今朝方の夢は、
鼻から大きなどんぐり、それも縦スライスされたものが出てくる、
というものでした
こーんな大きなモノが鼻から出てきて、
いやぁすっきりした〜って思ってました
何かつっかえが取れたって暗示でしょうか
(にしては、ちょっと汚いぞ)
そして朝、愛読しているブログ様の、
鼻から豆飛ばす記事を読ませて頂き、
いいようのないシンクロニシティを感じ、
一人悦に入っている片月はるかです
さて、なんだかこの3日間、
意図せずして「自己否定感」ということを考え続け、
「自己否定感」という言葉を、人生で一番使った3日間だと思います
ということで、
多分「花束〜自己否定感 三部作〜」最終話です。
(いや、たまたまそうなっただけなんですけどね)
(そして書いてるうちに長くなり、
前後編になっちゃいましたすみません)
3年前、高橋一生さん主役の、
「僕らは奇跡でできている」というドラマがありました。
恐らく発達障害?を抱えた主人公なのですが、
発達障害とかそういう具体的な名前は、一度も出ないのです。
でもとても個性的で、自分の世界に没頭してしまう主人公が、
周囲を振り回し、周囲に傷つけられながらも、
その特有の視点で、周囲を変えて明るくしていく、
まあ私の拙い説明だとそんな感じで、
めちゃくちゃいいドラマでした(雑なまとめ)
でね、そのなかで、
人にも自分にも厳しい榮倉奈々さんに、
高橋一生さんが、
「あなたのいいところ、100言えるよ」
って言うんです(記憶で書いてるので、間違ってるとは思いますすみません)
で、「挨拶できる」とかを挙げると、
栄倉奈々さんは
「そんなの誰でもできるよ」
と言う。
それを高橋一生さん、
「誰でも出来たら、あなたのいいところじゃないの?」
(セリフが違ってると思いますが、大体そんな感じ)
そこでわたし、榮倉奈々さんと共にとても衝撃的受けました!
誰でもできることなら、わたしのいいところじゃない、なんて、
なんで思い込んでたんだろう。
誰にも出来ないことしか、いいところに数えられなかったら、
特技だって、オリンピック選手くらいしか、言えないよね!
だから、きっと人よりすっごく優れてなくても、
わたしにも、
あなたにも、
いいところはた~くさんあると思うんです。
わたしのブログは、
そんな自分や、
自分のような自己否定感低くてしんどい人が、
ほっこり花束贈ったり、受け取ったりできる時間ならいいなぁと
思った3日間なのでした。
しかしまぁ、そう、3年前にいいドラマを見ても、
いまなお、自己否定感に苦しめられているわたしなんですけどね(えへへ。恥ずかしい〜)
なんでそんなに低いんだろうと、改めて考えますと、
「自己否定感」と「自己肯定感」という二つの袋が、
こころの中にあるようで。
そこにいろんな出来事や思いをいれていくのに、
わたしの「自己肯定感」の袋は、底が破れてるみたいなんです
「こんなこと出来たよ!」とか、
「わたし、こういうところもあるね!」とか、
人から褒められた言葉とか、一生懸命入れても、
底が破れてるから、ざざーっと抜け落ちちゃって、
いつまでもしぼんだまんま
でも「自己否定感」の袋の目は細かく、
どんな物事もしっかりキャッチ。
「これもできない」
「また二度寝してぐうたらしてる!」
いちいち細かいネタを拾って来ては、
袋をパンパンにしてしまうのです。
まあ、そんな目の細かい「自己否定感」の袋を、
なんとかプツプツ穴を開けて、
ちょっとでも袋から思いを追い出して、
破れちゃってる「自己肯定感」の袋には、
人様から頂いた褒め言葉の花束で、
なんとか底抜けふせげたらなぁ、そんなお話なんですけども。
あともう一息なんですが、
もうちょっと続きます
すみません、また明日〜
今日は食材の片付けということで、
さつまいもパンを焼きました
えっ、それって片付け?
いーんです!
今日のお写真は、昨日の同じうどん屋さんの庭です。
古民家のとっても素敵なお店でした。
(名前失念しちゃいました)