隣町に住んでいる幼馴染みとは、お互いに元気にやってると風の便りで確認しあっている。定年後も期間が経ちすぎると、 懐かしさもあって年1~2回は直接にも会って、駄弁っている。そしてその舞台は、村の桜並木下だったり、あおいパーク見学後の コメダだったり。今日は、矢作川河原の葦原の奇麗な場所に目星を付けて3箇所ほど見て廻りながら駄弁ることに。友達の場合、堤防桜並木や 、葦原は家の前に広がっているし、ジジはといえば自転車コースの一部だが見慣れすぎて見過ごしている。 今日は、改めて葦原を堤防上から眺めた。葦の緑のベルトが伸びて、奇麗だった。葦原は緑のこの時期と、尾花の季節が最高だ。 で、駄弁りの中身は、歳相応に、病気だ、死亡だと、寂しい話題から始まるが、それが特別なことではなく、極自然に出てくるようになったのは、 自分自身、歳だなあと実感する。そんな歳の流れの中でも、友人は定年直後から村の世話役、公民館の管理、子供達の送迎、同級生の パターゴルフの世話役等、その時々に出来る活動をしていると、淡々と話してくれた。現役時代、全国を飛び廻っていた昭和のサラリーマンも 今は、オラガ村の景色を改めて見て廻りながら、そんなこんなの近況を話して過ごした。
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矢作川桜並木下の葦原。
緑のこの時期と、尾花の時期が
葦原の一番奇麗な時期。
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矢作川大橋似たの葦原の緑のベルト。
昔話に花を咲かせながら河原の彼方此方を
見て廻った。
戦中艦載機に怯え生きて来た仲間でした、苦労為て
生き残った仲間達に会う度によく頑張っているなぁ~
と懐かしく話す、戦中生き残りの老婆.老爺である、
矢作川の葦の緑が生きがいを感じますね。
幼友達が少なくなっていくのは寂しいが、今では、そんな話しを自然体で聞けるようになってしまった。
歳を感じます。