのです。あの頃は自分の表現力を越えた曲が書けたのですね」と
笑っていました。 41年前、ハイファイセットの潤子さんの歌唱力を意識して作ったのでしょうか。

多分そうだと思います。ユーミン認定の最難曲「朝陽の中で微笑んで」が世にでたのは1976年
6月5日にリリースされたハイファイセットの2th.アルバム「Fashionable Lover」で、ユーミン歌唱
のそれは1976年11月20日リリースの4th.アルバム「 The 14th Moon(14番目の月)」ですから。
それと1976年4月24日にリリースされた五木寛之原作の松竹映画「凍河」の主題歌になっていて、
歌唱はハイファイセットの潤子さんでした。この映画を覚えておられますか。DVDのラベルには
次のように書かれています。
横浜の和親会病院精神科に、青年医師・竜野が赴任してきた。まもなく彼は、病院の娘ナツキ
が予言した通り、完治しているのに退院しようとしない患者・葉子のことを気にかけるようになる。
彼女には数度にわたるレイプと自殺未遂の過去があった……。
五木寛之の同名小説を原作に、映画詩人・斎藤耕一監督が描く異色のラブ・ストリー。高度経済
成長に沸く当時の日本の陰で心病む弱者と対峙し続ける医師たちの良心と葛藤を背景に、バイ
クを駆る現代気質の主人公の愛と苦悩が描かれていく。70年代の若者像を好もしく体現し続けた
中村雅俊と、後に彼の夫人になる五十嵐淳子の麗しき共演。 主人公を翻弄する原田美枝子の
小悪魔的存在感も初々しい。 なお、石原裕次郎はこれが初の松竹映画出演で、同時に最後の
実写映画出演。映画スチル・カメラマン出身の斎藤監督と旧知の仲ゆえのノーギャラ出演であった。
主題歌は、荒井由美の名曲をハイファイセットが熱唱する「朝陽の中で微笑んで」。
五木寛之原作の映画といえば、2年後の1978年12月23日に公開された東宝映画「燃える秋」でも
ハイファイセットが主題歌を歌っていましたね。

舞台の大団円では、ユーミンが大きな蓮の花の中に立ってテーマ曲「朝陽の中で微笑んで」を熱唱。
非業の死を遂げたヒロインの復活を暗示というか、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」を想起させます。
ということで、今日の一曲は41年前のハイファイセット偲び【朝陽の中で微笑んで】を添えます。
ユーミンは22歳、潤子さんは24歳でした。

先日、家人の誕生日を機に帝劇で松任谷正隆演出の「朝陽の中で微笑んで」というお芝居を
観てきました。俳優やダンサーが劇を進行させる要所要所でユーミンが登場して14曲歌うの
ですが、ぼくの知っている歌は劇の題名にもなっている「朝陽の中で微笑んで」と「やさしさに
包まれたなら」の2曲だけ。14曲中、70年代の荒井由美時代に作ったのはこの2曲だけでした。
「朝陽の中で微笑んで」は1976年6月にリリースされたハイファイセットのセカンドアルバム
「Fashionable Lover」に収録されているので、知っていましたが、「やさしさに包まれたなら」は
後年、スタジオジブリの映画のテーマ曲として耳にしたのだと思います。
それにしても「Fashionable Lover」の11曲中、「ファッショナブル・ラヴァー 」を除いた10曲も
ユーミン(荒井由美)が作詞や作曲に関わっていたとは驚きでした。「ファッショナブル・ラヴァー 」
とは6年前の11月26日にはじめて潤子さんのソロコンサートに行ったときに出会いました。
「次は大川茂作詞、山本俊彦作曲のファッショナブル・ラヴァーを」との短いMCが文字通りの
ファッショナブルな容姿とともによみがえるのです。 貴ブログへの投稿を覚えておられますか。
日比谷公園の地下駐車場に車を留めて、帝劇に向かったのですが、池辺の紅葉や濠端の
銀杏並木の黄葉に、6年前の11月13日に日比谷の野音で潤子さんが歌う「卒業写真」を
初めてきいたことが思い出されて……。
今回は2度目のカーテンコールで「卒業写真」をうたいましたよ。ハイファイセットのファースト
アルバム名になっている「卒業写真」は後年自身がセルフカヴァーしているように、ハイファイ
セットと荒井由美という名を広く世に知らしめた原点だったのでしょうか。
いっぽう、劇中のテーマ曲になっている「朝陽の中で微笑んで」ついては、「私の作品の中でも
最も歌うのが難しい。カバーしてくれる方もスーパー歌唱力の人で、私は『この人は歌唱力以上
の曲を書く』と評価されていたのです。あの頃は自分の表現力を越えた曲が書けたのですね」と
笑っていました。 41年前、ハイファイセットの潤子さんの歌唱力を意識して作ったのでしょうか。




多分そうだと思います。ユーミン認定の最難曲「朝陽の中で微笑んで」が世にでたのは1976年
6月5日にリリースされたハイファイセットの2th.アルバム「Fashionable Lover」で、ユーミン歌唱
のそれは1976年11月20日リリースの4th.アルバム「 The 14th Moon(14番目の月)」ですから。
それと1976年4月24日にリリースされた五木寛之原作の松竹映画「凍河」の主題歌になっていて、
歌唱はハイファイセットの潤子さんでした。この映画を覚えておられますか。DVDのラベルには
次のように書かれています。
横浜の和親会病院精神科に、青年医師・竜野が赴任してきた。まもなく彼は、病院の娘ナツキ
が予言した通り、完治しているのに退院しようとしない患者・葉子のことを気にかけるようになる。
彼女には数度にわたるレイプと自殺未遂の過去があった……。
五木寛之の同名小説を原作に、映画詩人・斎藤耕一監督が描く異色のラブ・ストリー。高度経済
成長に沸く当時の日本の陰で心病む弱者と対峙し続ける医師たちの良心と葛藤を背景に、バイ
クを駆る現代気質の主人公の愛と苦悩が描かれていく。70年代の若者像を好もしく体現し続けた
中村雅俊と、後に彼の夫人になる五十嵐淳子の麗しき共演。 主人公を翻弄する原田美枝子の
小悪魔的存在感も初々しい。 なお、石原裕次郎はこれが初の松竹映画出演で、同時に最後の
実写映画出演。映画スチル・カメラマン出身の斎藤監督と旧知の仲ゆえのノーギャラ出演であった。
主題歌は、荒井由美の名曲をハイファイセットが熱唱する「朝陽の中で微笑んで」。
五木寛之原作の映画といえば、2年後の1978年12月23日に公開された東宝映画「燃える秋」でも
ハイファイセットが主題歌を歌っていましたね。


舞台の大団円では、ユーミンが大きな蓮の花の中に立ってテーマ曲「朝陽の中で微笑んで」を熱唱。
非業の死を遂げたヒロインの復活を暗示というか、ボッティチェリの「ビーナスの誕生」を想起させます。
ということで、今日の一曲は41年前のハイファイセット偲び【朝陽の中で微笑んで】を添えます。
ユーミンは22歳、潤子さんは24歳でした。
