語霜久泉千波らんらん虹月の文人芸術家ブログ☆虹色の素手で神霊と対話創作☆

文人芸術家ブログ☆語霜久泉千波らんらん虹月…望玄ミハルの白紙画巻をご覧あれ。中日バイリンガル華僑娘from台湾。

写経&お経汚しは祟られて当然

2020-12-02 05:51:55 | 文人日月緋望玄
写経&お経汚しは祟られて当然。
有名な般若心経を写経し、額で飾っている私は、仏教の聖典を自分が書いたとは言わない。
写経したと言うだけで、般若心経を考え出した人とは言わない。
般若心経は仏教祖仏陀様の教えを書き記した文章つまり聖典だ。
私は写経はしても、般若心経を書いた仏陀だとは言わない。
どれほど失礼な行為なのか、少し考えるだけで気づくものだ。
ましてや、写経しながら、言葉や単語を書き換えたりもしない。
写経しながら言葉や単語を書き換え、自分が書いたとは言わない。
文人の神様がいるなら、その行為にとても怒るはずだ。
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《龍門女》

2020-12-02 01:30:21 | 文人日月緋望玄
(2020.12.02 Wednesday my JUGEMブログ:人生論より転載。)
《龍門女》
龍門という雑居デパートが台北市内にあった。
そこで日本舶来品店〔菊屋〕を営む台湾人蘇姓母は、台湾華僑東郷姓父と共に小さなお店を切り盛りし、幼い私・嘉奈と幼い弟との生活が龍門にあった。
私は蘇姓だったせいか中国語や台湾語の習得が順調な方で、子どもらしい言葉を不器用に話しながらも、日本人学校で習う日本語の両方を身につけた。
バイリンガル及び若干トリリンガルな龍門女・蘇東郷嘉奈の人生が数奇を避けながら、文人芸術家へと辿り着く。
奇をてらわないという日本語が好きだけど、演劇部ではそれの逆を習い、とりあえずの社会構造を何となく理解した。
なので、私の出発点が龍門だからと羨む前に、龍門で同じ生活をしても、弟は父の日本姓のせいか、中国語や台湾語に興味が薄く、あまり身につかなかったようで、君たちが龍門で私と似た生活をしたとしても、私の能力を身につけられたかは謎だ。
あまり、才女の生い立ちをまねする必要はないし、才女の生い立ちを自分らの生い立ちの如く言う必要もない。
自分らの興味が語学・言語にないなら、文人になるのは難しいし、嫌いな文章を読んだり書いたりする職業は向かないといえる。
書くには読むのが先決で、なぞるのは職業とは言わない。
何となく文人の文章をなぞり、似た文章が書けたとしても、なぞりでしかないのを忘れるな。それは写経にとても近い。宗教への信仰心もない人が写経しても意味がない。
私の小説文章やその他文章をほぼ写経するなら、それを言わなければならない。それが敬意を示す行為であって、ほぼ写経したことで私の文章の神霊が写経する信者の道をやや照らすことだろう。
大学で論文を書く際に、参考文献を注釈するのも当然の礼儀であり、大学生が1番最初に学ぶ学習態度だ。あくまで、これは、学習態度だ。
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